スタートアップから中堅企業へと成長する過程で、多くの日本企業が直面するのが「スケールの壁」です。PMF(Product Market Fit)を達成し、顧客が増え、売上が拡大していく段階で、多くの企業が一見順調に見えながらも、内部のオペレーションや組織が混乱し始めます。これは個人の力量や情熱の問題ではなく、組織設計や業務プロセスの未整備という構造的な課題です。
実際、経済産業省のスタートアップ政策資料でも、今後の日本経済の成長ドライバーは「裾野の拡大」から「高さの追求」へと転換していると指摘されています。つまり、単に起業数を増やすのではなく、持続的にスケールしうる企業を育てることが重要なのです。
その中心的な役割を担うのが「オペレーション人材」です。特に、事業全体の実行基盤を最適化するBizOps(ビジネスオペレーション)や、収益プロセス全体を統合管理するRevOps(レベニューオペレーション)は、事業成長を推進する“成長エンジン”として注目されています。
この記事では、最新のデータや国内外の事例をもとに、スケール段階で求められるオペレーション人材の役割、スキル、そして組織的インパクトを徹底的に解説します。優れたオペレーションは単なる管理業務ではなく、戦略的成長の鍵であることを明らかにしていきます。
日本企業が直面する「スケールの壁」とは何か

事業がPMF(Product Market Fit)を達成し、顧客からの引き合いが急増し始めると、企業は一見成功の軌道に乗ったように見えます。しかし、その直後に訪れるのが「スケールの壁」です。これは市場やプロダクトの問題ではなく、組織内部から生じる構造的な危機を指します。
この壁は特定の従業員規模で顕在化することが多く、特に「30人の壁」「100人の壁」として知られています。30人規模では情報共有や意思決定が属人的になり、全員が全てを把握していた初期フェーズの強みが失われます。100人規模に達すると、部署間の断絶や責任の曖昧さが生まれ、「顔が見える組織」から「知らない人が増える会社」へと変化します。
組織心理学者ロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数(約150人)」は、人間が安定的な関係を築ける人数の上限を示す概念ですが、これはまさにこの壁の裏付けとも言えます。従業員数がこの限界を超えると、相互理解の低下が相互不信へと転じ、組織の一体感を失わせる傾向があります。
さらに、経営層にとっても大きな変化が訪れます。創業者のカリスマや勢いだけで引っ張る「バイブス系マネジメント」では、拡大する組織の複雑性に対応できません。リーダーシップの質的転換が求められ、「自分で動く」から「人を動かす」へとマネジメントスタイルを変革する必要があります。
成長の壁を突破するためには、組織の再設計が欠かせません。具体的には、次の3点が鍵となります。
- 権限と責任の明確化
- 情報の透明性を保つ仕組みづくり
- オペレーション機能の強化による組織的再現性の確保
スタートアップのスケールは、単なる人員増加ではなく、組織の仕組みをいかに構築・維持できるかにかかっています。つまり、「スケールの壁」は避けるものではなく、戦略的に設計して乗り越えるべき必然のプロセスなのです。
PMF達成後に訪れる混乱期と、組織的負債の正体
PMF(Product Market Fit)とは、顧客の課題を的確に解決する製品が適切な市場で受け入れられている状態を指します。このフェーズを突破した企業は、週次10%成長といった爆発的な伸びを経験しますが、その成功の裏側では「混乱期」と呼ばれる重大な局面に直面します。
PMF以前は、少人数での柔軟な意思決定と情熱的な行動力が強みでした。しかし、スケール段階に入るとその手法が逆に負債化します。属人的なプロセス、曖昧な役割分担、非公式なコミュニケーション――これらは少人数時代には機能していたものの、拡大した組織では混乱の原因となります。これがいわゆる「組織的負債」です。
この負債は、エンジニアリングにおける「技術的負債」と同じ構造を持ちます。短期的なスピード重視の判断が、長期的には大きな修正コストとして跳ね返ってくるのです。組織的負債が蓄積すると、以下のような現象が生じます。
| 発生現象 | 原因 | 結果 |
|---|---|---|
| コミュニケーション断絶 | 情報経路の属人化 | 意思決定の遅延・誤認 |
| 品質のばらつき | プロセスの未整備 | 顧客満足度の低下 |
| 離職率の上昇 | 組織文化の希薄化 | 人材流出・採用コスト増 |
実際、多くの日本スタートアップではこの「混乱期」に経営の失速が起こります。ラクスルやfreeeといった企業も、一時的な組織機能不全を経て、徹底したオペレーション改革により再成長を遂げたと報告されています。
重要なのは、PMFを「ゴール」ではなく「スタートライン」と捉えることです。成功に圧倒される前に、オペレーション設計を戦略的に計画し、プロセスを標準化・可視化しておくことで、急成長による混乱を防ぐことができます。
つまり、PMF達成後に本格化する課題は、成長そのものが生み出す「複雑性のマネジメント」です。スケールを支えるのは情熱ではなく、再現性を備えたオペレーションの力なのです。
オペレーションが「管理」から「戦略」へ進化する理由

従来、オペレーションといえば「現場を支える管理業務」という認識が一般的でした。しかし、事業がスケールする段階では、オペレーションは単なるサポート機能ではなく、経営戦略を実行に移す中核機能へと進化します。
近年、スタートアップを中心に「BizOps(ビジネスオペレーション)」や「RevOps(レベニューオペレーション)」といった役割が台頭しているのはこの流れの象徴です。これらは経営、営業、マーケティング、カスタマーサクセスなどの情報を統合し、事業成長を最も効率的に推進するための仕組みを構築・運用する役割を担います。
たとえば米国SaaS企業のHubSpotでは、RevOpsチームが営業とマーケティングのデータ連携を再構築し、リードから契約までのプロセスを自動化。これにより営業サイクルを25%短縮し、売上予測の精度も飛躍的に向上しました。オペレーションが経営レベルでの意思決定を支える仕組みとして機能している好例です。
また、経済産業省が公表した「成長志向型中小企業のデータ活用実態調査」でも、データドリブンなオペレーションを持つ企業は利益率が平均で約1.6倍高いという結果が示されています。つまり、効率化ではなく「戦略実行力の強化」がオペレーション進化の本質なのです。
オペレーションが戦略化する主な理由は次の通りです。
| 要因 | 内容 |
|---|---|
| データ活用の高度化 | 業務データが経営判断の根拠となる時代へ |
| 組織の複雑化 | 部門間連携の調整役が不可欠に |
| 顧客体験の重視 | CS・マーケ・営業が連動した一貫運用の必要性 |
| テクノロジー進化 | 自動化・AI導入が人の判断を支援する段階へ |
このように、オペレーションはもはや裏方業務ではありません。事業のスピードと再現性を高め、持続的な成長を支える「成長エンジン」として再定義されているのです。
スタートアップや新規事業の現場では、この変化に対応できるオペレーション人材をいかに早期に配置し、経営戦略と実務を接続するかが、スケール成功の分水嶺となっています。
BizOpsとRevOpsの違いと補完関係
「BizOps」と「RevOps」はどちらもオペレーションの中核領域ですが、その目的と範囲には明確な違いがあります。
BizOps(ビジネスオペレーション)は、経営全体の意思決定を支援する横断的な分析・推進組織です。経営戦略、KPI設計、組織運営、事業予算など、企業全体のオペレーションを最適化します。
一方、RevOps(レベニューオペレーション)は、収益創出に関わる部門の連携最適化を担います。営業・マーケティング・カスタマーサクセスの各部門が持つデータとプロセスを統合し、売上の最大化とLTV(顧客生涯価値)の向上を目指します。
| 項目 | BizOps | RevOps |
|---|---|---|
| 主な目的 | 経営判断と組織運営の最適化 | 売上プロセスの最適化と収益最大化 |
| 対象範囲 | 全社横断(戦略〜実行) | 営業・マーケ・CS領域 |
| 成果指標 | ROI、事業KPI、運営効率 | ARR、CAC、LTV、MRRなど |
| 必要スキル | データ分析、経営企画、組織設計 | CRM運用、パイプライン設計、プロセス改善 |
米国では、企業の約60%がRevOpsを導入しているという調査結果もあり、「データを軸にした組織横断型経営」こそが次世代企業の標準形になりつつあります。
さらに近年では、この2つを統合的に設計する動きも進んでいます。BizOpsが企業全体の方向性を定め、RevOpsがその収益実行面を支えるという補完関係です。freeeやSansanでは、経営企画と営業オペレーションを一体化するチームを設置し、戦略と実務の断絶を解消しています。
このような連携により、戦略策定から現場実行までの「一貫した成長モデル」が形成され、意思決定のスピードと精度が飛躍的に高まります。
つまり、BizOpsとRevOpsは対立する概念ではなく、企業の成長を二重構造で支える両輪なのです。
成長を支えるオペレーション人材のスキルセット

スケール段階において、オペレーション人材は単なる実務遂行者ではなく、事業成長を支える「仕組みの設計者」としての役割を担います。そのため、従来の業務管理スキルに加えて、データ分析力・戦略的思考・テクノロジー理解など、幅広いスキルが求められます。
特に近年では、BizOpsやRevOpsといった専門職種の確立が進み、オペレーション人材の職能はより体系的に整理されています。以下は代表的なスキル領域の一覧です。
| スキル領域 | 主な内容 |
|---|---|
| データリテラシー | KPI設計、SQL・BIツールを用いた分析、意思決定支援 |
| 業務設計・改善力 | プロセスマッピング、BPMN、標準化・自動化設計 |
| 経営理解・戦略思考 | 事業計画立案、リソース配分、ROI分析 |
| テクノロジー活用力 | CRM、ERP、AIツール導入・運用能力 |
| コミュニケーション・リーダーシップ | 部門間調整、プロジェクト推進、利害調整力 |
こうしたスキルを併せ持つことで、オペレーション人材は「組織の神経系」として機能します。経営層が描いた戦略を現場で再現可能な形に落とし込み、データをもとにPDCAを回す役割を果たします。
たとえば、SansanのBizOpsチームは、営業活動データを可視化し、成約率とリード獲得効率の相関を分析。これによりリソース配分を最適化し、営業生産性を15%改善しました。このように、データと現場を橋渡しする分析・実行能力がスケール段階では不可欠です。
また、グローバル化やリモートワークの拡大に伴い、英語でのレポート作成や海外拠点との連携スキルも重視されています。近年は「オペレーション×AI」の分野も急速に伸びており、生成AIを用いたナレッジ管理やレポーティング自動化に対応できる人材が市場で高い評価を得ています。
最終的に、優れたオペレーション人材に共通する特徴は、「仕組みで人を動かす」発想を持っていることです。属人的な判断や経験に頼らず、誰が実行しても成果が出る再現性の高いプロセスを設計する力が、スケールの鍵を握っています。
ラクスル・freee・Sansanに学ぶ成功するオペレーション改革
急成長を遂げた日本のスタートアップ企業の多くは、例外なく強力なオペレーション基盤を構築しています。その中でも、ラクスル・freee・Sansanの3社は、オペレーションを「競争優位の源泉」として捉えた代表例です。
まず、ラクスルは「仕組みでマーケットを動かす」ビジネスモデルを掲げ、業務プロセスの徹底的なデータ化と自動化を進めました。特に印刷・物流領域では、取引データを統合し、AIによる需要予測モデルを導入。オペレーションをコスト削減ではなく価値創出の源泉とする戦略で、企業間取引の効率性を飛躍的に高めました。
一方、freeeは組織成長に合わせて「オペレーション・デザイン部」を設置。開発・営業・CSの業務を横断的に再設計し、プロセスの重複を排除。さらにOKRを全社レベルで統一し、KPIと実務データを紐づけた透明性の高い経営管理体制を実現しました。これにより、事業拡大期に起こりがちな属人化や情報断絶を防いでいます。
またSansanでは、RevOpsチームを中心に、マーケティング・営業・CSのデータを一元管理。リード獲得から受注、契約更新までのプロセスを数値化し、改善のサイクルを高速で回しています。結果として、LTV(顧客生涯価値)の最大化とチャーン率の低減を両立させることに成功しています。
これらの企業に共通するのは、オペレーションを「管理」ではなく「成長戦略」として位置づけている点です。
- 経営戦略と実務オペレーションを一体化
- データとテクノロジーを中心に業務を再設計
- 再現性とスピードを重視したPDCA文化の醸成
この3つの原則に基づき、各社はスケールに耐えうる組織基盤を築きました。特に、日本企業が抱える「属人依存」や「意思決定の遅さ」といった課題を克服する上で、これらの成功例は大きな示唆を与えています。
つまり、スケール段階で勝ち続ける企業は、例外なくオペレーションを“戦略的資産”として経営に組み込んでいるのです。
スケーラブルなオペレーションを実現するプレイブック
事業のスケールを成功させるには、成長スピードに耐えうる再現性の高いオペレーション設計が欠かせません。そのために必要なのが、スケーラブルなオペレーションのプレイブック(実践指針)です。これは、急成長の中でも品質とスピードを両立させるための体系的な仕組みです。
スケーラブルなオペレーションには、共通して次の4つのステップがあります。
| ステップ | 内容 |
|---|---|
| 1. 標準化 | 業務を定義・手順化し、誰が行っても同じ成果を出せる状態にする |
| 2. 自動化 | ツールやシステムを用いて反復業務を効率化する |
| 3. 可視化 | データを基盤にリアルタイムで進捗・成果を把握できるようにする |
| 4. 改善サイクル | KPIに基づき継続的な見直しと最適化を行う |
この中でも特に重要なのが「可視化」です。組織が拡大するほど、情報の非対称性が経営判断の遅れを生みます。freeeの事例では、全社データを統合管理するダッシュボードを導入し、経営陣から現場まで同一のKPIをリアルタイムで共有する仕組みを構築しました。これにより、施策の効果測定と意思決定のスピードが約2倍に向上したといいます。
また、スケールに伴う課題の多くは「人の増加」ではなく「仕組みの未整備」によって生じます。マッキンゼーの調査によると、成長段階にある企業の約70%が、オペレーションプロセスの不整備が原因で成長鈍化を経験していると回答しています。つまり、プレイブックの存在は“成長の安全装置”でもあるのです。
近年では、NotionやAsanaなどを使ってプレイブックをオンラインで共有し、ナレッジ管理と教育を一体化する企業も増えています。これにより、新入社員でも短期間で生産性を発揮できる仕組みが整い、属人化を防ぐことができます。
スケーラブルなオペレーションとは、人に依存しない「仕組みの経営」そのものです。戦略を実行に移すスピードと再現性を両立させる企業ほど、成長曲線を維持できるのです。
オペレーションキャリアが経営リーダーへの道を拓く
オペレーション人材はこれまで「裏方」と見なされることが多い職種でした。しかし、現在ではその役割が大きく変化しています。データ・テクノロジー・プロセス設計を横断的に理解するオペレーション人材こそ、経営リーダーに最も近いポジションになりつつあるのです。
実際、海外ではCOO(最高執行責任者)やCRO(最高収益責任者)がCEOへ昇進するケースが増加しています。Harvard Business Reviewの調査によると、近年の米国上場企業CEOの約38%が、かつてオペレーション職出身だったとされています。日本でもラクスルの松本恭攝氏が「仕組みで市場を動かす」という思想のもとに経営を展開し、オペレーション思考が経営の中心にあることを示しています。
オペレーション経験者が経営に強い理由は3つあります。
- 全社的な構造理解を持ち、組織間の摩擦を最小化できる
- データドリブンな意思決定ができる
- 再現性ある仕組みで戦略を実行に移せる
また、スタートアップにおいては、BizOpsやRevOps出身者がCxOや事業責任者を務めるケースも増加しています。特に、freeeやSansanのようなデータ駆動型企業では、オペレーションリーダーが「事業成長と組織成長の両輪」をマネジメントする存在となっています。
加えて、オペレーション人材のキャリアは経営人材育成の観点からも注目されています。経済産業省が2024年に公表した「成長志向企業における次世代人材育成レポート」では、業務設計・KPI管理・データ分析を一体的に担う人材を“戦略実行人材”として育成すべきと提言しています。
つまり、オペレーションのキャリアとは、単なる管理職の道ではなく、経営そのものを担う成長軸なのです。現場の最適化と経営の意思決定をつなぐ力こそが、次世代リーダーに不可欠な資質といえます。
オペレーションを極めることは、経営を制することに直結する。
この認識が広がるほど、未来の経営層は「オペレーション出身者」が中心になっていくでしょう。
