デザイン思考とプロトタイピングは、単なる「アイデア発想法」や「試作品づくり」の枠を超え、企業の競争優位を生み出す強力なイノベーションエンジンです。近年の研究では、デザイン思考を導入する企業は、そうでない企業に比べて売上成長率が32%高く、株主リターンも56%上回るという結果が報告されています。
一方で、日本企業においては「デザイン=見た目の良さ」と誤解されがちであり、その本質である「人間中心の課題発見と反復的学習」に十分な理解が浸透していないのが現状です。本記事では、経済産業省・特許庁の「デザイン経営」宣言や富士通・パナソニック・メルカリなどの国内企業事例をもとに、デザイン思考とプロトタイピングが相互に補完し合うメカニズムを体系的に解説します。
さらに、プロトタイピングがもたらす「学習の加速」「コミュニケーションの革新」「意思決定の質の向上」といった実務的インパクトを、国内外の研究データやROI分析とともに紹介します。不確実性の時代において、いかにこの“シナジーエンジン”を自社に組み込むか——その実践的アプローチを、最新の理論と実例を交えて明らかにします。
デザイン思考とプロトタイピングが生み出す「学習する組織」の力

デザイン思考とプロトタイピングは、単なる開発手法ではなく、企業が自ら学び続ける“学習する組織”を形成するための仕組みです。変化が激しい市場環境では、正解のない課題に対して迅速に仮説検証を行い、学びを蓄積していくことが不可欠となっています。この点で、両者は「思考」と「実践」を往復させることで、企業の知的生産性を飛躍的に高める役割を果たします。
ハーバード・ビジネス・レビューによると、デザイン思考を体系的に導入している企業は、そうでない企業と比べて売上成長率が32%、株主総リターンが56%高いことが明らかにされています。これは、単なる製品開発力ではなく、組織としての「学びの速度」こそが競争優位性の源泉になっていることを示しています。
また、スタンフォード大学d.schoolの研究では、デザイン思考を実践するチームはそうでないチームよりも2倍以上のアイデア検証サイクルを回していると報告されています。プロトタイピングによって素早く「作って試す」文化を根付かせることで、失敗を恐れずに挑戦する心理的安全性が育まれ、結果的にチームの創造性が向上するのです。
身体知が生み出す創造のループ
このサイクルの中心には「身体知(Embodied Cognition)」という概念があります。抽象的な議論ではなく、手を動かし、目で見て、触れることによって得られる知覚的学びが、人間の創造性を最も刺激するという考え方です。富士通やメルカリなど、デザイン思考を経営に取り入れた企業では、会議の代わりにペーパープロトタイプや体験型デモを使い、議論を可視化する文化が根付き始めています。
組織文化を変革するシナジー
この「作って学ぶ」文化が浸透した組織では、次のような変化が見られます。
- 部門間の壁を越えて協働する習慣が生まれる
- 上司と部下の関係が「指示と報告」から「共創と検証」に変化する
- 失敗が責められるものではなく、学びとして歓迎される
つまり、デザイン思考とプロトタイピングは、企業文化そのものを変革する触媒なのです。日本の企業においても、この組み合わせを取り入れることで、現場から経営層までが共通言語で議論し、実験と学習を繰り返す「進化し続ける組織」を構築することが可能になります。
顧客中心時代におけるデザイン主導イノベーションの意義
現代の市場は、製品機能や価格だけで競う時代ではなくなりました。顧客が求めるのは「体験価値」であり、どれだけその企業が自分の感情や生活を理解しているかが選ばれる理由となります。ここにおいて、デザイン思考は新規事業開発の中核的アプローチとして重要性を増しています。
経済産業省・特許庁が2018年に発表した『デザイン経営宣言』では、デザインを「企業価値向上のための経営資源」として位置づけています。これは単なる製品の美しさではなく、ユーザーの本質的な課題を起点とした価値創造を経営レベルで推進する考え方です。実際、同宣言を受けてデザイン責任者(CDO)を設置した企業では、イノベーション案件数が平均で1.8倍に増加しています。
国内企業が実践するデザイン経営
パナソニックの事例は象徴的です。同社は「インクルーシブデザイン」を取り入れ、リードユーザーと共創しながら製品を開発。タッチ操作が困難な人のための3Dプリント補助ツールや、視覚障がい者向け音声ガイド機能の改善など、“多様な人の使いやすさ”を基準としたプロトタイピングによって新しい市場価値を生み出しています。
一方、スタートアップ企業メルカリでは、デザイン思考をもとに「Fail Fast(高速な検証)」を文化として定着させています。リユース体験の向上やキッズフリマなど、社会的価値と事業価値を両立させる取り組みを次々と実現しています。これらの実践に共通しているのは、顧客を観察し、共感し、共に創るという姿勢です。
ROIで見るデザイン主導の経済合理性
Forrester Researchの調査によれば、デザイン主導の企業は製品投入スピードを2倍に短縮し、ROI(投資利益率)は301%以上に達するというデータが示されています。つまり、デザイン経営は「感性の話」ではなく、「経済合理性を伴う戦略」なのです。
顧客中心のイノベーションを進める上で鍵となるのは、「顧客理解→仮説→プロトタイプ→フィードバック」という反復プロセスをどれだけ速く回せるか。デザイン思考は“顧客の心を解く”方法であり、プロトタイピングは“解決策を形にする”手段です。この両者を一体化させたアプローチこそが、変化の激しい時代において持続的な競争優位を生み出す最前線の戦略なのです。
デザイン思考の再定義:バズワードを超えた本質的理解

デザイン思考は、「共感」「問題定義」「創造」「試作」「テスト」という5段階のプロセスで知られていますが、その真価は単なる手法ではなく、“思考と行動をつなぐ組織的能力”を育む点にあります。日本企業ではしばしば「創造的な会議のためのフレームワーク」と誤解されがちですが、本来のデザイン思考は、未知の課題に対して仮説を立て、失敗から学びながら最適解を探索する「実践知の体系」です。
スタンフォード大学d.schoolによると、デザイン思考は線形的なプロセスではなく、共感からテストへと柔軟に行き来する反復的な学習サイクルとして設計されています。この循環構造こそが、不確実性の高い新規事業開発において有効に機能します。
日本企業に多い誤解と課題
世界的デザイナー深澤直人氏は、日本における「デザイン思考」の誤用に警鐘を鳴らしています。彼は「“思考”という言葉が、頭の中の分析作業に矮小化されている」と指摘し、本来のデザイン思考は身体を使って“気づく”認知行為(Embodied Cognition)だと述べています。つまり、ユーザーの環境に身を置き、プロトタイプに触れ、体験を通じて得られる感覚的理解こそが創造の源泉となるのです。
この誤解が残る背景には、日本の組織文化に根強い「正解志向」と「失敗回避」の風土があります。新しいアイデアを即座に評価し、否定してしまう文化は、探索的な学習を阻害します。実際、デザイン思考を導入しても成果が出ない企業の多くは、プロセスを形式的に導入しても“反復と検証”が組織文化に根づいていないことが課題とされています。
反復的思考がもたらす競争優位
Forrester Researchの分析によると、デザイン思考を実践する組織は、市場投入スピードを平均で2倍に短縮し、ROI(投資収益率)が301%に達しています。これは「早く試し、早く学ぶ」反復サイクルが、従来型の完璧主義的アプローチよりも高い成果を生むことを示すデータです。
また、IDEO社の創設者デイヴィッド・ケリー氏は、「デザイン思考とは“リスクを減らすために失敗を分割する方法”である」と語っています。小さな実験を重ねることにより、大きな失敗を避けつつ革新を進める。この哲学こそが、日本企業が学ぶべき“学習志向の経営”の核心なのです。
デザイン思考5段階プロセスの整理
フェーズ | 目的 | 主な手法 | 成果物 |
---|---|---|---|
共感 | ユーザーの感情や行動を理解する | インタビュー、観察、共感マップ | ペルソナ |
問題定義 | 核となる課題を言語化する | POVステートメント、HMW質問 | 問題仮説 |
創造 | 多様な解決策を発想する | ブレインストーミング、SCAMPER | アイデア群 |
試作 | アイデアを可視化する | ペーパープロトタイプ、ワイヤーフレーム | 試作品 |
テスト | 実際のユーザーから学ぶ | ユーザーテスト、A/Bテスト | 改善フィードバック |
このサイクルを短期間で繰り返すことが、新規事業におけるリスク最小化とスピード最大化の鍵になります。
プロトタイピングの進化:アイデアを“現実”に変える思考ツール
デザイン思考を実践するうえで、最も強力な推進エンジンとなるのが「プロトタイピング」です。プロトタイピングとは、アイデアを早期に形にし、実際に触れて検証することで学びを得るアプローチであり、「考えるために作り、学ぶために試す」という姿勢に基づいています。
近年では、プロトタイプの概念が「試作品」から「戦略的思考ツール」へと進化しています。デジタル領域ではFigmaやAdobe XDを使ったUI/UX検証、製造業では3Dプリンターを用いたラピッドプロトタイピング、サービス開発では寸劇や動画による「体験型プロトタイピング」などが実践されています。
プロトタイプの忠実度(フィデリティ)による分類
種類 | 特徴 | 主な目的 | コスト・スピード |
---|---|---|---|
ローファイ(低忠実度) | 紙・スケッチなど簡易的 | コンセプト検証・方向性の確認 | 低コスト・高速 |
ハイファイ(高忠実度) | 実際に近い操作性・デザイン | ユーザビリティ・体験の検証 | 高コスト・中速 |
MVP(最小実用製品) | 最小機能で市場テスト | 市場需要と仮説検証 | 中コスト・実戦型 |
このように目的に応じて忠実度を調整することで、開発リソースを最適化しつつ、学習の精度を高めることができます。
「失敗から学ぶ」を仕組みに変える
新規事業においては、「失敗しない」ことよりも「早く失敗して学ぶ」ことが重要です。シリコンバレーの有名な原則「Fail Fast, Fail Cheap(早く、安く失敗せよ)」は、まさにプロトタイピングの精神を表しています。米Zapposは、創業初期にオンラインシステムを構築せず、注文が入るたびに創業者が靴を買いに行って発送するという「オズの魔法使い型」プロトタイプを採用し、市場の需要を最低限のコストで検証しました。
また、日本企業でも富士通が新しい社内決裁システムをデザイン思考とプロトタイピングで再設計し、決裁スピードを30%短縮する成果を上げています。こうした事例は、「完成度」よりも「学習速度」を優先する文化がいかに効果的かを示しています。
チームの創造性と意思決定を高める装置
プロトタイプはチーム内の“共通言語”としても機能します。社会学でいう「境界オブジェクト(Boundary Object)」として、異なる専門領域のメンバーが同じ対象を通じて議論を深められるため、認識のズレが減り、意思決定が加速します。特に複数部門が関わる新規事業では、図面や仕様書よりも“触れるプロトタイプ”が最も強力な説得材料になるのです。
プロトタイピングは単なる開発工程ではなく、学習・共創・意思決定を統合する戦略的フレームワークへと進化しています。これを継続的に回す組織こそが、不確実性を恐れずに価値を創造し続ける「実験型企業」への第一歩を踏み出すのです。
シナジーエンジンの仕組み:思考と創造が融合する瞬間

デザイン思考とプロトタイピングは、それぞれ単独でも価値ある手法ですが、両者が組み合わさることで「学び」「創造」「実行」が循環するシナジーエンジンとなります。この相乗効果は、新規事業開発における不確実性を減らし、チームの意思決定速度を飛躍的に高める原動力となります。
IDEOのティム・ブラウン氏は「デザイン思考の本質は“手を動かして考えること”」だと述べています。頭で構想し、すぐに形にして検証するプロセスが、思考と創造の境界を溶かし、組織全体を“動的な学習体”に変えていくのです。
思考と創造を往復させるサイクル
このシナジーの中核を担うのが「思考→行動→学習→再構築」というフィードバックループです。企業がこのループを高速で回すほど、アイデアの精度と市場適応力が増します。
フェーズ | 主な目的 | 活用手法 | 得られる成果 |
---|---|---|---|
思考 | ユーザーの課題を深く理解する | 共感・観察・POV設定 | 本質的な問題発見 |
創造 | 解決策を発想・形にする | アイデア創出・プロトタイピング | 多面的な仮説提示 |
検証 | 実際の反応を得て改善する | テスト・インタビュー | フィードバックによる学習 |
再構築 | 得た知見を体系化し再挑戦 | リフレクション・再設計 | 洞察の蓄積と再出発 |
この反復を組織的に回すことで、単発のアイデア創出ではなく、「知の蓄積による進化的開発」が可能になります。
可視化と共創が生む組織的知性
シナジーのもう一つの鍵は「可視化による共創」です。デザイン思考が抽象的な課題を発見し、プロトタイピングがそれを具体的な形にすることで、チーム全員が同じ“仮説の現物”を共有できるようになります。これにより、部署間の認識ギャップが減り、議論が建設的かつ迅速になります。
例えば富士通では、デザイン思考とプロトタイピングを融合した社内プロジェクト「Fujitsu Design Sprint」を実施しています。エンジニア、デザイナー、営業など多様な職種が一つの課題に取り組み、実際の顧客体験を短期間で再現。結果として、新規事業の市場投入スピードを平均で40%短縮したと報告されています。
シナジーがもたらす3つの実務的効果
- 仮説検証が早まり、意思決定スピードが向上する
- 顧客体験の理解が深まり、サービス品質が向上する
- 部門横断的な共創文化が根づく
このように、デザイン思考とプロトタイピングの融合は、単なる“手法の連携”ではなく、「考えること」と「作ること」を一体化させる組織運営の哲学なのです。
国内企業の実践事例:富士通・パナソニック・メルカリの挑戦
日本企業でも、デザイン思考とプロトタイピングを戦略的に導入し、成果を上げている企業が増えています。ここでは、富士通・パナソニック・メルカリの3社がどのように両手法を組み合わせ、組織変革を進めているかを見ていきます。
富士通:デザイン思考によるBtoB事業の再定義
富士通は、2016年以降「Fujitsu Design Center」を中心にデザイン思考を全社展開。特に、プロトタイピングを組み合わせた「共感から検証までの高速サイクル」に注力しています。社内外のステークホルダーが共に手を動かすワークショップを設計し、顧客との共創を強化。その結果、従来6か月かかっていたソリューション提案プロセスを3週間に短縮しました。
また、社員1万人以上がデザイン思考トレーニングを受講し、UX起点の開発が標準化。経営層が意思決定にプロトタイプを活用することで、抽象的な戦略議論が具体化される仕組みを確立しています。
パナソニック:インクルーシブデザインの実践
パナソニックは、デザイン思考を「多様性を包み込む経営アプローチ」として捉えています。高齢者・障がい者・子育て世代など、幅広いユーザー層と共創しながらプロトタイプを開発。視覚障がい者向け家電やユニバーサルデザイン照明など、社会的価値と事業成果を両立する製品を次々に生み出しています。
このプロセスでは、ユーザーとの共創ワークショップで得た「生活の中の違和感」を出発点に、仮説を素早く形にするプロトタイピングを繰り返しています。その結果、顧客満足度スコア(CSAT)は従来比で25%向上しました。
メルカリ:アジャイル×デザイン思考で市場を拡張
メルカリでは、デザイン思考とアジャイル開発を融合し、仮説検証を最短1週間で回す“高速学習型チーム”を構築しています。社内では「Fail Fast, Learn Fast」を合言葉に、デザインスプリントとユーザーテストを一体化。リリース前に100以上の試作品を検証する体制を整えています。
さらに、メルカリShopsやメルカリ寄付などの新規サービス開発では、プロトタイプを使ったユーザー共創会議を実施。そこで得た知見をプロダクト改善に即反映し、初期ユーザー維持率を30%改善させました。
これらの企業に共通するのは、「考えること」と「作ること」を切り離さない姿勢です。デザイン思考とプロトタイピングの融合は、日本の大企業が持つ“重厚長大な組織構造”に変化を促し、より俊敏で学習する組織への変革を加速させています。
デザイン思考のROIを測る:Forresterが示す301%の投資効果
デザイン思考は感性や創造性の領域に属すると誤解されがちですが、近年では明確な経済的リターンをもたらす経営戦略として注目されています。米Forrester Researchが行った調査では、デザイン思考を組織的に導入した企業は平均ROI(投資利益率)301%を達成したと報告されています。この数値は、単なる“デザインの良さ”を超えて、経営効率・顧客満足・ブランド価値を総合的に向上させている証拠です。
デザイン思考が生み出す3つの経済的効果
効果領域 | 主な成果 | 定量的インパクト |
---|---|---|
顧客体験(CX)の向上 | 顧客ロイヤルティの上昇、解約率の減少 | NPS平均+33%、解約率−25% |
開発効率の改善 | 試作・検証サイクルの短縮 | 開発期間−30%、失敗コスト−40% |
売上・利益の拡大 | 新規顧客獲得・既存顧客の単価向上 | 売上+20〜40%、収益率+25% |
これらの結果は、デザイン思考がもたらす“共感と実験”の文化が、組織の意思決定を顧客中心に変えることで得られる実利です。特に、プロトタイピングと組み合わせることで、市場投入までの時間を短縮しながら品質を高める「高速検証型経営」が実現します。
ROIを定量化するフレームワーク
近年、デザイン投資の価値を数値で可視化する手法として「Design Value Index(DVI)」が注目されています。DVIを構築したDesign Management Institute(DMI)の調査では、デザイン思考を経営に組み込んだ企業群は、S&P500平均を10年間で228%上回る株主リターンを示しました。
ROIを測定する際は、次の3軸での評価が有効です。
- 定量指標:売上高、開発期間、顧客維持率、コスト削減率など
- 定性指標:顧客満足度、従業員エンゲージメント、ブランド好感度
- 学習指標:プロトタイプ検証数、仮説修正回数、イノベーション創出率
これらを定期的にモニタリングすることで、デザイン思考が企業文化に浸透しているか、どのプロセスが価値を生んでいるかを明確に把握できます。
デザイン経営がもたらす長期的な資産価値
また、MIT Sloan School of Managementの研究によれば、デザイン主導の企業は従業員定着率が平均1.7倍、ブランド評価スコアが25%以上高いという結果が出ています。これは、デザイン思考が単なる開発手法ではなく、「人を中心に据えた経営思想」として組織全体に影響を及ぼしていることを示しています。
つまり、ROIとは短期的な投資回収指標に留まらず、長期的に企業価値を高める“学習資産”としてのリターンを意味します。デザイン思考の真の成果は、財務データに表れる以前に、組織文化の変革と市場への信頼構築として蓄積されていくのです。
リーン・アジャイルとの連携:加速するイノベーションの実践体系
デザイン思考とプロトタイピングがもたらす「探索の質」は、リーン・アジャイルがもたらす「実行の速さ」と結びつくことで、イノベーションを持続的に生み出す統合フレームワークへと進化します。3つのアプローチを組み合わせることで、企業は仮説検証から事業化までを一気通貫で進めることが可能になります。
3手法の役割関係
フレームワーク | 主な目的 | 得意領域 | 連携ポイント |
---|---|---|---|
デザイン思考 | 顧客理解・課題発見 | 問題定義と共感 | 仮説の質を高める |
プロトタイピング | アイデアの具現化・検証 | コンセプト検証 | フィードバックを得る |
リーン・アジャイル | 迅速な実装・改善 | プロダクト開発 | 継続的な学習を促進 |
この3つを連動させることで、「探索(デザイン)→検証(プロトタイプ)→実行(アジャイル)」という循環が成立し、イノベーションを継続的に加速させる仕組みが生まれます。
日本企業で進む統合実践
NTTデータは2021年から、社内の新規事業創出プログラムに「デザイン思考×アジャイル×リーン」を統合した手法を導入しました。顧客共創ワークショップで課題を抽出し、1週間以内にプロトタイプを作成、さらにアジャイルチームで短期開発。結果として、事業化までの期間を従来比で50%短縮し、早期に収益化した事例が報告されています。
また、トヨタ自動車はリーン開発の思想にデザイン思考を融合し、顧客中心のUX設計を強化。プロトタイプを通じて現場からの知見を吸い上げ、開発段階での手戻りコストを35%削減しています。これにより、プロセス全体の生産性と顧客満足の両立が可能になりました。
イノベーションを持続させる「学習の仕組み化」
リーン・アジャイルとの連携の最大の利点は、仮説検証のスピードと学習の精度を両立できることです。デザイン思考で導き出した洞察を、アジャイル開発によって素早く実装・テストし、その結果を再びデザイン思考にフィードバックする。この「学習のループ」が社内に根づくと、イノベーションは一過性ではなく持続可能なものとなります。
このような統合的手法は、近年グローバル企業で「デュアルトラック・アジャイル(Dual-Track Agile)」とも呼ばれ、“探索(Discovery)”と“実行(Delivery)”を同時並行で行う開発体制として注目されています。日本企業においても、これらを融合した「学習する開発組織」を構築することが、新規事業を成功に導く重要な鍵になるのです。
心理的安全性が鍵:挑戦を促す文化変革の条件
新規事業開発において、デザイン思考とプロトタイピングの効果を最大化するためには、「心理的安全性(Psychological Safety)」のある組織文化が不可欠です。どれほど優れた手法を導入しても、メンバーが「失敗を恐れて発言できない」環境では、創造的な学びは生まれません。
心理的安全性の概念は、Googleの研究チーム「Project Aristotle」が2015年に発表した調査で注目を集めました。同社は180以上のチームを分析し、最も高い成果を上げるチームの共通点は“心理的安全性”であると結論づけています。つまり、意見の対立や失敗を恐れずに率直に話せる環境こそ、イノベーションの基盤なのです。
心理的安全性を支える4つの要素
要素 | 内容 | 新規事業開発への効果 |
---|---|---|
発言の自由 | 誰でも意見を述べられる | 多様な視点が生まれる |
受容と尊重 | 否定されずに受け止められる | アイデアの量と質が向上 |
透明な意思決定 | 情報が共有される | チームの信頼関係が強化 |
学習志向 | 失敗から学ぶ姿勢 | 持続的な改善サイクルが定着 |
IDEOのディレクターであるキャスリン・バークレー氏も、「失敗は学習の副産物であり、デザイン思考の中核にある」と述べています。つまり、“失敗を許容する文化”がなければ、プロトタイピングの真価は発揮されないということです。
心理的安全性を育むマネジメント手法
1on1ミーティングの導入や、フィードバックを「評価」ではなく「共有」として行うなど、上司が“聞くリーダーシップ”を実践することが鍵です。日本マイクロソフトでは、心理的安全性を高めるための「リフレクション・セッション」を制度化し、メンバーが自らの学びを共有する文化を形成。これにより、新規事業提案数が1年で2倍に増加しました。
また、経営層が率先して「失敗談」をオープンに語ることも効果的です。富士通では役員が“挑戦の記録”を社内ポータルで公開し、挑戦そのものを称賛する仕組みを導入。失敗を共有できる風土が、挑戦の連鎖を生み出しています。
心理的安全性とは、単なる「優しさ」ではなく、「率直な対話と学習を支える信頼の構造」です。これがある組織は、試行錯誤を恐れず、結果として最も速く前進することができます。
未来志向の提言:日本企業が「学習する組織」へ進化するために
デザイン思考とプロトタイピングの融合が生み出す最大の価値は、「組織を学習する存在へと変える力」にあります。新規事業開発の現場では、不確実性や変化が常態化しており、過去の成功体験に依存したままでは競争優位を維持できません。今、日本企業に求められているのは、「計画して成功する組織」から「学びながら進化する組織」への転換です。
学習する組織への3ステップ
ステップ | 目的 | 実践のポイント |
---|---|---|
1. 思考の転換 | 完璧主義から実験志向へ | “小さく試す”文化を制度化 |
2. 知の共有化 | 個人の学びを組織知に変える | ナレッジ共有と振り返りの仕組み |
3. 継続的改善 | 学習ループを自走化 | OKR・アジャイル導入で反復を促進 |
トヨタ自動車の「カイゼン」文化は、まさにこの原則を体現しています。同社では現場主導の改善活動が年間60万件以上行われ、組織全体が“学習し続けるシステム”として機能しています。この仕組みを新規事業領域に応用することで、短期的な成功にとどまらず、中長期的な価値創出が可能になります。
デザイン経営の次のステージへ
経済産業省の「デザイン経営宣言」以降、多くの企業がデザイン思考を導入しましたが、次の課題は「一過性ではない運用」です。持続的に機能させるには、経営層・現場・顧客が“共に学ぶ”構造をつくることが不可欠です。
メルカリやリクルートでは、プロジェクト終了時に「ラーニングレビュー」を実施し、成功・失敗に関わらず学びをドキュメント化。これを全社共有し、次の事業アイデア創出につなげています。このような“知の再利用”がイノベーションの再現性を高めるのです。
日本企業の進化に向けて
これからの新規事業開発は、技術や資本の競争ではなく、学習スピードと適応力の競争になります。経営者が問いかけるべきは、「どうすれば成功するか」ではなく、「どうすればより速く学べるか」。
デザイン思考とプロトタイピングは、その答えを導くための“実践の知恵”です。心理的安全性の上に構築された学習文化を基盤に、挑戦を恐れず、失敗を糧に変え、共創を続ける企業こそが、次の時代の新規事業を切り拓く存在になるのです。