日本企業が長年培ってきた「改善」や「品質」の強みが、今や競争優位を維持する決定打にならなくなっています。世界市場の潮流は、製品や技術の優劣を競う時代から、どのような価値を誰に、どのような仕組みで届けるかというビジネスモデルの巧拙を競う時代へと完全に移行しました。

この変化の中で、多くの企業が直面しているのが「事業構造そのものを変えられない」という壁です。経済産業省が警鐘を鳴らす「2025年の崖」や、サステナビリティ・人口減少などの社会的要請は、もはや一部門の課題ではなく、企業存続を左右する経営課題です。

そこで注目されているのが、ビジネスモデル構築に強いストラテジストという新しい専門人材です。彼らは、経営者の描くビジョンを現実的な仕組みに落とし込み、IT・データ・デザインなど多様な要素を統合して事業を再構築する存在です。単なる戦略立案者ではなく、変化を設計し、実装する実務的なリーダーとしての役割が期待されています。

本記事では、VUCA時代における経営環境の変化とともに、なぜ今「ビジネスモデル戦略家(ストラテジスト)」が企業の生死を分ける存在となっているのかを、具体的な事例やエビデンスを交えて解説します。

ビジネスモデルが経営の主戦場になった理由

かつて日本企業の競争優位は、「品質」と「改善」に支えられていました。しかし、グローバル化とデジタル化の進展により、製品やサービスの差別化が難しくなり、企業間の競争軸は「何をつくるか」から「どのように儲けの仕組みを設計するか」へと完全に移行しました。いまや「ビジネスモデル」こそが企業の命運を分ける経営の主戦場なのです。

経済産業省の「2024年版 ものづくり白書」によると、日本企業の多くがDXを経営課題の最優先事項として掲げており、その背景には、既存の事業構造がもはや収益を支えきれないという現実があります。従来の「製品をつくって売る」という直線的モデルでは、市場の変化や顧客ニーズの多様化に対応しきれません。

ビジネスモデルとは、単なる収益の仕組みではなく、「誰に」「何を」「どのように提供し」「なぜ収益を上げられるのか」という、事業全体の論理構造です。スタンフォード大学の研究によれば、ビジネスモデルを定期的に見直す企業は、そうでない企業に比べて平均2.5倍の成長率を示すと報告されています。つまり、モデルの刷新は単なる戦略ではなく「経営体質の再設計」なのです。

近年の成功企業を見ても、その中心には革新的なビジネスモデルがあります。Netflixは、DVDレンタルから定額制ストリーミングへと転換し、リスクをチャンスに変えました。スターバックスは「コーヒーを売る会社」から「サードプレイスという体験を提供する企業」へと進化し、顧客ロイヤルティを高めています。

日本でも、富士フイルムが写真フィルム事業の衰退をきっかけに、自社技術を抽象化してヘルスケア分野に転用し、高収益企業へ転換した事例は象徴的です。これは、「製品」ではなく「価値提供の仕組み」を再設計する発想がいかに重要かを物語っています。

このように、ビジネスモデルはもはや経営戦略の一部ではなく、経営そのものを定義する中核構造になっています。今後の企業成長は、どれだけ優れた製品をつくるかではなく、どれだけ柔軟に「価値のつくり方」を変えられるかにかかっているのです。

日本企業が直面する構造的変化と「2025年の崖」

日本企業がいま直面している課題は、単なる景気変動ではありません。経済・技術・社会の構造そのものが変わり、これまでの成功モデルが通用しなくなっているのです。特に深刻なのが、経済産業省が提唱した「2025年の崖」問題です。これは、老朽化した基幹システムを刷新できないまま放置すれば、年間最大12兆円の経済損失が発生する可能性を示した警告です。

この問題の本質は、ITの老朽化ではなく、「ビジネスモデルの老朽化」にあります。レガシーシステムが新しいデジタル技術を阻み、データ活用を妨げることで、事業構造の変革を不可能にしているのです。

IPA(情報処理推進機構)の調査では、DXに取り組む日本企業の73.7%が「成果を出せていない」と回答しています。つまり、テクノロジーを導入しても、ビジネスモデルの再設計という根幹を変えなければ、真の変革は起こらないということです。

さらに、VUCA(変動・不確実・複雑・曖昧)な時代においては、未来を予測して計画を立てること自体が難しくなっています。日本能率協会の「経営課題2024」調査では、企業が抱える最重要テーマとして「事業基盤の再編」や「新製品・新事業の開発」が上位に挙げられています。

この変化に対応できる企業とできない企業の差は、「構造的柔軟性」の有無にあります。例えば、リクルートは紙媒体からSaaS型サービス(Airシリーズ)へと大胆に転換し、顧客との接点を「一時的な広告」から「業務支援インフラ」へと再定義しました。一方で、旧来の成功体験に縛られた企業は、環境変化に適応できず業績が低迷しています。

また、サステナビリティや人口減少といった社会的要請も無視できません。PwC Japanの調査では、日本の消費者のうち68%が「環境や社会に配慮する企業の商品を選びたい」と回答しており、これも企業のビジネスモデルを根底から変える圧力となっています。

こうした複合的な変化の中で必要なのは、「短期的な利益改善」ではなく、「持続可能な構造変革」です。つまり、ビジネスモデルを刷新し続ける力そのものが、企業の生存力になっているのです。

VUCA時代に必要とされる新しいストラテジスト像

VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代において、企業の戦略担当者に求められる役割は大きく変化しています。従来のように長期計画を立て、環境の安定を前提に戦略を策定する方法では、変化のスピードに対応できません。今の経営環境では、「未来を予測する」よりも「変化に適応し続ける」ことが求められるのです。

このような背景から登場したのが、「ビジネスモデル・ストラテジスト」と呼ばれる新しいタイプの戦略人材です。彼らは、単に市場分析を行うだけでなく、企業がどのように価値を創造し、どのような仕組みで利益を生み出すのかという全体設計を担います。つまり、経営の意思を「実装可能なビジネスモデル」に翻訳する設計者なのです。

経済産業省の「DXレポート2(2023)」によると、デジタル化を成功させている企業の多くは、経営層と技術部門をつなぐ「戦略人材」を社内に配置しており、その有無がDXの成果に大きく影響しています。つまり、戦略立案と実行を橋渡しできる人材こそ、これからの企業成長を支える鍵となります。

ストラテジストに求められるのは、単なる分析スキルではなく「仮説を素早く検証し、失敗から学び続けるアジャイル思考」です。成功している企業は、固定的な計画を捨て、実験的なアプローチを採用しています。たとえば、トヨタの「ウーブン・バイ・トヨタ」では、新たなモビリティ社会の実現に向けて、従来の製造業の枠を超えたソフトウェア主導の事業設計を行い、プロトタイプ開発を繰り返しながら事業モデルを進化させています。

また、VUCA環境では、一人のストラテジストに求められる専門領域も広がっています。IT・データ・デザインの知見を統合し、技術や顧客体験を含めた全体最適を設計する力が欠かせません。

ストラテジストの新しい役割をまとめると、次のようになります。

項目従来の戦略担当者現代のストラテジスト
主な目的計画の策定と管理変化に対応する事業設計
思考スタイル分析・予測型実験・仮説検証型
関与範囲経営企画・分析価値創造から実装まで
成功の基準計画達成度学習と変化のスピード

つまり、これからの時代に必要なのは、「計画を守る人」ではなく、「変化を設計する人」です。ビジネスモデル・ストラテジストは、予測不可能な未来の中で企業を導く「羅針盤」として、経営の中心的役割を担う存在になっているのです。

IT・データ・デザインを統合する戦略人材の台頭

デジタル技術の進化により、企業が価値を生み出す仕組みは劇的に変化しました。かつてのように「製品中心」で考えるのではなく、「データとデザインを軸に顧客体験を設計する」ことが競争力の源泉となっています。その中心にいるのが、IT、データ、デザインを統合して戦略を描く「統合型ストラテジスト」です。

このような人材の台頭は、企業の成功事例からも明らかです。たとえば、ユニクロの親会社であるファーストリテイリングは、グローバル全店舗をネットワークで結び、リアルタイムの販売データを活用して商品企画や在庫管理を最適化しています。これは、ITストラテジストとデータ戦略チームの連携による成果であり、テクノロジーと経営戦略を一体化した好例です。

また、メルカリはUXデザインを経営レベルで捉え、ユーザー体験を中心に事業全体を設計する「デザインストラテジー」を導入しました。出品から決済までの流れを極限まで簡略化し、ユーザーの不安や負担を軽減する仕組みを整えることで、新たな市場を創出しました。これは、顧客体験を中心に据えたビジネスモデル設計が企業価値を高めることを示す好例です。

さらに、情報処理推進機構(IPA)のスキル標準によれば、今後10年で最も需要が高まる専門職は「ITストラテジスト」と「データビジネスストラテジスト」とされています。これらの人材は、経営課題をデータで定義し、ITを活用して事業モデルを設計する能力を持つ人材です。

統合型ストラテジストには、次の3つの力が求められます。

  • IT活用による事業基盤設計力(クラウド、AI、API連携などの理解)
  • データから価値を導く分析力(顧客データ・行動データを事業戦略に転換)
  • デザイン思考による顧客体験の再設計力(UX/UI、カスタマージャーニーの理解)

これらの要素をバランスよく統合することで、企業は新たな収益源を創出し、競争優位を築けます。特にDXの本質は、テクノロジーの導入そのものではなく、「IT・データ・デザインを融合させて事業の仕組みを再構築すること」にあります。

つまり、未来の事業開発を牽引する人材とは、技術と経営、そして人間の感性をつなぐ存在です。こうした統合型ストラテジストの育成こそが、企業が持続的に成長するための最大の経営課題になっているのです。

成功企業が実践するビジネスモデル変革の共通点

ビジネスモデルの変革に成功する企業には、いくつかの共通した思考法と行動パターンがあります。単なる「新規事業の立ち上げ」ではなく、既存事業の前提を疑い、価値創造の仕組みそのものを再構築する発想が鍵となっています。富士フイルム、メルカリ、リクルートなどの成功企業の事例を通じて、その共通点を整理します。

まず第一に挙げられるのが、「中核技術や資産の再定義」です。富士フイルムは写真フィルムの衰退という危機の中で、自社の強みを「写真を撮る技術」ではなく、「化学・光学・ナノ技術」と再定義しました。その結果、医療・化粧品・高機能材料など成長市場への転換に成功しました。これは、自社のコアコンピタンスを抽象化し、新たな価値創造に再利用する力が企業変革の源泉であることを示しています。

次に重要なのが、「顧客の“本当の不”を解消する構造づくり」です。メルカリが急成長できたのは、C2C取引における「出品の手間」「決済の不安」「配送の煩雑さ」といったユーザーの心理的負担を、UXデザインと仕組みで徹底的に取り除いたからです。顧客の課題を体験起点で解決することが、新しい市場を生み出す原動力になっています。

さらに、リクルートの「Airシリーズ」に代表されるように、成功企業は「単発のサービス提供」から「顧客の事業運営そのものを支えるプラットフォーム」へと進化しています。これにより、一時的な取引関係から継続的なパートナー関係へと転換し、収益の安定化とデータ資産の蓄積を両立しています。

これらの成功事例には共通するフレームが存在します。

成功企業の共通要素具体的な行動例
中核技術の再定義富士フイルム:化学技術をヘルスケアに転用
顧客体験起点の設計メルカリ:不安・手間の除去による利用促進
価値提供構造の再構築リクルート:業務支援プラットフォーム化
継続的な実験と検証トヨタ:MaaS実験都市でのアジャイル実装
データ活用による意思決定ユニクロ:販売・在庫データのリアルタイム連携

これらの企業が示すように、ビジネスモデル変革とは「既存の延長線を最適化すること」ではなく、「新しい前提で事業を再構築すること」です。成功企業は例外なく、仮説検証を繰り返しながら、デジタルとリアルを統合した「変化対応型の経営構造」を築いているのです。

戦略を実装するための思考法とフレームワーク

優れた戦略も、実行されなければ意味がありません。そこで注目すべきは、戦略を「見える化」し、組織全体で共有し、実装までつなげるための思考法とフレームワークです。現代のストラテジストは、分析だけでなく「構想と実践」を往復できる思考力が求められています。

まず代表的なツールが「ビジネスモデル・キャンバス」です。これは、顧客セグメント、価値提案、チャネル、収益構造など9つの要素を一枚の図で整理するフレームワークです。全員が共通の視点で事業を俯瞰できる可視化ツールとして、社内外の共創を促進します。ネスレがコーヒービジネスを「マシン+カプセルのサブスクリプション型」に変えた際も、このフレームワークが戦略の共有に大きく貢献しました。

次に有効なのが「ブルーオーシャン戦略」です。既存市場(レッドオーシャン)での競争を避け、「まだ競争のない市場空間」を創り出す思考法です。QBハウスが「理髪店の常識」を捨て、10分カット専門という新市場を切り開いたように、「何を減らし、何を増やすか」という再構成の視点が新価値を生みます。

また、一橋大学・楠木建教授の『ストーリーとしての競争戦略』も、戦略実装の観点で重要です。楠木氏は「優れた戦略は、個別の施策ではなく、一貫した物語の連鎖である」と述べています。スターバックスが「第三の場所」というコンセプトに基づき、空間デザイン、接客、店舗運営まで統一した“ストーリー”を貫いたことで、模倣不可能な競争優位を築いたのは象徴的です。

加えて、戦略を組織に定着させるには、日本的経営思想との融合も有効です。稲盛和夫氏の「アメーバ経営」は、小集団ごとに採算責任を持たせ、戦略を現場に落とし込む実行モデルとして高い評価を受けています。また、早稲田大学の入山章栄教授が提唱する「知の探索と知の深化の両利き経営」も、既存事業の改善と新規事業の創造を両立させる上で欠かせません。

このようなフレームワークを活用することで、企業は「戦略を描く」だけでなく、「戦略を動かす」組織へと進化できます。つまり、優れたビジネスモデルとは、静的な設計図ではなく、変化の中で成長し続ける“動的な仕組み”なのです。

次世代リーダーへの提言:戦略的思考を組織に根付かせるには

企業が持続的な成長を遂げるためには、個々のストラテジストが優れているだけでなく、「戦略的に考える文化」そのものを組織全体に浸透させることが欠かせません。変化の激しい時代において、戦略は一部の経営企画部門が担うものではなく、あらゆる部門・階層が共有すべき「思考の習慣」なのです。

そのためには、個人と組織の双方における具体的なアプローチが必要です。

個人の視点:ストラテジストとしての自己変革

次世代リーダーを目指す個人には、まず「越境学習」の姿勢が求められます。自らの専門分野に閉じこもらず、他領域の知を意識的に取り入れることが、ビジネスモデル思考の基礎となります。たとえば、技術者がマーケティングを学び、財務担当がデザイン思考を学ぶことで、多面的な視点を持つ“知の統合者”へと進化できるのです。

また、理論だけでなく実践の場で戦略を磨くことが重要です。社内の新規事業プロジェクトへの参加やスタートアップへの兼業・出向など、現場でリスクを取る経験を積むことで、仮説思考と意思決定力が身につきます。さらに、優れたリーダーに共通するのは「本質的な問い」を立てる力です。「我々の事業の存在意義は何か」「顧客にとって真の価値とは何か」といった問いを繰り返し投げかける姿勢が、戦略的思考を鍛える最大のトレーニングになります。

組織の視点:戦略文化を根付かせる仕組み

一方、組織として重要なのは、個々の学びを「組織の知」に転換する仕組みづくりです。まず、部門間を越えた学び合いの場を設けることが有効です。アクセンチュアの調査によれば、「他部署とのコラボレーション機会が多い企業は、収益成長率が2倍高い」という結果が出ています。これは、知識の越境がイノベーションを生む証拠です。

さらに、戦略思考を評価指標に組み込み、成果だけでなく「思考の質」を可視化する文化も必要です。具体的には、KPIに「仮説提案数」「新規事業アイデア採用率」などの指標を設けることで、社員の挑戦行動を支援できます。

また、経営層が率先して戦略的対話をリードする姿勢も欠かせません。リーダーが「正解を指示する人」から「問いを投げかける人」へと変わることで、組織全体の思考の深さが一段と高まるのです。早稲田大学・入山章栄教授は、日本企業における課題として「知の探索不足」を指摘していますが、それを克服するには、リーダー自身が外部の知に触れ、多様な視点を受け入れる柔軟性を示すことが出発点となります。

戦略的思考を継続的に育むために

最終的に、戦略思考を根付かせるには、「制度」だけでなく「情熱」が必要です。三枝匡氏が説くように、戦略を実行するリーダーには、理論と現場を往復しながら変革をやり抜く覚悟が求められます。戦略とは、会議室で描く理想論ではなく、現場の現実を変える行動哲学なのです。

つまり、次世代のリーダーに必要なのは、知識でもスキルでもなく、「変革に向き合い続ける意志」です。その意志を個人の中に宿し、組織全体で共有することができたとき、企業は初めて“変わり続ける力”を手に入れるのです。