近年、新規事業開発における法務・知的財産(知財)部門の存在感が劇的に高まっています。かつては「リスクを防ぐ守りの部署」として、契約審査やコンプライアンスを担う裏方の印象が強かった法務・知財。しかし今、その役割は経営戦略の中核へと進化しています。

背景には、企業価値の源泉が有形資産から無形資産へと移行したことがあります。S&P500企業では、企業価値に占める無形資産の比率が1975年の17%から2015年には84%にまで上昇しました。この流れの中で、特許・ブランド・データといった知的財産をいかに「攻めの資産」として活用するかが、企業成長の決定的要素となっているのです。

また、AIやブロックチェーンなどの先端技術がもたらす新しいビジネスモデルは、従来の法体系に収まらない課題を次々に生み出しています。ここで鍵を握るのが、「戦略法務」や「戦略知財」と呼ばれる能動的な法務・知財機能です。彼らはルールを解釈するだけでなく、ルールそのものを創り出し、事業を前に進める推進者へと変貌を遂げています。

本記事では、こうした変化を踏まえ、法務・知財が新規事業開発に果たすべき戦略的役割と、企業が競争優位を築くための実践的アプローチを詳しく解説します。

新規事業開発で高まる法務・知財の戦略的価値

新規事業の立ち上げにおいて、これまで「リスク回避の専門部署」と見られていた法務・知財部門の重要性が、近年劇的に高まっています。デジタルトランスフォーメーションやグローバル競争の激化により、企業価値の源泉が有形資産から無形資産へと移行した今、法務・知財は事業戦略の中核的役割を担う存在になっているのです。

S&P500構成企業のデータによると、企業価値に占める無形資産の割合は1975年の17%から2015年には84%にまで上昇しました。この変化は、企業の競争力がもはや「モノ」ではなく「知識」や「アイデア」といった無形の要素に基づくことを意味しています。つまり、契約・特許・ブランド・データなどの知的資産をいかに戦略的に活用できるかが、事業の成否を分ける時代となったのです。

近年では、法務が単なる「リスク管理」ではなく、「価値創出」の視点で経営に関与する「戦略法務(ストラテジック・リーガル)」への転換が進んでいます。これにより、法務・知財部門は、事業構想段階から経営陣や新規事業部門と共に戦略を設計する存在となりつつあります。

例えば、スタートアップ企業では、投資契約・ライセンス契約・知財ポートフォリオ設計を通じて、投資家からの信頼を獲得し、成長資金を得る上で法務・知財が不可欠な役割を果たしています。逆に、契約の不備や知財権の不明確さが原因で、資金調達やM&Aの機会を失うケースも少なくありません。

また、グローバル企業では、特許や技術データの活用により、新規市場の開拓・事業モデルの変革・提携先との協業を加速させる「攻めの知財戦略」が進展しています。旭化成やダイキン工業などの先進企業は、知財情報を経営判断に活かす「IPランドスケープ」を導入し、事業戦略と知財戦略を一体化させています。

こうした動きの背景には、法務・知財人材の専門性が単なる法解釈を超え、経営・技術・市場分析にまで拡張している点があります。新規事業における法務・知財の存在は、もはやリスク回避のためではなく、競争優位を創り出すための戦略的装置へと変化しているのです。

このように、法務・知財は企業の「守り」から「攻め」へと進化し、無形資産を最大限に活用することで、企業価値の向上と新規事業の成功を同時に実現する鍵を握っています。

「守り」から「攻め」へ。法務・知財のパラダイムシフト

かつて法務・知財部門は、コンプライアンス遵守や訴訟対応を中心とする「守りの機能」として位置づけられてきました。しかし、無形資産が経営の中心を占める現代では、法務・知財の役割が「攻めの経営資源」へと劇的にシフトしています。

この変化の象徴が「戦略法務」と「戦略知財」です。戦略法務は、企業のやりたいことを法的に実現するための道筋を設計し、規制やルールの枠組みそのものを事業に合わせて再構築するアプローチです。例えば、PayPayは給与のデジタル払いを可能にするため、関係省庁への働きかけを通じて規制緩和を実現し、新たな市場を創出しました。これは、法務が単なる「規制遵守」から「ルールメイキング」へと進化した好例です。

一方で、戦略知財は、特許・ブランド・データなどの知的資産を積極的に活用し、新規事業の創出や競争優位の確立に貢献する「攻めの知財」を指します。特許庁の報告によると、日本企業でも「知財を事業創出の手段として活用する企業」が増加傾向にあります。ダイキン工業では、知財部門が技術開発チームと共にオープンイノベーションを推進し、IPランドスケープを活用して新たな提携先や事業機会を特定しています。

このような転換を可能にするには、法務・知財部門のマインドセットの変化が不可欠です。従来の「それは法的に可能か?」という発想から、「それを法的に、かつ戦略的に実現するにはどうすればよいか?」という思考への転換が求められます。

守りの法務と攻めの法務の違い

観点守りの法務攻めの法務(戦略法務)
主な目的リスクの最小化企業価値の最大化
関与のタイミング問題発生後・事後対応企画段階からの関与
主な活動契約審査・訴訟対応事業スキーム構築・M&A支援・ルール形成
マインドセット可否判断中心方法論の探求
成果指標紛争件数・違反防止事業成長速度・利益貢献度

この表からも分かるように、「攻めの法務・知財」は単なるリスク低減ではなく、企業の未来を設計し、成長を支える戦略的アーキテクトとしての機能を果たします。法務・知財が初期段階から事業に関与することで、イノベーションのスピードは飛躍的に高まり、企業全体の俊敏性と市場対応力が向上するのです。

このパラダイムシフトを実現できるかどうかが、今後の企業競争力を左右する最重要テーマとなっています。

戦略法務の実践:事業を加速させるリーガルデザインの力

戦略法務とは、単に法的リスクを防ぐための仕組みづくりにとどまらず、法的知識を事業戦略に組み込み、企業の成長を後押しする「攻めの法務」を指します。近年は、企業価値の向上に貢献するための経営参謀的な役割を担うケースが増えています。

特に新規事業開発においては、ビジネスモデルの企画段階から法務が関与し、法規制や制度の枠内で最大限の事業機会を創出することが求められます。これにより、「できるかどうか」ではなく「どうすれば実現できるか」を共に設計する姿勢が重要になります。

戦略法務が果たす主な役割

フェーズ戦略法務の具体的機能
事業構想段階法規制・許認可の調査、事業スキーム設計支援
開発・実証段階契約設計、リスク分析、ガイドライン策定
実装・拡大段階M&A支援、ルールメイキング、海外展開サポート

戦略法務の特徴は、単なる「判断機関」ではなく、「共創パートナー」として事業の構想段階から伴走する点にあります。特に、法規制が未整備なグレーゾーン領域での新規事業では、経済産業省の「グレーゾーン解消制度」や「ノーアクションレター制度」などを活用し、行政と協議しながら合法的な事業化を進めることが可能です。

例えば、キャッシュレス決済サービスの普及を推進したPayPayは、制度設計段階から関係省庁と調整を行い、規制緩和に寄与することで自社の市場拡大を実現しました。このように、法務部門が「ルールに従う側」から「ルールを創る側」へと立場を変えることが、戦略法務の本質です。

また、戦略法務はM&Aや提携にも深く関与します。買収対象企業の法的リスクや知財状況を調査する「デューデリジェンス」では、単なる法的問題点の洗い出しに留まらず、事業シナジーを生み出すための契約設計や交渉戦略の策定にも貢献します。

戦略法務の強化は、企業の事業スピードや意思決定の質を飛躍的に高めることにつながります。つまり、法務を「ストッパー」ではなく「ドライバー」として機能させることが、新規事業を成功に導く最大の鍵なのです。

知財戦略の進化:「保護」から「活用」への転換

知的財産(知財)は、かつて企業の技術やブランドを守るための「防御資産」として位置づけられてきました。しかし、現在では知財を「守る」だけでなく「活かす」ことが企業成長の鍵となっています。特許庁の報告でも、知財活用型の企業はそうでない企業に比べて収益性・成長率が高い傾向にあるとされています。

この変化を象徴するのが「IPランドスケープ」と呼ばれる手法です。IPランドスケープとは、特許情報や市場データを分析し、技術・競合・市場動向を俯瞰的に可視化することで、事業戦略を支援する仕組みを指します。

IPランドスケープの活用で得られる効果

  • 競合企業の研究開発動向の把握
  • 新規市場や技術分野の「ホワイトスペース(未開拓領域)」の特定
  • M&A・アライアンスの候補企業の発見
  • 自社技術の強み・弱みの明確化

旭化成は、IPランドスケープを活用して自社と買収先の技術ポートフォリオを分析し、買収後の新市場展開を予測する資料として提示しました。その結果、経営判断の迅速化とM&Aの成功確率向上に寄与しています。

さらに、ダイキン工業は知財部門を技術開発チームに常駐させ、特許情報から新たな提携先を見出す「協創型知財経営」を実践しています。これにより、知財部門が研究・開発・事業企画をつなぐ中核的存在となっています。

オープン&クローズ戦略の重要性

現代の知財戦略では、すべてを囲い込む「クローズ戦略」から一部を開放してエコシステムを構築する「オープン&クローズ戦略」が注目されています。

戦略類型オープン領域クローズ領域代表的事例
技術仕様の開放標準化技術・API中核技術・製造ノウハウBlu-ray、QRコード
エコシステム形成開発環境やSDKの開放OS・決済基盤Apple(App Store)

この戦略により、自社を中心とした技術連携の枠組みを作り、市場全体の成長を促すことが可能になります。

また、知財を事業戦略と統合的に扱う「知財経営」を推進する企業も増えています。特許庁の調査では、経営会議に知財部門が参加している企業の約8割が、新規事業創出数の増加を実感していると報告されています。

知財を単なる防御手段から成長ドライバーに転換できるかどうか。これが、新規事業開発を成功させる企業とそうでない企業を分ける決定的な分岐点となっています。

ライフサイクル全体で価値を生む法務・知財の貢献

新規事業は、アイデア創出から社会実装、さらには撤退・再構築に至るまで、複数の段階を経て進化します。このライフサイクル全体において、法務・知財は単なる支援機能ではなく、「事業の持続的成長を支える戦略的パートナー」として価値を発揮します。

各フェーズにおける法務・知財の貢献

フェーズ法務の主な役割知財の主な役割
アイデア創出規制・制度調査、共同開発契約支援技術スカウティング、特許調査
PoC(実証)データ利用契約、リスク分析発明の権利化検討、秘密保持設計
事業化・スケールガバナンス構築、提携・M&A支援特許ポートフォリオ最適化、ブランド保護
成熟・再編コンプライアンス、訴訟対応知財価値評価、ライセンス展開

このように、法務・知財がライフサイクル全体に関与することで、事業の成長とリスクの最適化を同時に実現できます。

特に注目されるのは、知財の「価値化ステージ」での活用です。特許や商標を自社内に閉じるのではなく、ライセンス・提携・売却といった手法で事業の新しい収益源に変える企業が増えています。例えば、富士フイルムはかつての写真技術を医療・バイオ分野に応用し、知的資産の転用で新たな成長を実現しました。

さらに、データやアルゴリズムなどの無形資産の管理も重要です。経済産業省の「知的資産経営ガイドライン」では、知財・データ・人材の三位一体による価値創造が企業競争力を決定づけるとされています。

そのため、法務・知財部門は「契約や特許を扱う部門」ではなく、「事業モデルの設計者」として機能することが求められます。法務はリスク管理と同時に法制度を活用したスキーム設計を行い、知財は技術・データを経営資源として収益化する方向へ進化しています。

このような「全ライフサイクル型の法務・知財戦略」により、企業は事業成長と社会的信頼を両立し、持続的なイノベーションのエコシステムを構築できるのです。

生成AI・IoT・ブロックチェーン時代の新たな法務・知財課題

AI、IoT、ブロックチェーンなどの先端技術は、企業に大きな機会をもたらす一方で、従来の法制度では想定されていなかった複雑な法的・倫理的リスクを生み出しています。これらの領域で新規事業を推進するためには、変化を先取りし、未知のリスクに対応できる「先進型法務・知財」への転換が不可欠です。

生成AIがもたらす新たな課題

生成AIの急速な普及は、著作権・個人情報保護・アルゴリズム倫理の各面で新たな論点を生み出しています。日本の著作権法第30条の4では、AI学習における著作物利用は原則として権利者の許諾なしに可能とされていますが、「著作権者の利益を不当に害する場合」は例外とされ、その解釈は依然として不明確です。

さらに、生成AIが既存の著作物に類似したコンテンツを生み出した場合、著作権侵害リスクが生じます。ニューヨーク・タイムズ社がOpenAI社を提訴した例のように、世界的にも訴訟が相次いでいます。企業の法務部門は、こうした動向を注視しながら、AI学習データの適法性や生成物の権利帰属を精査する体制を整える必要があります。

IoTとデータガバナンス

IoT分野では、センサーや機器から得られるデータの所有権や利用権が争点となっています。欧州では「データ法(Data Act)」により、ユーザーと製造者のデータ共有ルールが整備されつつあります。日本でも、経済産業省が「スマートデバイスデータ契約ガイドライン」を策定し、データの利活用を促進しています。

IoTビジネスでは、「誰のデータか」「どの範囲で使えるか」を明確に定義し、契約や社内規程で可視化することがリスク回避の第一歩です。

ブロックチェーンとスマートコントラクト

ブロックチェーンでは、「スマートコントラクト」と呼ばれる自動執行契約の登場により、契約の概念そのものが変化しています。しかし、バグや仕様変更が困難なため、「誰が最終責任を負うか」という法的課題が顕在化しています。また、NFTなどのデジタル資産に関しても、所有権と利用権の分離が進み、新たな知財概念が求められています。

これらの課題に対処するため、企業はリーガルテックの活用や専門チームの設置を進めています。特に、AIやブロックチェーンを扱う事業部門と法務・知財が連携し、「技術理解に基づく法務・知財戦略」を構築することが今後の鍵となります。

このように、先端技術領域での法務・知財は、単なるリスク管理を超え、社会と技術の接点で新たなルールを創出する存在へと変わりつつあります。企業がこの潮流に乗れるかどうかが、新時代の競争優位を左右します。

リーガルオペレーションとCLOの役割

近年、法務・知財部門は「コストセンター」から「戦略的価値創造の中枢」へと進化しています。その中心に位置づけられるのが、リーガルオペレーションとCLO(Chief Legal Officer:最高法務責任者)です。これらは、新規事業をスピードとガバナンスの両立のもとで推進するための重要な基盤といえます。

CLOの戦略的意義

CLOは従来の法務部長とは異なり、CEOや取締役会に直接助言し、経営意思決定に深く関与します。単なるリスク管理ではなく、「法を経営戦略に統合する」リーダーシップを発揮する点が最大の特徴です。

CLOの役割は以下の3点に集約されます。

  • 経営ガバナンスの強化:取締役会の意思決定に法的・倫理的視点を提供する。
  • 新規事業・M&A支援:リスクを機会へ転換し、契約や提携の最適設計をリードする。
  • 企業価値向上:知財・データ・契約構造を一体的に管理し、無形資産の最大化を図る。

米国ではFortune500企業の80%以上にCLOが設置されており、日本でもその導入が進んでいます。経営法友会の実態調査によれば、法務人員数の増加とともに、「経営と法務の一体化」を指向する動きが強まっています。

リーガルオペレーションの重要性

CLOのリーダーシップを支えるのがリーガルオペレーションです。これは、法務業務の可視化・効率化・データ活用を通じて、法務部門を「経営のパフォーマンスエンジン」へ変革する仕組みです。

近年注目されている取り組みには以下のようなものがあります。

項目内容
契約管理DX契約ライフサイクルを自動化し、リスクを定量的に評価
ナレッジマネジメント過去事例や判例データをAIで検索・分析
リーガルテック導入電子署名、AI契約審査ツール、タスク管理システムなど
データドリブン法務KPIやコストデータに基づく意思決定支援

経営層から見ると、リーガルオペレーションは「法務を見える化する経営管理手法」として、リスク回避から収益向上への転換を促す仕組みでもあります。これにより、法務部門は「ストッパー」ではなく「アクセラレーター」としての役割を担えるようになります。

アーキテクトとしての法務・知財人材

これからの新規事業開発を支える法務・知財人材には、専門知識を超えた「アーキテクト(設計者)」的能力が求められています。法と知財という2つの軸を自在に操り、変化の激しい市場環境の中でビジネスの設計図を描く役割です。

法務・知財アーキテクトの3つの資質

資質概要
ビジネスデザイン力法規制や特許戦略を活かして事業モデルを構築する能力
システム思考技術・契約・組織・市場の関係性を全体として捉える力
トランスレーション能力専門知識をわかりやすく翻訳し、経営と現場をつなぐ力

こうした能力を備えた法務・知財人材は、単に「ルールを守らせる人」ではなく、「ルールを設計する人」へと進化します。彼らは新しいビジネスのルールを提案し、社会と技術の接点で新たな秩序を創り出します。

実践事例と今後の展望

近年では、トヨタ自動車やソニーグループが知財部門を中心に「オープンイノベーション契約モデル」を設計し、スタートアップや大学との共同開発を促進しています。これにより、「守る知財」から「活かす知財」へと転換が進みました。

また、CLOや知財責任者が経営企画・新規事業部門を兼務するケースも増えています。法務・知財が経営戦略に直接関与する体制が整えば、事業のスピードと品質を両立できるようになります。

最終的に、法務・知財人材は「不確実な未来の航路を描くアーキテクト」として、経営の舵取り役になることが期待されています。彼らの存在は、企業が変化の波を乗り越え、グローバル競争において持続的に勝ち続けるための推進力となるのです。