日本企業にとって、新規事業開発はもはや選択肢ではなく、生存のための必須条件となりました。急速な技術革新や市場変化の中で、従来の成功モデルでは成長を維持できず、組織全体での変革が求められています。
しかし、現実には多くの新規事業が立ち上げ段階で頓挫し、収益化に至る前に消えていきます。経済産業省の調査によれば、新規事業で利益を上げられた企業は全体のわずか14%。その背景には、アイデア不足よりも「組織の壁」「関係者間の温度差」「合意形成の難しさ」といった“人と組織の課題”が横たわっています。
この状況を打破する鍵として注目されているのが、「ファシリテーション力」です。これは単なる会議の進行スキルではなく、関係者の知識を引き出し、異なる立場をつなぎ、対立を建設的なエネルギーに変える戦略的能力です。
富士フイルム、リクルート、NTTデータなどの先進企業は、ファシリテーションを組織文化の中心に据え、変革を加速させています。本記事では、事業開発におけるファシリテーションの本質から、フェーズ別の実践術、そして成功事例までを体系的に解説します。あなたの組織の“対話力”が、次のイノベーションを生み出す力に変わるはずです。
事業開発に求められる新たな中核スキル「ファシリテーション力」

日本企業における新規事業開発は、もはや“挑戦的な試み”ではなく、持続的な成長を支えるための経営必須課題となっています。しかし、多くの企業がアイデア段階や検証段階で壁に直面し、収益化までたどり着けない現実があります。
経済産業省の調査によると、新規事業が実際に利益を生み出せた企業は全体の約14%に過ぎません。この厳しい状況の背景には、技術力や資金力の不足よりも、人と組織の相互作用をマネジメントできていないことが深く関わっています。
新規事業開発では、既存事業の「勝ちパターン」を捨てる勇気と、未知の領域に踏み出す柔軟性が必要です。しかし、現場では「既存事業側との摩擦」や「意思決定の遅れ」「上層部の抵抗」など、組織的な壁が連鎖的に生じます。これらを乗り越えるためには、単にアイデアを出すスキルではなく、多様なステークホルダーの意見を調整し、合意形成を促進する能力=ファシリテーション力が不可欠です。
このスキルを持つ人材は、場の空気を読み、参加者の本音を引き出し、対立を建設的な議論に転換できる「対話の設計者」です。ファシリテーションは「会議を回す技術」ではなく、組織全体を一つの目的に向けて動かす促進技術なのです。
事業開発における主な課題とファシリテーション力の関係
| 主な課題 | 従来の対応 | ファシリテーション的対応 |
|---|---|---|
| 意見の対立 | トップの指示で収束 | 対話を通じて納得感ある合意形成 |
| 新規事業の孤立 | 専門部署に任せる | 部門横断で協働する場を設計 |
| アイデア停滞 | 企画会議中心 | 心理的安全性を高め創発を促進 |
| 実行フェーズの遅れ | PDCA重視 | アジャイル思考で継続的に調整 |
新規事業を成功に導くのは天才的な企画者ではなく、関係者の力を引き出すファシリテーター的リーダーです。個人の発想よりも「集合知の結晶」が競争力となる時代において、ファシリテーション力は日本企業の次なる成長ドライバーとなっています。
ファシリテーションの本質:会議進行を超えた戦略的技術
新規事業開発の現場で求められるファシリテーションは、一般的な会議運営スキルとは異なります。単に議題を整理し、時間を管理するだけでなく、チームの思考・感情・関係性という“内面的プロセス”にまで踏み込む技術が必要とされます。
ファシリテーション(facilitation)の語源は「容易にする」「促進する」。日本ファシリテーション協会はこれを「人々の活動を容易にし、問題解決やアイデア創造を支援すること」と定義しています。この定義が示す通り、ファシリテーションとは“集合知を生み出すための働きかけ”そのものです。
ファシリテーションの4つの柱
特に事業開発におけるファシリテーションは次の4つの側面から構成されます。
- 場のデザイン:心理的安全性が保たれる「創造の場」を設計する
- 対人関係スキル:潜在的な意見や感情を引き出す
- 構造化スキル:議論を整理し、全員が全体像を理解できるようにする
- 合意形成スキル:納得感のある意思決定を導き出す
ファシリテーションの4つの柱と実践ポイント
| スキル領域 | 目的 | 実践ポイント |
|---|---|---|
| 場のデザイン | 心理的安全性を確保 | 否定禁止ルールやアイスブレイク導入 |
| 対人関係スキル | 潜在ニーズを引き出す | 傾聴・共感・観察を重視 |
| 構造化スキル | 議論を整理し可視化 | ホワイトボードで論点を整理 |
| 合意形成スキル | 腹落ちのある決定を導く | 「目的・理由・行動」の共有 |
このようなスキルを持つファシリテーターは、会議の進行役ではなく、組織変革のアーキテクト(設計者)として機能します。不確実性が高い時代において、ファシリテーションは人と組織を動かす戦略的技術として、経営レベルでも注目を集めています。
フェーズ別にみるファシリテーション実践術:創発から実行までの促進法
新規事業開発は、ひとつの直線的なプロジェクトではなく、探索・検証・実行という複数の段階を経ながら進化していくプロセスです。それぞれのフェーズで直面する課題が異なるため、ファシリテーターにはフェーズごとに異なる支援アプローチが求められます。
アイデア創出フェーズ:知の探索を促す
初期段階では、まだ方向性も確定しておらず、重要なのは「どれだけ多くの可能性を広げられるか」です。ここでのファシリテーターの役割は、批判を恐れず自由に意見を出せる場を作り、メンバーが“あり得ない”と思う発想も歓迎する雰囲気を醸成することにあります。
ブレインストーミングやマインドマップ、ワールドカフェ形式など、創発を促す手法が効果的です。また、外部の視点を取り入れるために他部署や顧客を巻き込み、多様な発想を引き出す工夫も欠かせません。
事業計画・検証フェーズ:仮説を磨く
次に、アイデアを事業性に変えるための「仮説検証」フェーズでは、議論が収束に向かい始めます。ここでの課題は、異なる立場のメンバー間で認識のズレが生まれることです。ファシリテーターは、検証すべき前提条件を明確化し、仮説の優先順位を合意形成する役割を担います。
リーンキャンバスやビジネスモデルキャンバスなどを使い、全員が共通の構造で議論できるようにすることで、意思決定の透明性を確保します。
実行・グロースフェーズ:スピードと一体感を維持する
この段階では、チームは検証から実行へとシフトし、スピードと一体感が求められます。ファシリテーターは、意思決定のスピードを落とさずに現場の声を吸い上げ、学習を反映する仕組みを整える必要があります。
アジャイル開発のように、短いスプリントで成果を検証し、改善を続けるサイクルを設計することで、チームの集中力と柔軟性を維持できます。
フェーズ別ファシリテーションの要点
| フェーズ | 主な目的 | ファシリテーションの焦点 |
|---|---|---|
| アイデア創出 | 発想の拡散 | 心理的安全性・多様性の確保 |
| 検証 | 仮説の明確化 | 構造化と合意形成 |
| 実行 | 成果の拡大 | 継続的改善と共創 |
優れたファシリテーターは、状況に応じて「広げる」「絞る」「回す」を自在に切り替えることで、プロジェクトを円滑に前進させます。
対立を力に変える:忖度文化を超えるファシリテーターの心理技術

日本企業の新規事業開発で最も根深い課題のひとつが、「忖度」と「同調圧力」です。上司の意向に逆らいにくい文化や、波風を立てない思考が、革新的な発想や率直な議論を阻んでいます。結果として、潜在的なリスクや課題が指摘されないままプロジェクトが進行し、後戻りできない段階で問題が露呈するケースも少なくありません。
ファシリテーターが果たすべき使命は、この見えざる壁を打ち破り、健全な対話を取り戻すことにあります。その鍵となるのが「心理的安全性」です。ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授は、心理的安全性を「自分の意見を正直に述べても罰せられないと信じられる状態」と定義しています。心理的安全性が高いチームは、失敗を恐れず挑戦できるため、創造性とパフォーマンスが向上します。
建設的対立を生み出す3つの技術
- コンフリクト・マネジメント
対立を「組織の成長の機会」と捉え直すことから始めます。感情的な争いを避け、議論を「人」ではなく「課題」に焦点を当てることで、衝突を創造的な化学反応へと変えられます。 - 悪魔の代弁者(Devil’s Advocate)
あえて反対意見を提示する役割を設け、議論を一方向に偏らせない仕組みを作ります。これにより、意思決定の質が高まり、リスクの見落としを防げます。 - 心理的安全性を支えるルール設計
「相手を否定しない」「意見の背景を尋ねる」「沈黙を恐れない」といったルールを明文化することで、チーム全体が安心して発言できる土台を作ります。
ファシリテーターが実践すべき心構え
| 技術領域 | 目的 | 実践アクション |
|---|---|---|
| 感情の可視化 | 対立の原因を明確化 | ホワイトボードで論点整理 |
| メタ認知 | 俯瞰的な思考促進 | 「今の議論は何を目指している?」と問いかける |
| 共感的傾聴 | 信頼関係の構築 | 相手の感情を言語化して返す |
対立を避けるのではなく、対立を「成長の触媒」として活かすチームこそが、真のイノベーションを生み出します。ファシリテーターはその触媒反応を設計する“心理の建築家”なのです。
成功企業に学ぶファシリテーションの活用事例

優れた新規事業は、一人の天才的な担当者によって生まれるものではなく、イノベーションを促進する組織文化によって支えられています。特に日本企業の中でも、ファシリテーションを経営思想として取り入れた企業は、変化への対応力と創造性を両立させています。ここでは、代表的な成功企業の事例から、ファシリテーションがどのように実践され、成果を上げているのかを紹介します。
富士フイルム:トップダウンのファシリテーションによる変革
2000年代初頭、デジタル化の波で主力の写真フィルム事業が消滅の危機に直面した富士フイルムは、リーダーシップによる全社的なファシリテーションで見事なV字回復を果たしました。経営陣が現場を巻き込み、全社員が「何を捨て、何を残すか」を徹底的に議論する場を設計。これにより、ヘルスケアや化粧品などの新事業が次々に生まれました。
当時の古森重隆社長は「対話を通じた意思決定の質こそが競争力」と語っており、これが同社の変革の原動力となりました。
リクルート:ボトムアップ型の知的対話文化
リクルートでは、若手社員でも自由に発言できる「ゼミ文化」が根づいており、心理的安全性の高い対話の場が日常的に存在します。これはまさにファシリテーションの成果です。多様な意見がぶつかり合う中で、議論を止めずに結論へ導く技術を身につけたリーダーが次々に育っています。
また、事業提案制度「Ring」は、部門や年次を超えて意見を交わす促進的な場として機能し、これまでに100を超える新規事業を生み出してきました。
ソニーグループ:越境型チームの支援構造
ソニーでは、異分野の社員が集まるプロジェクトチームに専任のファシリテーターを配置し、議論の流れと心理的状態の両面をモニタリングする制度を採用しています。これにより、部門間の壁を越えた協働が促進され、AIやエンタメ領域の新規事業で顕著な成果を上げています。
| 企業名 | ファシリテーションの特徴 | 成果 |
|---|---|---|
| 富士フイルム | トップダウンの対話促進 | 新事業創出と業態転換の成功 |
| リクルート | ゼミ文化・自発的議論 | 若手発案の新事業多数 |
| ソニー | 越境チームの支援体制 | 異分野連携によるイノベーション |
これらの成功企業に共通しているのは、ファシリテーションを「個人のスキル」ではなく「組織の仕組み」として制度化している点です。これにより、ファシリテーションが経営の中枢に根付き、イノベーションを継続的に生み出す土壌が形成されています。
次世代の事業開発人材に求められるファシリテーター像
これからの事業開発人材に求められるのは、単なるプロジェクト進行者ではなく、組織変革を促進する「ファシリテーター型リーダー」です。変化が激しく、利害関係者が複雑に絡み合う時代において、調整力・共感力・論理性を兼ね備えた人材こそが事業成功の鍵を握ります。
4つの役割を担う次世代ファシリテーター
| 役割名 | 説明 |
|---|---|
| プロセス・アーキテクト | アイデアが事業として結実するまでの一連のプロセスを設計する。フェーズごとの最適な対話形式をデザインする。 |
| 心理的安全性エンジニア | チーム内に「本音を言える文化」を醸成し、健全な対立を促す。失敗を学習に変える環境を整える。 |
| コーポレート・ディプロマット | 経営層・既存事業部・管理部門との対話を通じて協力関係を築く。組織の壁を越えた信頼構築を担う。 |
| チェンジ・エージェント | 組織の不安や抵抗を受け止め、変革を導く。挑戦への心理的障壁を下げ、行動を促進する。 |
これらの能力は、DX時代において注目されるビジネスアーキテクトのスキルと重なります。テクノロジーとビジネスを橋渡ししながら、組織の中で変革を推進するこの役割には、まさにファシリテーション力が中核にあります。
成長のための実践ステップ
次世代ファシリテーターを目指す人材が取り組むべきは、以下の3ステップです。
- 学ぶ(Acquire):理論とフレームワークを体系的に習得する
- 観る(Observe):優れたファシリテーターの現場を見て、言語化する
- 試す(Practice):小さな会議やワークショップで実践し、振り返る
この「学ぶ→観る→試す」のサイクルを繰り返すことで、ファシリテーション力は確実に磨かれます。
心理的安全性の創出から利害調整までを担えるファシリテーター人材は、今後の日本企業の競争優位を左右します。つまり、事業開発の未来を支えるのは、“場を動かす人”の力なのです。
ファシリテーション力を組織文化として根づかせる方法
ファシリテーションは、個人のスキルとしてだけでなく、組織全体に浸透させてこそ真価を発揮する力です。新規事業開発が継続的に生まれる企業では、ファシリテーションが「会議の技術」ではなく「組織文化」として定着しています。ここでは、企業がどのようにファシリテーション文化を根づかせているのか、具体的な仕組みと実践方法を解説します。
組織における3層構造での定着戦略
ファシリテーション文化を定着させるためには、「個人」「チーム」「経営」の3層で取り組むことが欠かせません。
| 層 | 目的 | 具体的な施策 |
|---|---|---|
| 個人 | 対話スキルの習得 | 研修・1on1・ロールプレイなどによる実践トレーニング |
| チーム | 協働の仕組み化 | 会議テンプレート・議論の可視化・ふりかえり制度 |
| 経営 | 制度と文化の支援 | 組織内ファシリテーター認定制度・経営陣による対話型会議 |
個人レベルでスキルを高めても、上位層が従来型の命令構造を維持していては、文化として根づきません。経営陣が率先して「聴くリーダーシップ」を発揮し、対話が意思決定の中心にある状態を制度的に支えることが必要です。
社内ファシリテーター制度の導入
多くの企業が導入しているのが「社内ファシリテーター制度」です。トヨタやサントリーなどでは、各部門にファシリテーターを配置し、チーム間の調整役として機能させています。これにより、対話を軸とした課題解決が常態化し、縦割り構造の硬直化を防ぐ効果が確認されています。
また、グローバル企業のGoogleでは、プロジェクト単位で「ミーティングマネージャー」を任命し、心理的安全性の維持と議論の公平性を担保しています。これもファシリテーション文化の制度化の一例です。
評価と教育を連動させる
文化として定着させるには、ファシリテーションを「人事評価」と「教育体系」の両面に組み込むことが効果的です。
- 1on1や会議での促進スキルを評価項目に含める
- 若手社員にファシリテーション研修を義務化する
- 部長クラスに「メタファシリテーション研修(ファシリを支援するスキル)」を実施する
これにより、ファシリテーションが“できる人”の特技ではなく、“全員が使う共通言語”として機能します。
データとサーベイで進捗を可視化する
組織文化の定着度を測るには、定量的な可視化が欠かせません。日本ファシリテーション協会によると、会議後に「話しやすさ」「理解度」「納得度」を5段階で評価する簡易サーベイを継続することで、ファシリテーション文化の成熟度を定期的に測定できるとされています。
Googleの社内研究「プロジェクト・アリストテレス」でも、心理的安全性の高さがチームパフォーマンスと強く相関することが確認されています。このように、データで組織文化の変化を追うことが、持続的改善につながるのです。
ファシリテーションを「組織のOS」にする
最終的なゴールは、ファシリテーションを「一部のスキル」から「組織のOS(基本構造)」へと昇華させることです。全員が“聴き、引き出し、整え、決める”という行動原則を共有する組織は、変化に強く、学び続ける力を持ちます。
そのような企業では、会議が終わるたびに新しい知見が生まれ、メンバー同士の信頼が深まり、「会話が進化を生む文化」が根づいていきます。ファシリテーション力を文化として根づかせることは、まさに企業の未来を育てる経営戦略そのものなのです。
