新規事業開発は、企業にとって未来を切り拓く最前線です。しかし、挑戦の連続であるこの領域では、才能や経験の有無よりも、努力を継続できるかどうかが成功を大きく左右します。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授が提唱する「成長型マインドセット」は、能力は努力で伸ばせるという信念が挑戦意欲を高め、失敗を学びに変えることを示しました。
また、ペンシルベニア大学のアンジェラ・ダックワース教授が提唱した「グリット」は、長期的な情熱と粘り強さが成果を予測する強力な指標であることを実証しています。一方で、日本企業には「根性論」に基づく非生産的な努力がいまだに残り、モチベーション低下や燃え尽き症候群を招くリスクがあります。
これからの新規事業開発リーダーに求められるのは、単なる努力の強要ではなく、心理的安全性を確保し、失敗から学ぶ文化を醸成することです。本記事では、グロースマインドセットとグリットを活用した実践的なマネジメント手法や、若手人材の成長意欲に応える組織設計、先進企業の事例までを網羅し、挑戦が当たり前になる環境づくりの具体策をお伝えします。
挑戦と努力が新規事業開発の成功を左右する理由

新規事業開発は、予測不可能な市場環境と高い不確実性の中で進められる挑戦です。そのため、既存事業の延長線上にある効率的なオペレーションとは異なり、数多くの試行錯誤や失敗を経ながら進化していきます。成功している企業の多くは、才能のある少数のスター人材に頼るのではなく、組織全体で挑戦を支え、努力を称賛する文化をつくり上げています。
心理学者キャロル・ドゥエック教授が提唱する「成長型マインドセット」の研究では、能力は固定的ではなく努力で伸ばせるという信念を持つ人ほど、新しい課題に積極的に取り組み、失敗から学ぶ姿勢が強いことが示されています。
実際、スタンフォード大学の研究では、成長型マインドセットを持つ学生は、固定型マインドセットを持つ学生に比べて成績向上率が高いという結果が出ています。これはビジネス現場にもそのまま当てはまり、未知の課題に挑戦する新規事業開発においては、成長型マインドセットが大きな武器となります。
さらに、アンジェラ・ダックワース教授が提唱する「グリット(やり抜く力)」も重要な要素です。才能が同等であっても、長期的な目標に対して情熱と粘り強さを持ち続ける人ほど、高い成果を上げる傾向があります。米国陸軍士官学校の研究では、学業成績や身体能力よりもグリットのスコアが卒業率を強く予測したというデータが報告されています。
挑戦と努力を重視する文化を持つ組織は、次のような特徴を備えています。
- 失敗を罰するのではなく、学びとして共有する
- 努力やプロセスを評価し、称賛する
- リスクを取る行動を奨励する心理的安全性がある
- 短期的成果よりも長期的成長を重視する
これらの特徴は、イノベーションの芽を絶やさず育てるために不可欠です。新規事業開発は一度の成功で終わるものではなく、継続的な試行錯誤と努力の積み重ねで進化します。だからこそ、挑戦と努力が成功の最大のドライバーになるのです。
成長型マインドセットが生む挑戦意欲と学習サイクル
成長型マインドセットは、個人と組織に挑戦への前向きな姿勢をもたらします。この考え方を取り入れた人々は、失敗を能力の欠如ではなく学びの機会として捉えるため、困難な状況でも諦めず行動し続けます。この心理的態度が、持続的な成長とイノベーションを生み出す原動力となります。
成長型マインドセットと固定型マインドセットの違いは以下の通りです。
側面 | 固定型マインドセット | 成長型マインドセット |
---|---|---|
能力観 | 能力は生まれつきで変わらない | 能力は努力と経験で伸ばせる |
挑戦への態度 | 失敗を恐れ挑戦を避ける | 困難を成長の機会と捉える |
批判への反応 | 批判を個人攻撃と感じる | フィードバックとして受け入れる |
他者の成功 | 脅威に感じる | 学びや刺激として取り入れる |
このようなマインドセットを持つことで、チーム全体が挑戦を恐れず、積極的に実験を行う文化が醸成されます。Googleが実施した「プロジェクト・アリストテレス」の調査でも、生産性の高いチームの共通要素として「心理的安全性」が最も重要であると結論づけられています。心理的安全性は、成長型マインドセットと相互に補完し合う関係にあり、メンバーが失敗や疑問を安心して共有できる環境を整えます。
また、成長型マインドセットを浸透させるためには、リーダーの姿勢が重要です。単に「努力を褒める」だけではなく、その努力がどのような戦略や学びに基づいて行われたかを具体的に評価する必要があります。これにより、チームは結果ではなくプロセスに価値を見出し、改善と挑戦のサイクルを回し続けます。
この学習サイクルが機能すると、組織は失敗からの回復が早くなり、より多くのイノベーションを生み出せるようになります。成長型マインドセットは単なる精神論ではなく、科学的根拠に基づく実践的なフレームワークとして、新規事業開発に大きな力を発揮します。
グリット理論が示す「情熱と粘り強さ」の力

新規事業開発は短期決戦ではなく、長期的な挑戦です。そこで重要となるのが、ペンシルベニア大学の心理学者アンジェラ・ダックワース教授が提唱した「グリット」という概念です。グリットとは、単なる一時的な頑張りではなく、情熱(Passion)と粘り強さ(Perseverance)の組み合わせを指します。この二つが揃って初めて、長期間にわたり一つの目標にコミットし続ける力が生まれます。
ダックワース教授は「才能×努力=スキル」「スキル×努力=達成」という二つの方程式を示し、努力が才能をスキルへと変え、さらに成果を生み出すために再度努力が必要になると説明しています。つまり努力は二重に評価されるべき存在であり、才能以上に結果を左右する増幅器です。
研究データもその重要性を裏付けています。米国陸軍士官学校の調査では、学業成績や身体能力よりもグリットのスコアが候補生の卒業率を強く予測しました。営業職においても、グリットの高い人材ほど離職率が低く、目標達成率が高い傾向が見られます。さらに、シカゴの公立学校の調査では、家庭環境や標準テストのスコアに関係なく、グリットが高い生徒ほど卒業率が高いことが示されました。
グリットを構成する要素は次の4つに整理できます。
心理的資産 | 内容 |
---|---|
興味 | 心から楽しめる対象を見つける |
練習 | 弱点を特定し改善する意図的な練習 |
目的 | 自分の努力が他者や社会に貢献すると信じる |
希望 | 未来は自分の行動で変えられるという楽観的信念 |
新規事業開発リーダーは、チームが停滞したときに「興味は維持されているか」「試行錯誤は効果的か」「目的を見失っていないか」「希望を持てているか」を問い直すことで、問題を具体的な課題として再設計できます。グリットは先天的な資質ではなく、組織文化とリーダーシップによって育成可能な能力である点も重要です。
日本企業が抱える「根性論」の罠と生産性への影響
日本企業には、努力を重んじる文化が深く根付いていますが、その努力が合理性を欠く「根性論」として表れると、かえって新規事業開発の阻害要因となります。根性論とは、論理や戦略を無視し「気合」「忍耐」だけで問題を解決しようとする考え方です。ここでは長時間労働や自己犠牲が美徳とされ、成果よりも「頑張っている姿勢」が評価される傾向があります。
この文化が続くと、次のような弊害が生じます。
- 問題解決が精神論に終始し、非効率なプロセスが温存される
- 失敗の原因が「努力不足」に矮小化され、戦略や仕組みの欠陥が放置される
- 従業員が成果を実感できず、モチベーションが低下する
- 過剰な労働負荷によって燃え尽き症候群が発生し、人材流出が加速する
特に年功序列型のマネジメントが残る企業では、昭和的な「とにかく頑張れ」という指示が若手社員の価値観と衝突し、成長機会を求める人材が離職するリスクが高まります。
戦略的な努力と根性論の違いを明確にするために、次のような比較が役立ちます。
側面 | 戦略的グリット | 根性論 |
---|---|---|
目標 | 長期的で明確なビジョンに基づく | 目の前の困難に耐えることが目的化 |
アプローチ | 学習と改善を重視 | 気合と忍耐で乗り切る |
評価 | プロセスと学びを評価 | 時間と労力の多さを評価 |
結果 | イノベーションと持続的成長 | 生産性低下と人材疲弊 |
新規事業開発において必要なのは、精神論ではなく、明確なビジョンと学習サイクルに基づく努力です。リーダーは、チームに求める行動が「未来を創るための戦略的挑戦」なのか、それとも「過去を守るための根性試し」なのかを常に問い直す必要があります。これにより、無駄な努力を排除し、創造的な挑戦に集中できる環境が整います。
心理的安全性が挑戦文化の土台になる

新規事業開発では、挑戦と失敗を繰り返すプロセスが不可欠です。しかし、失敗が罰せられる環境では、誰も新しいアイデアを提案しようとしません。ここで重要となるのが、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が提唱した「心理的安全性」の概念です。
心理的安全性とは、チームの中で対人リスクを取ることが安全だと信じられる状態を指します。アイデアの発表や失敗の共有をしても、恥をかかされたり、キャリアに悪影響が及んだりしないという信頼感があることで、メンバーは積極的に発言し行動できます。
Googleが実施した大規模調査「プロジェクト・アリストテレス」では、生産性の高いチームに共通する最大の要因が心理的安全性であると結論づけられました。メンバー全員が安心して意見を言える環境が、創造的なアイデアの交換と素早い問題解決を可能にします。
心理的安全性を高めるために有効な実践は以下の通りです。
- 上司が率先してミスや課題を共有する
- 意見の相違や反対意見を歓迎する
- 建設的フィードバックをポジティブに伝える
- 会議で全員に発言機会を与える
心理的安全性が確保されると、メンバーは失敗を恐れず試行錯誤に挑戦し、フィードバックを積極的に求めるようになります。これにより、成長型マインドセットの行動サイクルが回り出し、学習と改善のスピードが加速します。結果として、プロジェクトのリスクは早期に発見され、致命的な失敗を未然に防ぐことができるのです。
成長を促すマネジメントシステム:1on1・OKR・アンラーニング
心理的安全性が整った環境では、次に組織として成長を加速させる仕組みを導入することが重要です。代表的なものが1on1ミーティング、OKR、そしてアンラーニングです。
1on1ミーティングは、従来の評価面談とは異なり、部下の成長支援を目的とした対話です。上司が話すのではなく、部下の話を傾聴し、課題やキャリア目標を一緒に整理します。リクルートやメルカリでは週1回30分の1on1を全社で制度化しており、これが従業員エンゲージメント向上に寄与していることがデータで示されています。
OKR(Objectives and Key Results)は、挑戦的な目標を設定し、組織全体で共有する仕組みです。達成率70%程度を目標とすることで、失敗を恐れず挑戦できる文化が醸成されます。また、チーム間で目標が可視化されることで、協力体制が強化され、心理的安全性も高まります。
アンラーニングは、過去の成功体験や古い慣習を意識的に捨て去る取り組みです。VUCA時代においては、新しい知識を学ぶだけでなく、時代遅れになったやり方を手放すことが競争力維持に不可欠です。経営者が率先して「昨日の成功法則は今日も通用するとは限らない」と示すことで、組織全体が柔軟に変化を受け入れやすくなります。
これらのマネジメントシステムを組み合わせることで、学習と挑戦が日常業務の中に組み込まれ、グロースマインドセットとグリットが自然に育つエコシステムが完成します。単なる制度導入ではなく、心理的安全性を前提にした運用が成功のカギとなります。
若手人材の価値観変化と「成長ギャップ」への対応
近年、若手人材の価値観は大きく変化しています。終身雇用や年功序列を前提とした働き方よりも、成長機会や自己実現を重視する傾向が強まっています。リクルートワークス研究所の調査によると、20代の約70%が「新しいスキルを学べる環境」を転職理由として挙げており、給与や待遇よりも成長機会を優先するケースが増えています。
一方、企業側が提供するキャリアパスや教育機会が十分でない場合、「成長ギャップ」が生じます。これは、従業員が望む成長スピードと、組織が提供できる機会との間に差がある状態を指します。このギャップが大きいと、優秀な若手ほど早期離職する傾向が強まり、人材投資の回収前に流出するリスクが高まります。
成長ギャップに対応するためのポイントは以下の通りです。
- 個々のキャリア目標を明確にし、上司と共有する機会をつくる
- ストレッチ課題を与え、達成可能な挑戦を経験させる
- メンター制度やジョブローテーションで多様な経験を提供する
- 成果だけでなく学習や改善のプロセスを評価に反映させる
また、若手人材は仕事を通じて「社会的意義」を感じることを重視する傾向があります。パーパス経営やSDGsへの取り組みを明確に発信することで、組織の方向性と個人の価値観を重ね合わせ、エンゲージメントを高めることが可能です。
成長ギャップを埋める施策は、単なる人材定着策ではなく、組織全体の学習能力を高める投資と捉えることが重要です。若手の挑戦意欲を引き出し、持続的に成長できる環境を整えることで、新規事業開発の推進力が高まります。
事例で学ぶ:挑戦文化を制度化した先進企業の取り組み
挑戦文化を根付かせるには、単発の施策ではなく制度として仕組み化することが不可欠です。ここでは、国内外の先進企業の事例から学べるポイントを紹介します。
日本企業では、サイバーエージェントの「ジギョつく」が有名です。社員が新規事業アイデアを提案できる社内コンテストで、採択された案件には予算と人員が割り当てられます。これにより、若手社員でも自分のアイデアを事業化できるチャンスがあり、組織全体に挑戦する文化が浸透しています。
海外では、Googleの「20%ルール」が象徴的です。業務時間の20%を本来の業務以外のプロジェクトに使える仕組みで、GmailやGoogle Newsといった革新的サービスがこの制度から生まれました。社員が自発的にプロジェクトを立ち上げることで、挑戦意欲と創造性が高まり、失敗を恐れないカルチャーが醸成されます。
挑戦文化を制度化する際の成功要因は次の通りです。
- 経営層が挑戦を後押しする明確なメッセージを出す
- 失敗してもキャリアに傷がつかない評価制度を整える
- 成功・失敗事例を社内で共有し、学びの機会に変える
- アイデアから事業化までのプロセスをスピーディに回す
制度化のポイントは、社員の挑戦を一過性のイベントで終わらせず、日常業務の中に埋め込むことです。こうした取り組みは、組織全体の士気を高めるだけでなく、優秀な人材の流入・定着にもつながります。結果として、新規事業開発のパイプラインが太くなり、持続的な成長を支える基盤となります。
グリットとバーンアウトを混同しないための注意点
グリットは新規事業開発において重要な成功要因ですが、度を超えた粘り強さは逆に生産性を下げるリスクを孕んでいます。特に、日本のビジネス文化では「やり抜くこと」が美徳とされる一方で、過剰な努力が燃え尽き症候群(バーンアウト)を引き起こすケースが少なくありません。バーンアウトは世界保健機関(WHO)によって職業性ストレスの結果として定義されており、情緒的消耗、シニシズム、生産性低下という3つの症状で特徴づけられます。
新規事業開発は長期的プロジェクトであるため、短期間で成果を求めすぎるとチームの疲弊が早期に進みます。バーンアウトを防ぐためには、グリットと自己犠牲を混同しないことが重要です。粘り強さは必要ですが、休息や切り替えを伴わない持続は逆効果となります。
バーンアウトを防ぐ具体策は以下の通りです。
- 努力量だけでなく、回復時間をスケジュールに組み込む
- 成果指標に「学習の進捗」や「仮説検証回数」を含め、過程を評価する
- 定期的にプロジェクトの方向性を見直し、撤退やピボットを許容する
- チームメンバーのコンディションを可視化し、早期に対処する
海外企業では、マイクロソフトが週4日勤務の実験を行い、生産性が40%向上したという結果を発表しています。これは、休息を確保することで集中力と創造性が高まることを示す好例です。
また、心理学では「持続可能な努力」を可能にするためにセルフコンパッション(自己への思いやり)が注目されています。失敗した自分を責めるのではなく、改善点を冷静に分析し次の行動に活かすことで、無駄な精神的エネルギーの消耗を防げます。
新規事業開発のリーダーは、チームが過剰に頑張りすぎていないかを定期的に点検し、休息や振り返りを組織文化として組み込む必要があります。挑戦文化と健康的な働き方を両立させることで、長期的に高いパフォーマンスを維持し続けることが可能になります。