現代の企業経営は、人口減少、グローバル市場の激化、そして資本市場からのESG要請といった三重の圧力に直面しています。このような環境下で新規事業を成功に導くためには、従来の発想や均質的な組織体制では限界が明らかになってきました。そこで注目されるのが、ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンを意味するDEIです。

DEIは単なる社会的要請やCSR活動の延長ではなく、企業の競争力と持続的成長を支える戦略的基盤となりつつあります。マッキンゼーやBCGの調査によれば、経営層の多様性が高い企業は収益性やイノベーション創出力で顕著な優位性を発揮しており、逆に多様性を欠く企業は業績低迷のリスクを抱えることが明らかになっています。

さらに、資生堂やLIXILといった日本企業の先進事例は、DEIが経営戦略と結びつくことで具体的な成果を生み出すことを証明しています。一方で、日本全体としてはジェンダー・ギャップ指数で118位にとどまり、労働市場の二重構造など根深い課題を抱えています。こうした背景を踏まえ、本記事ではDEIの経済的インパクトをエビデンスと事例から分析し、日本企業が新規事業開発で競争優位を築くための戦略を提言します。

DEIの本質と新規事業開発との関係性

新規事業開発の現場では、従来の均質的な組織文化では対応できない課題が増えています。市場は多様化し、顧客ニーズも複雑化している中で、企業が新しい価値を生み出すためには、多様な視点と経験を持つ人材が不可欠です。そこで注目されるのが、ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンを意味するDEIです。

DEIは単なる人事施策にとどまらず、新規事業開発を推進するための戦略的基盤として機能します。ダイバーシティは多様な人材の存在そのものを示し、インクルージョンはそれらを活かす仕組みを整えること、そしてエクイティは機会の格差を是正するための制度的な調整を意味します。この3つが一体となることで、組織内の潜在力が引き出され、従来の枠を超えた発想が事業に結びつくのです。

実際に、世界的な調査では多様性を取り入れた組織ほど新しい事業の立ち上げに成功しやすい傾向が示されています。例えば、マッキンゼーの調査によれば、経営幹部のジェンダー多様性が高い企業は、低い企業に比べて業績が25%高い確率で収益性を上げています。また、ボストン コンサルティング グループの研究では、多様性の高い組織はイノベーションによる収益比率が19ポイント高いという結果が報告されています。

この背景には、異なる価値観や経験を持つ人材が組織に加わることで、問題解決のアプローチやアイデアの幅が広がるという効果があります。特に新規事業開発では「従来のやり方」に縛られない柔軟な発想が求められるため、DEIの推進が直接的に事業成果につながるのです。

さらに、日本企業にとっては人口減少や労働力不足が避けられない現実です。女性や高齢者、外国人など、これまで十分に活用されてこなかった人材を積極的に登用することは、新規事業を生み出すための重要な布石となります。こうした観点からも、DEIは経営戦略の一部として取り組むべきテーマであると言えるでしょう。

グローバル調査が示すDEIと事業成果の相関

DEIが企業の業績や新規事業開発に与える影響は、世界中の研究で裏付けられています。特に収益性やイノベーション創出において、多様性を重視する組織とそうでない組織の差は明確です。

マッキンゼーの「Diversity Wins」レポートによると、経営幹部におけるジェンダー多様性が上位25%に入る企業は、下位25%の企業よりも収益性が25%高い可能性を持っています。さらに、民族的・文化的多様性が高い企業では、その差が36%に達すると報告されています。つまり、多様性を取り込むことは単なる倫理的選択ではなく、経済的な合理性を持つ経営判断であることが示されています。

また、ボストン コンサルティング グループの調査「The Mix That Matters」では、経営層の多様性が平均以上の企業は、過去3年間に投入された新製品・サービスからの売上比率が45%に達し、平均以下の企業(26%)と比較して19ポイント高いという結果が出ています。これは、多様性がイノベーションの源泉となり、新規事業の創出や成長を加速させる力を持つことを示しています。

表:グローバル調査が示すDEIの経済的インパクト

調査機関指標成果への影響
マッキンゼー経営幹部のジェンダー多様性収益性 +25%
マッキンゼー経営幹部の文化的多様性収益性 +36%
BCG経営層の多様性スコアイノベーション収益 +19pt

さらに、DEI推進は人材確保にも直結します。インクルーシブな職場環境を整えることで、多様なバックグラウンドを持つ優秀な人材を惹きつけ、従業員エンゲージメントを高める効果が報告されています。ある調査では、DEIを推進する企業はそうでない企業に比べ、従業員定着率が19%高く、コラボレーションの水準も57%向上したとされています。

これらの結果から、DEIは企業の「付加的な取り組み」ではなく、業績向上と新規事業開発を推進するための必須条件であることがわかります。日本企業が今後グローバル市場で競争力を維持するためには、DEIを積極的に経営戦略に取り込むことが不可欠です。

日本企業が直面するDEIの構造的課題

世界的にDEIが経営戦略の中核として位置づけられる中、日本企業は大きな遅れを抱えています。その象徴が、世界経済フォーラムが発表するジェンダー・ギャップ指数です。2024年、日本は146カ国中118位と先進国の中で最下位という厳しい現実に直面しています。特に「経済参画と機会」や「政治参画」の項目で著しく低く、女性の管理職比率の低さや賃金格差が背景にあります。

データを見ても、日本の民間企業における女性管理職比率はわずか13.2%であり、欧米諸国の30〜40%と比べると大きな差があります。さらに、取締役会に占める女性比率も19%と低水準にとどまっており、経営層の均質性が際立っています。こうした均質的なリーダーシップは、異なる視点を経営に取り込む機会を制約し、結果として新規事業開発の停滞につながります。

指標日本OECD平均先進国上位
女性管理職比率13.2%約33%米国41%
取締役会の女性比率19%30%超フランス40%超
男性育休取得率17.1%北欧80%超

課題の背景には、日本特有の雇用システムがあります。正社員と非正規雇用の二重構造が女性のキャリア形成を阻害し、長時間労働を前提とした正社員モデルは育児や介護との両立を困難にしています。その結果、出産や育児を機に離職する女性が多く、再就職の際には非正規雇用に流れるケースが一般的です。この構造的な要因が、女性の管理職比率を押し下げる最大の要因となっています。

さらに、多くの企業ではDEIが経営戦略ではなくCSR活動の一部とみなされている傾向があります。実際に制度を導入しても、現場の無意識のバイアスや文化的な慣習が障壁となり、従業員が活用しにくい状況も見られます。ある調査では、DEI施策を導入していると回答した企業のうち41%が「社内に浸透していない」と認めています。

日本企業がDEIを推進するには、意識改革に加え雇用制度そのものを変革する必要があります。 表面的な数値目標ではなく、構造的課題に切り込み、多様な人材が活躍できる環境を整えることこそが新規事業開発の基盤となります。

先進企業のDEI戦略から学ぶ成功要因

日本全体としては遅れを取っている一方で、先進的な取り組みを進めている企業も存在します。資生堂、LIXIL、SCSK、大和証券グループ、丸井グループといった企業は、DEIを経営戦略に統合し、事業成果へとつなげています。

資生堂は、女性管理職比率41.1%という国内トップクラスの水準を実現しています。同社は「違いを愛そう」というスローガンを掲げ、女性リーダー育成プログラムや大学との共同研究を通じてDEIを科学的に検証し、長期的な戦略として組み込んでいます。

LIXILは「インクルージョンから始める」を方針とし、従業員リソースグループ(ERGs)を積極的に活用。聴覚障がいを持つ社員の意見を反映し、オンラインショールームに字幕サービスを導入するなど、多様性を事業開発に直結させています。

SCSKは「ウェルビーイング経営」としてDEIを位置づけ、社員の働きやすさと働きがいを両立させています。同性パートナーを配偶者と同等に扱う制度や思考の多様性を重視した人材配置など、独自の制度設計が特徴です。

大和証券グループは、男性育休取得率100%という大胆な目標を掲げ実現しました。給与全額保障制度によって利用のハードルを下げ、文化的な変革を実現させています。

丸井グループは、インクルージョンを事業モデルそのものに組み込みました。若年層や従来金融サービスから排除されがちだった顧客を新たに取り込み、持続的成長を達成しています。

これらの事例に共通するのは以下の3点です。

  • トップ経営層の強いコミットメント
  • 制度の導入だけでなく文化醸成に注力
  • DEIを新規事業や顧客価値創造に直結させる仕組み

先進企業はDEIを「人事の一施策」ではなく「経営の成長エンジン」として活用している点に大きな特徴があります。 日本企業全体がこの姿勢を取り入れることで、新規事業開発における競争優位を築くことが可能になるのです。

投資家が注目するDEIと企業価値の関係

近年、投資家の関心は財務指標だけでなく、企業の社会的価値や持続可能性に広がっています。その中で特に注目されるのがDEIです。ESG投資の潮流が強まる中、DEIは「S(社会)」の中核的要素として評価され、企業の長期的価値を左右する指標となっています。

日本市場では、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が「MSCI日本株女性活躍指数」や「Morningstarジェンダー・ダイバーシティ・ティルト指数」を採用しています。これにより、女性活躍推進に積極的な企業は資金流入を得やすく、逆に取り組みが不十分な企業は投資機会を逃すリスクがあります。つまり、DEIは資金調達コストや株価に直結する経営課題となっているのです。

また、2023年からは有価証券報告書で「女性管理職比率」「男性育休取得率」「男女間賃金格差」の開示が義務化され、透明性が制度として担保されるようになりました。企業間の比較が容易になることで、投資家はDEIへの取り組み姿勢を明確に評価できるようになっています。

さらに、議決権行使助言会社の動きも影響を与えています。グラス・ルイスは、日本企業の取締役会に女性がいない場合、取締役会議長の再任議案に反対を推奨する方針を打ち出しました。2026年以降は女性比率20%以上を求める方針も示しており、企業経営陣に対する圧力は一層強まる見通しです。

一方で、アメリカではDEI推進に対する逆風も見られます。保守的な州では「逆差別」との批判が高まり、規制が揺り戻される動きもあります。グローバルに事業を展開する企業は、各国の政治や社会情勢の変化を敏感に捉えることが重要です。

DEIはもはや理念ではなく、投資家が企業を評価するための「新たなものさし」です。取り組みが進む企業ほど市場からの信頼を獲得し、長期的な企業価値を高めることが可能になります。

DEIをイノベーションのエンジンに変える仕組みづくり

新規事業開発において重要なのは、顧客の潜在ニーズをいち早く捉え、従来にない製品やサービスを創出することです。ここでDEIは、単なる人材多様化の枠を超え、イノベーションのエンジンとして機能します。

丸井グループは、インクルージョンを事業モデルの中心に据え、金融サービスから排除されがちだった若者層を新たな顧客として取り込むことに成功しました。このように、従来見落とされてきた市場を開拓する力こそが、DEIの最大の事業的価値です。

仕組みとしては、以下の3点が有効です。

  • DEI推進部門と事業部門を連携させる
  • 社員の多様な声を吸い上げる仕組み(ERGsなど)を制度化する
  • 多様な人材の意見を製品開発やマーケティングに反映する

実際に、LIXILは従業員リソースグループから出た意見を基に、聴覚障がい者向けの字幕サービスをオンラインショールームに導入しました。これは顧客体験を向上させると同時に、新たな市場ニーズを掘り起こす具体例です。

また、イノベーションは異なる視点の衝突から生まれることが多いため、心理的安全性の高い環境を整えることも欠かせません。従業員が自由に発言できる文化があれば、異なる意見が新しい発想につながりやすくなります。

表:DEIがイノベーションに与える効果

施策期待される成果
多様な人材の登用新しい視点による問題解決
ERGsの活用顧客ニーズの発見と商品開発
心理的安全性の醸成自由な発想と創造性の発揮

DEIを単なる採用や数値目標にとどめず、事業戦略と連動させることで、持続的な新規事業開発の原動力となります。企業が真に競争優位を築くためには、この視点の転換が不可欠です。

日本企業が取るべき戦略的アプローチ

これまで見てきたように、DEIは新規事業開発の成果を高め、企業価値を持続的に成長させる要因となります。しかし、日本企業は構造的な課題を抱えているため、単なる施策の導入だけでは十分ではありません。求められるのは、経営戦略と一体化したDEIの推進です。

まず重要なのは、経営層のコミットメントです。トップマネジメントが明確に方向性を示し、進捗を数値化して公開することで、社内外に強いメッセージを発信できます。例えば、資生堂は2030年までに女性管理職比率50%を掲げ、ロードマップを開示することで投資家や従業員の信頼を獲得しています。

次に、制度の充実と文化醸成を同時に進める必要があります。育児休業制度やフレックスタイムなどの制度を整えても、現場に心理的な抵抗感が残れば活用されません。無意識のバイアスを減らす研修や、上司が率先して制度を利用する取り組みが文化定着のカギを握ります。

さらに、DEIを新規事業創出のプロセスに組み込むことが不可欠です。多様な社員の意見を反映できる場を設けることで、これまで見落とされてきた市場ニーズを発見できます。LIXILのように社員リソースグループを事業に接続する仕組みは有効な例です。

日本企業の戦略的アプローチ具体的な施策期待される効果
経営層の強いコミットメント数値目標・ロードマップの公開投資家・社員からの信頼獲得
制度と文化の両輪育休制度の利用促進、バイアス研修制度活用率向上と働きやすさ
新規事業開発との統合ERGsや多様な社員の意見反映新市場開拓と顧客体験の革新

加えて、サプライチェーンやパートナー企業にもDEIを広げる取り組みが必要です。取引先の多様性評価を調達基準に組み込むなど、エコシステム全体でインクルーシブな価値観を共有することで、事業基盤をさらに強固にできます。

日本企業が国際競争の中で優位に立つためには、DEIを「義務」ではなく「成長戦略」として再定義することが不可欠です。 この視点を持つことで、単なる人材施策にとどまらず、企業全体のイノベーション能力を底上げする原動力となります。