日本企業を取り巻く環境は、人口減少による市場縮小、技術革新のスピード化、そしてグローバル競争の激化により、かつてない変革を迫られています。既存事業の改善や効率化だけでは、もはや持続的成長を維持できません。そのため、企業の命運を握るのは「新たな事業を生み出す力」、すなわち新規事業開発のリーダーたちです。
しかし現実は厳しく、日本企業における新規事業の成功率はわずか7%前後にとどまります。多くの企業で「何をもって成功とするか」が曖昧なままプロジェクトが進行し、明確なゴールや責任の所在が不明確なまま頓挫してしまうケースも少なくありません。こうした不確実性の霧の中で、事業の方向を定め、組織を動かし、成果へと導く強い推進力を持つ「新規事業リーダー」の存在こそが、今もっとも必要とされています。
本記事では、最新の調査データや企業事例、有識者の理論をもとに、新規事業リーダーに求められる資質とスキル、育成の方法、そして組織が取るべき支援戦略を体系的に解説します。実践的な知見を通じて、「人材の壁」を突破する具体的なロードマップを提示します。
なぜ今「新規事業リーダー」の育成が日本企業にとって急務なのか

日本企業は、少子高齢化に伴う国内市場の縮小、グローバル競争の激化、技術進化のスピードアップといった構造的変化に直面しています。従来の「改善による成長モデル」は限界を迎え、新しい収益源を創出する新規事業開発が、企業の存続を左右するテーマになっています。
しかし、現実は厳しく、調査によると新規事業の成功率はわずか7%程度に過ぎません。約93%の企業が途中で頓挫しており、その主因として「明確な成功定義がないまま事業を始めてしまう」構造的問題が指摘されています。多くの企業では、ゴールが曖昧なままプロジェクトが進行し、リーダーは霧の中で方向を見失うような状況に置かれているのです。
一方、海外では企業内から新規事業を継続的に生み出す仕組みが整備され、Googleの「20%ルール」や3Mの「15%カルチャー」に代表されるように、社員の自発的な挑戦を制度として支える文化が根付いています。これに対し日本企業では、挑戦よりも「失敗回避」を優先する評価制度や組織風土が根強く、挑戦の芽を摘む構造が温存されています。
その結果、革新的な発想や実行力を備えた人材は外部へ流出し、社内で新規事業を牽引できる「リーダー人材」の不足が深刻化しています。パーソル総合研究所の調査によれば、新規事業担当者が挙げる最大の課題の一つが「推進できる人材の不足」であり、企業側の人材育成投資が十分でない現実が浮き彫りになっています。
このような背景のもとで、経営と現場の両方を理解し、不確実な環境下でも意思決定と実行を繰り返せる新規事業リーダーの存在がかつてなく重要視されています。彼らは単なるマネージャーではなく、事業構想力・巻き込み力・リスクマネジメントを兼ね備えた「企業変革の推進者」です。つまり今求められているのは、「リーダー育成の仕組み」を整えることではなく、「リーダーを生み出せる文化」を企業全体で醸成することなのです。
成功するリーダーの人物像:マインドセットとスキルセットの全体像
不確実性の高い新規事業開発の世界で成果を上げるリーダーには、共通する思考特性とスキル体系があります。彼らは一言でいえば、「未来を描き、現実に落とし込む力」を持つ人材です。その資質は、内面的なマインドセットと外面的なスキルセットの両輪から成り立っています。
成功するリーダーに共通する要素
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| マインドセット | 不確実性の許容力、チャレンジ精神、粘り強さ、ビジョン志向、倫理的動機 |
| スキルセット(ハード) | 市場分析力、ビジネスモデル構築力、財務・法務知識、技術・デザイン理解 |
| スキルセット(ソフト) | リーダーシップ、交渉力、チームマネジメント、課題発見・意思決定力 |
まず、不確実性を前提に行動できる精神的耐性が不可欠です。成功するリーダーは、完璧な情報を待たずに仮説検証を繰り返し、リスクを管理しながら前進します。また、「失敗=成長の糧」という姿勢を持ち、逆境を糧に学び続ける強さを備えています。
加えて、明確なビジョンを描き、それを情熱をもって語れる力がチームを牽引します。リンクアンドモチベーションの麻野耕司氏の指摘によると、他者を動かすリーダーに共通するのは「動機が善であること」です。私利私欲ではなく、「この事業が社会をどう良くするのか」を語れる人こそ、共感と支援を得られるのです。
一方で、論理的な思考と現実的なコスト感覚も重要です。限られた予算の中で効果検証を行い、最小リソースで成果を出すリーン思考は、新規事業成功率を大きく左右します。
さらに、リーダーは「翻訳者」としての役割も果たします。経営層が語る抽象的なビジョンを現場が理解できる言葉に落とし込み、現場から上がる技術的な課題を経営的視点で整理して報告する。異なる専門性を結びつけ、対立する論理を調和させる力が、リーダーの真価なのです。
このように、新規事業リーダーは「知」と「情」と「胆」を兼ね備えた存在であり、単なる管理者ではなく、変革の触媒として企業の未来を切り開く中心人物なのです。
社内起業家(イントレプレナー)という存在

新規事業リーダーの理想像を語る上で欠かせないのが「イントレプレナー(社内起業家)」という概念です。これは、大企業に所属しながらも、起業家のように自律的に新規事業を推進する人材を指します。単なるプロジェクト担当者ではなく、事業機会の発見から構想、実行、そして成長までを一貫して担う、経営者的な視点を持った存在です。
イントレプレナーは、独立起業家(アントレプレナー)とは異なり、企業の資金、ブランド、販売網、人材といった豊富なリソースを活用できる点が大きな強みです。例えばトヨタやパナソニックなどでは、既存事業の枠を超えた新規事業を社内で立ち上げるための「CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)」制度や、社内公募制プロジェクトを導入し、イントレプレナーを制度的に支援しています。
しかし、その一方で大企業特有の壁も存在します。意思決定の遅さ、リスクを嫌う文化、部門間の利害対立といった課題が、しばしば挑戦の足かせになります。イントレプレナーはこれらの障壁を乗り越えるために、社内外の多様なステークホルダーを巻き込み、信頼関係を築きながら前進する必要があります。
イントレプレナーに求められる主なスキル
| スキル領域 | 内容 |
|---|---|
| 経営的思考力 | 事業全体を俯瞰し、利益構造や成長戦略を描く力 |
| 組織調整力 | 上層部や他部署を巻き込み、合意形成を導く力 |
| 実行力 | アイデアを検証し、PDCAを回しながら具現化する力 |
| 社内政治力 | 企業文化を理解し、制度の制約を乗り越える交渉力 |
このようにイントレプレナーには、起業家精神と組織内調整力の両立が求められます。米国の経営学者ギフォード・ピンチョットが1980年代に提唱した「イントレプレナーシップ」は、いまや日本企業でも注目を集めています。特にDX(デジタルトランスフォーメーション)や脱炭素などの新領域では、社内の技術・ノウハウを活かしながら事業を再構築できる人材こそが企業変革の中核を担うのです。
イントレプレナーは、既存組織のルールを破壊する「破壊者」ではなく、組織を活かしながら新しい価値を創造する「橋渡し役」です。その存在は、企業の未来を形づくる重要なエンジンといえます。
必須の資質とマインドセット
多くの調査や専門家の分析から、成功する新規事業リーダーに共通する資質とマインドセットが明らかになっています。これらは単なるスキルではなく、個人の深層的価値観や行動様式に根差した特性です。
成功するリーダーに共通するマインド
- 不確実性の許容力
- チャレンジ精神と粘り強さ
- ビジョンと目的意識
- 倫理的な動機(善意の動機)
まず、不確実性の許容力が欠かせません。新規事業は市場ニーズや技術の成熟度が不透明なまま進行します。成功するリーダーは「完全な情報」を待たず、仮説検証を繰り返しながら前進します。スタンフォード大学の研究によると、イノベーティブなリーダーは「曖昧さ耐性」が高く、失敗を恐れずに意思決定を行う傾向があると報告されています。
また、挑戦への姿勢も重要です。日本政策金融公庫の調査では、成功した新規事業責任者の約8割が「失敗を学びに変える文化」を自らチームに根付かせていると回答しています。困難な局面で逃げずに挑み続ける「粘り強さ」は、成功と失敗を分ける最大の要素といえるでしょう。
さらに、ビジョンと目的意識も欠かせません。なぜその事業をやるのか、どんな社会的意義を持つのかを明確に語れるリーダーほど、社内外からの共感を得やすくなります。リンクアンドモチベーションの麻野耕司氏も、「動機が善であることが人を動かす原点」と述べています。
最後に、倫理観と人間力が伴わなければ、長期的な信頼は得られません。短期的な成果だけを追うのではなく、社会全体へのポジティブな影響を意識する視座を持つことが、真のリーダーの条件です。
このように、新規事業リーダーに必要なのは知識やスキル以上に、「不確実性を愉しみ、情熱を持って未来を描く力」です。マインドセットが行動を生み、行動が成果を生み出す。その連鎖こそが、イノベーションを生み出す原動力となるのです。
OJTと越境学習による実践的リーダー育成

新規事業リーダーは、生まれつきの才能で務まるものではありません。多くの成功事例が示すように、意図的に設計された「経験のデザイン」によって育成されます。その中心にあるのが、進化したOJT(On-the-Job Training)と、社外経験を通じて視野を拡張する越境学習です。
計画的OJTとメンター制度
従来のOJTは業務習熟に重点を置いていましたが、新規事業リーダーに求められるのは「未知に挑む力」を養うOJTです。トヨタ自動車では配属後3年間に「職場先輩制度」を導入し、メンターが伴走して支援します。また、ヤマト運輸では新人ドライバーに先輩が同乗し、現場での課題解決力と責任感を育てる研修を実施しています。
このように、場当たり的ではなく意図的に設計されたOJTこそ、次世代リーダーの基盤を形成します。重要なのは、メンターが単なる指導者ではなく、挑戦を後押しし、失敗を振り返る「リフレクションの促進者」として機能することです。
ストレッチ・アサインメント(修羅場体験)
経営学の分野では、リーダーシップ成長の重要因子として「修羅場体験」が注目されています。本人の能力を少し上回る困難な課題をあえて任せることで、問題解決力・精神的耐性・意思決定の胆力が磨かれるのです。経営者アンケートでも「越境学習」や「責任ある経験」が最も成長を促す要因として挙げられています。
トヨタや日立製作所では、若手をあえて異業種プロジェクトや海外拠点に派遣し、社内の枠組みを超えた課題解決に挑ませています。これにより、リーダーは自社の常識にとらわれない新しい視点を獲得し、変革に強いマインドを身につけます。
越境学習による視野拡張
パーソル総合研究所の調査では、副業・兼業や他社出向といった越境経験を持つ人材の方が、新規事業での成果・創造性のスコアが平均で1.4倍高いと報告されています。スタートアップ出向やNPOでのプロボノ活動は、社内では得られないスピード感や意思決定のリアリティを体験できる貴重な機会です。
このように、現場でのOJTと外の世界での越境学習を組み合わせることが、真に実践的なリーダー育成の鍵となります。組織は単に教育機会を提供するだけでなく、「挑戦の設計者」として学習の場を戦略的に設計することが求められます。
制度と文化でリーダーを支える組織エコシステムの構築
どれほど優秀な人材を採用・育成しても、組織の仕組みが挑戦を阻むようでは成果は生まれません。リーダーを生かすのは、個人の能力ではなく、組織の設計思想です。近年では、リクルートの「Ring」やソニーの社内公募制度など、制度と文化を連動させた取り組みが注目を集めています。
社内公募制度と人材流動性
ソニーの社内公募制度は、社員が自ら希望する部門に異動できる仕組みであり、「自律的キャリア形成」と「部門間流動性」の両立を実現しています。こうした制度は、社員が挑戦の機会を主体的に掴む文化を育み、結果として多様な経験を持つリーダー候補のプール形成につながります。
リクルートの「Ring」は、アイデア公募段階では全社員に門戸を開き(インキュベーション的)、事業化段階では既存事業部と連携(インテグレーション的)するハイブリッド型制度です。これにより、創造性と実行力を兼ね備えたリーダーが生まれる仕組みを実現しています。
評価制度と心理的安全性
パーソル総合研究所の調査によれば、新規事業担当者が抱える組織課題の上位には「意思決定スピードの遅さ」と「挑戦を評価しない制度」が挙げられています。多くの企業では、既存事業の利益基準に基づく評価制度が、新しい挑戦を萎縮させているのです。
そこで注目されているのが、Googleの「OKR」やユニリーバの「フレームレス評価」に見られるような、挑戦プロセスそのものを評価する仕組みです。結果だけでなく、仮説検証のスピードやチーム連携の質を可視化して評価することで、挑戦が正当に認められる文化が育ちます。
リーダーが成長する文化の条件
リーダーを育む組織の共通点は、以下の3点に集約されます。
- 失敗を学びに変える心理的安全性がある
- 部門を越えて協働する越境文化がある
- 経営層が人材育成を「投資」として捉えている
こうした文化が醸成された組織では、リーダーは失敗を恐れず挑戦し、仲間を巻き込みながら事業を推進します。制度が挑戦を支え、文化が挑戦を称える――その連鎖こそがイノベーションを生むエコシステムなのです。
新規事業リーダー育成における経営層の役割
リーダーを育てる最大の鍵は、経営層が「支援者」ではなく「共創者」として関わる姿勢にあります。現場任せの育成では、挑戦の継続が難しく、真に企業文化として根付くことはありません。経営トップが明確な意志を示し、戦略的に人材投資を行うことが、持続的なイノベーション体制の礎となります。
経営層の関与が生む「挑戦の正当性」
経営層が新規事業に関与する最も大きな効果は、挑戦に対する正当性を組織に与えることです。経営トップが「失敗を恐れずに挑戦せよ」と明言すれば、それは企業文化の方向性を示す強力なメッセージとなります。三菱ケミカルグループの新規事業部門では、役員クラスがメンターとして若手チームに伴走する制度を導入。経営層の後押しにより、現場の意思決定スピードが向上し、事業化率が前年比1.6倍に上昇しました。
さらに、経営層がプロジェクトの初期段階から議論に参加することで、「経営戦略と現場アイデアの整合性」が高まります。これにより、現場主導のボトムアップ型アイデアが経営視点で磨かれ、実行可能な形にブラッシュアップされるのです。
メンターとしての経営層
成功する企業では、経営層が単に承認者ではなく、メンター的存在として新規事業人材を育成しています。リクルートホールディングスでは、役員が定期的に若手の事業構想レビューに参加し、事業判断の思考プロセスを共有しています。この「対話の場」は、単なる評価の場ではなく、リーダー候補に意思決定のリアリティを体感させる学びの場となっています。
また、アクセンチュアの調査によると、新規事業が成功した企業の約7割が「経営層が人材育成に毎月関与している」と回答しています。これは「経営人材の育成」と「事業の成功確率」が密接に連動していることを示すデータです。
経営層の姿勢ひとつで、組織は挑戦に寛容にも抑圧的にもなります。リーダーを育てたいなら、まず経営層自らが「学び続ける姿勢」を体現することが求められます。
育成から定着へ:企業全体での仕組み化
新規事業リーダーの育成は、一過性の研修や派遣で終わるものではありません。重要なのは、育成されたリーダーが社内で継続的に挑戦できる仕組みをつくることです。これにより、個人の成長が組織の資産へと転換され、イノベーションが持続的に生まれる文化が形成されます。
リーダーを循環させる仕組み
成功企業に共通するのは、「育てたリーダーを再び挑戦の場へ戻す循環構造」が存在する点です。ソニーでは、社内新規事業プログラム「Seed Acceleration Program(SAP)」の経験者が、次期プロジェクトのメンターや審査員として関わる仕組みを構築しています。これにより、経験知が組織内で共有・再利用され、学習する組織としての再現性が高まります。
また、トヨタ自動車では「社内起業家経験者ネットワーク」を設立し、挑戦経験を持つ社員が横断的に支援し合うコミュニティを運営しています。経験者同士が知見を共有し、新たなプロジェクトに知的資産として還元する仕組みが整っています。
組織設計とインセンティブの工夫
育成したリーダーを組織に定着させるためには、評価と報酬の仕組みも見直す必要があります。成果だけでなく、「挑戦の質」や「社内への貢献度」を評価する制度を導入することで、リーダーのモチベーション維持につながります。KDDIでは「チャレンジポイント制度」を導入し、新規事業提案や越境活動に応じてポイントを付与。これが昇格や評価に反映される仕組みとなっています。
「個の成長」を「組織の学び」へ
人材育成を成功させる企業は、個人の成長を組織の成長に変換する「ナレッジマネジメント構造」を備えています。例えば、三井住友銀行では新規事業プロジェクトの知見を「社内ナレッジプラットフォーム」で体系化し、全社員がアクセスできるようにしています。これにより、挑戦の経験が個人で終わらず、次世代リーダーの教材となるのです。
リーダーが育ち、挑戦が続き、知見が循環する組織こそが、真のイノベーション体質企業。 育成と定着を両輪で設計することが、企業の未来を切り開く最も確実な道です。
