新規事業を立ち上げようとするとき、多くの人が最初に直面する壁は「ゼロから価値を生み出せるのか」という問いです。既存市場で競争するだけでは差別化は難しく、成功する起業家たちは自らの経験や洞察をもとに、新しい価値を構想し、実際に形にしています。この「ゼロから価値を創造する力」こそが、起業家マインドの核心です。
ヨーゼフ・シュンペーターは起業家を「創造的破壊の担い手」と位置づけ、市場を変革する存在と捉えました。一方で、イスラエル・カーズナーは市場の不均衡に潜む機会を発見し、調整する存在として描いています。これらの理論は異なる視点を持ちながらも、いずれも起業家が「新しい価値の源泉」であることを示しています。
現代の日本においては、開業率の低さや黒字廃業の多さといった課題が存在しますが、その一方でAIやWeb3、GXといった新しいフロンティアが広がっています。さらに、政府によるスタートアップ支援や社会の価値観の変化は、挑戦を後押しする大きな追い風となっています。本記事では、成功する起業家の心理特性や行動原則、具体的なフレームワーク、そして日本の事例をもとに、新規事業開発の実践的なヒントを徹底解説していきます。
起業家マインドとは何か:ゼロから価値を生み出す思考の正体

起業家マインドとは、既存の枠組みにとらわれず、社会に新たな価値を創造するための思考様式を指します。単なる職業や役職ではなく、「存在しなかったものを形にする力」であり、その背景にはビジョン、情熱、そして不確実性に挑む勇気が存在します。
経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、起業家を「創造的破壊」の担い手と定義しました。既存の市場均衡を壊し、新たな組み合わせを作り出すことで経済を前進させる存在です。一方で、イスラエル・カーズナーは、起業家を「市場の不均衡から機会を発見し、調整する存在」と捉えました。つまり、起業家マインドは、「破壊と創造」そして「発見と調整」という二つの側面を兼ね備えているのです。
興味深いのは、この思考様式が芸術活動と深い共通点を持つことです。アートもまたゼロからの創造行為であり、作品には制作者の情熱や独自の視点が込められています。ANAが社員教育に「アート鑑賞」を導入した事例では、観察力や発想力が磨かれることでビジネス上の問題解決能力が高まると報告されています。これは、起業とアートのいずれも「新しい価値をつくる」という点で重なることを示しています。
さらに心理学的研究では、起業家は高い達成欲求やリスク許容度、逆境を乗り越える強靭さを備えていることが示されています。特に米国や欧州の調査では、「自己効力感(自分ならできるという信念)」が成功の決定的要因であることが明らかになっています。
まとめると、起業家マインドは以下の要素で構成されます。
- 新しい価値を見出す発想力
- 失敗を恐れないリスクテイキング
- 社会的な使命感やビジョン
- 学び続ける姿勢と柔軟性
これらの要素が組み合わさることで、不確実性の高い環境でも挑戦を継続できるのです。起業家マインドは特別な人に限られた資質ではなく、教育や経験を通じて誰もが磨くことのできる「学習可能なスキル」と言えます。
日本における起業環境の現状と課題
起業家マインドを発揮するためには、社会全体の起業環境が大きな影響を及ぼします。日本はOECD諸国の中でも開業率が低く、経済の新陳代謝が停滞している点が課題とされています。
中小企業庁の「2024年版中小企業白書」によると、2022年度の日本の開業率は3.9%、廃業率は3.3%でした。一方、米国やドイツの廃業率は9%台、英国の開業率は11%を超えており、日本は国際的に見て著しく低い水準にあります。
表:主要国の開廃業率比較(2022年度)
国名 | 開業率(%) | 廃業率(%) |
---|---|---|
日本 | 3.9 | 3.3 |
英国 | 11.1 | 11.1 |
ドイツ | – | 9.5 |
米国 | – | 9.4 |
フランス | – | 3.9 |
このデータは、日本の企業の誕生と退出が緩慢であり、産業の新陳代謝が十分に機能していないことを示しています。特に注目すべきは、黒字でありながら廃業する企業が少なくない点です。2023年には中規模企業の55.8%、小規模事業者の49.6%が黒字経営にもかかわらず休廃業や解散を選択しました。
背景には経営者の高齢化や後継者不足があり、収益性とは無関係に事業を閉じるケースが目立ちます。「失敗による廃業」ではなく「選択による廃業」が多い点は、日本特有の構造的課題です。
さらに業種別で見ると、情報通信業や宿泊業・飲食サービス業では比較的活発に新陳代謝が起きていますが、製造業や運輸業は停滞が顕著です。これは産業ごとのダイナミズムの差を反映しています。
こうした状況を改善するには、起業家マインドを持つ人材を増やすだけでなく、事業承継やM&Aを支援する仕組み、失敗を恐れず再挑戦できる文化の醸成が不可欠です。政府が推進する「スタートアップ育成5か年計画」もその一環として注目されていますが、資金供給だけでなく文化的価値観の転換が求められています。
日本の新規事業開発担当者にとって、この環境認識は出発点です。既存の課題を正しく理解した上でこそ、起業家マインドを持つ人材が挑戦できる土壌を整えることができるのです。
成功する起業家の心理的特性とマインドセット

起業の成功を左右する最大の要因は、アイデアや資金力だけではなく、起業家自身の心理的特性やマインドセットにあります。研究によれば、起業家に共通する要素として「革新性」「リスクテイキング」「進取性」の三つが基盤となっていることが示されています。これらは単なる性格ではなく、意思決定や行動様式に深く結びついています。
さらに、現代の起業家研究では以下の特性が特に重要視されています。
- 達成欲求の高さ:目標に向かって粘り強く挑む姿勢
- レジリエンス:逆境を乗り越える精神的な強さ
- 社会的使命感:利益だけでなく社会課題解決を志向する意識
- 学び続ける意欲:試行錯誤を恐れず改善を繰り返す態度
米スタンフォード大学やカーネギーメロン大学の研究では、「自己効力感(自分ならできるという信念)」が起業家の行動持続に直結することが明らかになっています。自己効力感を持つ人は、困難に直面した際にも「学び直し」によって道を切り開きやすく、その結果、事業の存続率も高まる傾向が見られます。
また、心理学者マーティン・セリグマンが提唱する「ポジティブ心理学」では、希望や楽観性が挑戦を支える重要な要素であるとされています。日本政策金融公庫の調査でも、開業者の8割以上が「過去の勤務経験で培った知見を活かせる」と回答しており、経験と信念の組み合わせが強力な心理的エンジンとなっていることが分かります。
このように、成功する起業家のマインドは「特別な才能」ではなく、経験と学習、そして意識的な訓練によって育まれるものです。新規事業開発の担当者にとっても、このマインドを理解し、自らの成長戦略に取り込むことが重要となります。
起業家が実践する価値創造フレームワーク
起業家マインドを実際の行動に落とし込むには、理論と実践を結びつけるフレームワークが欠かせません。近年注目されている代表的な三つのアプローチが「リーン・スタートアップ」「エフェクチュエーション」「デザイン思考」です。
リーン・スタートアップ
エリック・リースが提唱したリーン・スタートアップは、「できる限り早く顧客が本当に欲しいものを見極める」ことを目的とした方法論です。その中核は「構築―計測―学習」のサイクルであり、最小限の製品(MVP)を市場に出し、データを通じて仮説を検証し続けます。トヨタ生産方式のリーン思考に着想を得ており、不確実性を科学的に乗りこなす実践的アプローチです。
エフェクチュエーション
サラス・サラスバシー教授が提唱した理論で、成功した起業家の意思決定に共通する「手中の資源から未来を形づくる」考え方を体系化しています。大きな特徴は「許容可能な損失」や「クレイジーキルト(仲間との共創)」といった原則に基づき、不確実な環境でも行動を積み重ねていく点です。これはリスクを最小化しながら柔軟に未来を切り開くための強力な手法とされています。
デザイン思考
デザイン思考は利用者の深い理解から出発し、共感・問題定義・発想・試作・検証というプロセスを繰り返すことで、潜在的なニーズを掘り起こします。アップルやIDEOなどの企業が実践して成果を上げた手法であり、近年では日本企業でも新規事業やサービス改善に広く導入されています。
表:代表的な起業家フレームワークの特徴
フレームワーク | 特徴 | 活用場面 |
---|---|---|
リーン・スタートアップ | MVPと検証サイクルで無駄を排除 | プロダクト開発初期 |
エフェクチュエーション | 手持ち資源を基盤に未来を構築 | 不確実性の高い市場 |
デザイン思考 | 人間中心で課題解決を探る | サービス設計やUX改善 |
この三つのフレームワークはいずれも「不確実性の中で前進する」ことを目的としており、起業家にとって羅針盤の役割を果たします。新規事業開発の担当者もこれらを理解し、自社の状況に合わせて取り入れることで、成功確率を高めることができるのです。
日本の起業家事例に学ぶ:現場からの教訓

理論やフレームワークは重要ですが、実際に成功した起業家の事例から得られる学びはさらに実践的です。日本ではメルカリ、Sansan、ラクスルといった企業がゼロから価値を創造し、困難を乗り越えながら成長を遂げてきました。これらの事例は、起業家マインドの本質を理解する上で貴重な教材となります。
メルカリに見るグローバル視点と危機対応
フリマアプリ「メルカリ」を創業した山田進太郎氏は、サービス開始からわずか1年で米国市場へ進出しました。創業初日から世界を視野に入れる姿勢、いわゆる「Global from Day 1」の戦略が特徴的です。一方で、2017年には現金が額面以上で出品される「現金出品問題」に直面し、社会的批判を浴びました。メルカリは即時に現金出品を禁止し、24時間体制で監視チームを設けるなど、信頼回復のために迅速な行動をとりました。この対応は、理想だけでなく社会との調和を意識することの重要性を示しています。
Sansanに見る市場創造の挑戦
法人向けクラウド名刺管理サービスを展開するSansanの寺田親弘氏は、存在しなかった市場をゼロから創造しました。創業初期は名刺をスキャンして管理するサービスの必要性を企業に一社ずつ説得し、1日に8件の営業を重ねるほどの行動力を発揮しました。当初は個人情報をクラウドに預けることへの抵抗が強かったものの、ビジョンに共感した投資家や初期顧客と共に市場を切り拓きました。この事例は「需要を見つける」だけでなく「需要をつくる」ことの難しさと可能性を示しています。
ラクスルに見る組織崩壊からの再生
印刷業界にシェアリングエコノミーを導入したラクスルの松本恭攝氏は、創業期に深刻な組織崩壊を経験しました。急成長に伴う社内対立により正社員の8割が退職し、離職率は42%を超えました。松本氏は自身のワンマン経営を反省し、自分より優れた人材を採用して権限を委譲する経営スタイルへと転換しました。結果として、個人に依存しない強い組織文化を再構築し、企業を立て直すことに成功しました。
これら三つの事例から得られる最大の教訓は、成功の本質が「最初のアイデア」ではなく、困難に直面したときの対応力と柔軟性にあるということです。新規事業開発に携わる人にとって、失敗や逆境は避けられないものですが、それを糧にして組織や戦略を進化させる力が成果を分けるのです。
日本における文化的・制度的背景と追い風
起業家が活躍する環境は、その国や地域の文化や制度に大きく左右されます。日本の場合、同調圧力や後継者不足といった独自の課題がある一方で、政府主導の支援やスタートアップ育成政策といった追い風も存在します。
出る杭を守る企業文化づくり
日本社会には「出る杭は打たれる」という文化的な重力が根強く存在します。これは集団の和を保つために機能してきましたが、イノベーションを生み出す起業家にとっては心理的障壁となる場合があります。成功した起業家たちは、社会全体を変えようとするのではなく、社内に独自の価値観を持つ強固な企業文化をつくり、外部の圧力からチームを守ることに注力してきました。これは、組織内に「小さな安全な社会」を構築する戦略とも言えます。
政府によるスタートアップ育成政策
一方で、日本政府は近年、起業家支援を強化しています。2022年に策定された「スタートアップ育成5か年計画」では、スタートアップへの投資額を5年間で10倍に拡大することを目標としています。実際に、大学発スタートアップの数は2024年時点で4,288社に達し、2027年に5,000社という目標に近づいています。また、産業革新投資機構(JIC)の運用期限延長や公共調達の拡大など、資金や市場へのアクセスを支援する施策も進んでいます。
表:日本における起業支援の主な施策(2022年以降)
項目 | 内容 |
---|---|
人材育成 | 起業家1,000人を海外に派遣(2027年度目標) |
資金供給 | JICの運用期限を2050年まで延長 |
オープンイノベーション | 大学発スタートアップを5,000社まで拡大 |
これらの施策は、リスクマネー不足や挑戦を後押しする文化の欠如といった日本の課題を補うものであり、起業家にとって追い風となっています。ただし、資金や制度面の支援だけでなく、失敗を許容する文化を育むことが成功の鍵です。
結局のところ、日本の起業環境は文化的な逆風と政策的な追い風の両方が共存しているのが実情です。新規事業開発の担当者にとっては、この二面性を理解し、自社や自身のプロジェクトをどのように社会や制度に接続させるかを戦略的に考えることが求められます。
次なる価値創造のフロンティア:AI・Web3・GX
新規事業開発を考えるうえで、次の成長分野を見極めることは極めて重要です。現在、日本を含む世界の起業家や企業が注目しているのがAI(人工知能)、Web3(分散型インターネット)、そしてGX(グリーン・トランスフォーメーション)です。これらは単なる技術トレンドではなく、経済や社会構造そのものを変革する可能性を秘めたフロンティア領域です。
AIスタートアップが牽引するイノベーション
AIはすでに社会の基盤的技術となりつつあり、日本国内でもAI関連のスタートアップ数は急増しています。経済産業省の調査によれば、2023年時点で国内AIスタートアップは1,200社を超え、その多くが製造業の自動化、医療診断支援、金融リスク分析などに取り組んでいます。
特に生成AIの発展は新しい市場を創出しています。アクセンチュアの試算では、生成AIの経済効果は日本国内だけでも年間20兆円規模に達する可能性があるとされています。起業家にとって、既存ビジネスの効率化だけでなく、新しいサービスやプラットフォームを構築できる絶好の機会となっています。
Web3が拓く分散型経済の可能性
ブロックチェーン技術を基盤とするWeb3は、従来の中央集権的な仕組みを超えた分散型経済を実現します。暗号資産やNFTが注目を集めた初期の段階から、現在はDAO(分散型自律組織)やDeFi(分散型金融)といった新たな仕組みが普及し始めています。
日本政府もWeb3を成長戦略に位置づけており、2022年には「骨太の方針」に明記されました。これにより規制整備や税制改革が進み、スタートアップにとって追い風となっています。起業家にとって重要なのは投機的な側面にとらわれず、ユーザー体験や社会的価値を提供できるユースケースを開発することです。
GXがもたらす新規事業機会
GX(グリーン・トランスフォーメーション)は、脱炭素社会の実現に向けた経済・社会の変革を指します。日本政府は2050年カーボンニュートラルを宣言し、10年間で150兆円規模のGX投資を官民で動員する方針を掲げています。
スタートアップにとっては、再生可能エネルギー、水素、蓄電池、循環型経済などの分野に巨大なビジネスチャンスがあります。特に製造業や物流など、環境負荷の大きい産業におけるソリューション提供は、新しい市場を切り拓く可能性を秘めています。
まとめとしての示唆
AI、Web3、GXはいずれも日本経済の次世代成長を担う領域です。共通する特徴は、不確実性が高い一方で、規模の大きな変革をもたらす可能性を秘めていることです。起業家や新規事業開発の担当者にとっては、単なる技術導入ではなく、「社会課題を解決しながら市場を創造する視点」が不可欠です。
これらのフロンティアを意識した取り組みは、単なる事業拡大にとどまらず、日本が直面する人口減少や環境問題といった大きな課題への解決策にも直結します。次の10年を見据えるなら、AI・Web3・GXを切り口にした事業開発は避けて通れないテーマと言えるでしょう。