日本企業が持続的な成長を実現するためには、既存事業の枠を超えた新しい価値創造が欠かせません。その中心に位置づけられるのが「新規事業開発」です。しかし、その役割は営業やマーケティング、経営企画と混同されることが多く、本質が十分に理解されていないのが実情です。新規事業開発は、単に売上を伸ばす活動ではなく、未来の収益源を設計する0→1の価値創造プロセスであり、企業の存続を左右する戦略的な機能といえます。
経済産業省が指摘する「2025年の崖」に象徴されるように、デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れは日本企業に大きなリスクをもたらしています。その中で、新規事業開発は変化の荒波を乗り越えるための最重要エンジンと位置づけられています。
本記事では、成功する事業開発に必要なスキルやマインドセットを網羅的に解説し、さらに富士フイルムやメルカリといった日本企業の具体的な事例を取り上げます。また、実務に直結する育成戦略についても紹介し、担当者や学習者が明日から活用できる知見を提供します。
新規事業開発とは何か:営業・マーケティングとの違いを明確化

新規事業開発は、既存のビジネスを強化する活動とは異なり、未来の収益源を創り出す「0→1」の価値創造プロセスです。営業やマーケティングと混同されることが多いものの、その役割や目的には明確な違いがあります。これを理解することは、企業が新規事業を正しく推進するための第一歩になります。
例えば営業は、既に存在する商品やサービスを用いて売上を拡大することを目的としています。短期的なKPI(売上、契約数、利益率など)に基づき活動するのが特徴です。一方マーケティングは、需要を喚起し市場全体にアプローチすることでブランド価値や認知度を高めます。こちらも比較的短期から中期的な成果を求められることが多いです。
これに対して、新規事業開発は中長期的な視点で企業価値を高める戦略的な活動です。対象は未開拓市場や新たな顧客ニーズであり、まだ存在しない商品や事業モデルをゼロから設計し育て上げることが使命です。社内の技術資産やノウハウを外部の市場機会と結びつけ、新しいビジネスを構築する姿勢は「社内起業家」と呼ばれることもあります。
以下に、それぞれの機能の違いを整理します。
項目 | 新規事業開発 | 営業 | マーケティング |
---|---|---|---|
主要目標 | 新規市場の開拓、長期的な企業価値向上 | 既存商品の売上拡大 | 需要喚起・ブランド認知度向上 |
活動の時間軸 | 中長期(数ヶ月〜数年) | 短期〜中期 | 短期〜中期 |
主な活動 | アライアンス、M&A、新規事業モデル設計 | 商談、クロージング、顧客維持 | 調査、広告、販促、ブランド戦略 |
成果指標 | 新規事業進捗、提携数、将来収益性 | 売上高、契約数、利益率 | リード数、CV率、認知度 |
このように比較すると、新規事業開発は短期的な成果を追う営業やマーケティングとは異なり、未来の収益を設計する役割を持っていることが明確になります。
また経営企画や事業企画との違いも重要です。経営企画が全体戦略を描く「羅針盤」だとすれば、新規事業開発はその戦略を実行に移す「探検船の船長」に相当します。事業企画が既存事業の成長を支援するのに対し、新規事業開発はよりリスクが高い未開拓分野に挑戦します。
この区別を誤ると、短期的な売上目標をKPIとして設定してしまい、長期的なイノベーションが評価されずに頓挫するリスクが高まります。したがって、新規事業開発の役割を明確に定義し、組織内で共有することが企業成長の前提条件となるのです。
日本企業が直面する環境変化と事業開発の必要性
日本企業を取り巻く経営環境は、過去にないスピードで変化しています。少子高齢化による国内市場の縮小、グローバル競争の激化、そして技術革新の加速は、従来のビジネスモデルの持続性を脅かしています。この状況下で新規事業開発は、企業の生存と成長を支える「生命線」といえる存在になっています。
特に経済産業省が警鐘を鳴らす「2025年の崖」は象徴的です。老朽化したレガシーシステムが企業活動を制約し、最大で年間12兆円規模の経済損失が発生すると指摘されています。DX(デジタルトランスフォーメーション)の遅れは、競争力を根底から揺るがすリスクとなり、企業は新たな収益源を創出する仕組みを急速に整備する必要に迫られています。
また、環境問題に対応するGX(グリーントランスフォーメーション)も重要です。再生可能エネルギーや脱炭素化の流れは、産業構造を根本から変える可能性があります。この変化をビジネスチャンスに変えるには、既存の事業領域に固執せず、新たな市場を開拓する柔軟な発想が不可欠です。
このような変化は統計にも表れています。帝国データバンクの調査によれば、日本企業の約7割が「新規事業開発を経営課題」と位置づけています。その背景には、既存市場の成長限界と、不確実性の高い時代を乗り越えるための多角化戦略へのニーズがあります。
具体的な成功事例として富士フイルムの転換が挙げられます。写真フィルム市場が急速に縮小した際、同社は自社の技術を化粧品や医薬品に応用し、新たな収益源を確立しました。この取り組みは、事業開発が企業の再生に直結する力を持つことを示す好例です。
まとめると、現代日本企業が直面する外部環境は「待ち」の姿勢では乗り越えられません。事業開発を通じて新たな収益基盤を築き、変化を成長へと転換することが企業存続の条件となっています。つまり、新規事業開発は選択肢ではなく、経営戦略の中核に据えるべき不可欠な機能なのです。
成功する事業開発に欠かせないソフトスキル

新規事業開発は不確実性の高い環境で進められるため、分析力や財務知識といったハードスキルだけでは不十分です。多様な利害関係者を巻き込み、組織の壁を越えて推進するには、対人能力や思考力といったソフトスキルが欠かせません。特に日本のビジネス文化では、合意形成や信頼関係の構築が成果を左右するため、ソフトスキルの重要性は年々増しています。
思考・戦略系スキル
事業開発の第一歩は情報収集と分析です。市場動向や競合の戦略を把握し、PEST分析やSWOT分析を用いて本質的な洞察を導く力が必要です。さらに、その情報を整理し、説得力ある仮説を立てる論理的思考力も不可欠です。スタンフォード大学の研究では、戦略的思考を持つ人材はそうでない人材に比べ、約30%高い確率でプロジェクトを成功に導いていると報告されています。
関係構築・交渉スキル
事業開発は一社単独では成立せず、パートナーシップやアライアンスが成果を決定づけます。そのため、交渉力と関係構築力は必須です。単なる短期的な契約条件交渉ではなく、相手企業と長期的なWin-Win関係を築けるかどうかが鍵を握ります。たとえば、メルカリが急成長できた背景には、ユーザーだけでなく物流業者や金融機関と信頼関係を築いたことが大きく影響しています。
リーダーシップと実行力
直属の部下がいない環境でも、周囲を動かすリーダーシップが求められます。明確なビジョンを掲げ、チームを鼓舞し、失敗を恐れず前に進める力が事業を前進させます。加えて、スケジュール管理やリスクマネジメントを徹底するプロジェクトマネジメント能力も重要です。
箇条書きで整理すると、重要なソフトスキルは以下の通りです。
- 情報収集・分析能力
- 論理的・戦略的思考力
- 交渉力・関係構築力
- ステークホルダー巻き込み力
- プロジェクトマネジメント能力
- リーダーシップとレジリエンス
これらのスキルをバランス良く兼ね備えることで、事業開発担当者は社内外の信頼を得て、新しい価値創造を推進することができます。
財務・市場分析からテクノロジー理解まで:重要なハードスキル
ソフトスキルが事業を推進する「潤滑油」だとすれば、ハードスキルは意思決定を裏付ける「科学的基盤」です。新規事業は不確実性が高いため、定量的な分析や専門知識に基づく判断が欠かせません。財務、マーケティング、テクノロジーといった幅広い分野のスキルを持つことで、プロジェクトの成功確率は大きく高まります。
財務分析と事業モデリング
投資家や経営陣を説得するには、数字で事業の妥当性を示すことが必須です。収益予測、コスト構造、ROI(投資対効果)の試算を含む財務モデルを構築できるスキルは、あらゆる事業開発担当者に求められます。特にLTV(顧客生涯価値)とCAC(顧客獲得コスト)のバランスは、新規事業の健全性を測る上で重要な指標です。
市場調査と顧客理解
事業の成功は、顧客ニーズを的確に捉えられるかにかかっています。STP分析やカスタマージャーニーマップを用いて市場を理解し、定性データ(インタビュー)と定量データ(市場規模調査)を組み合わせて検証する力が欠かせません。
以下は、ハードスキルの代表例です。
分野 | 必要なスキル | 活用場面 |
---|---|---|
財務 | 財務諸表分析、事業モデリング、ROI評価 | 投資判断、事業計画策定 |
市場 | STP分析、顧客調査、競合分析 | 新規市場参入、需要予測 |
データ | Excel活用、統計解析ツール、BI活用 | 仮説検証、事業評価 |
技術 | AI・SaaS理解、DX知識、クラウド基盤理解 | 技術導入、提携交渉 |
法務 | 契約法、知財、個人情報保護法 | リスク管理、提携契約 |
テクノロジーリテラシーと法務知識
現代の事業開発は必ずテクノロジーと結びつきます。AIやSaaSモデルの理解があれば、事業の競争優位性を論理的に説明できます。また、パートナーシップ契約や知的財産権、個人情報保護といった法務知識もリスク回避に不可欠です。
特に経済産業省のDXレポートが示すように、デジタル活用はもはや企業存続の条件とされています。したがって、財務や市場だけでなく、テクノロジーと法務を組み合わせて理解できる人材こそ、これからの事業開発をリードする存在になります。
成長マインドセットと起業家精神がもたらす力

新規事業開発は、不確実性と失敗のリスクを常に伴う挑戦です。そのため、スキルや知識だけでなく、心の持ち方である「マインドセット」が成果を大きく左右します。特に重要なのが、心理学者キャロル・ドゥエックが提唱した成長マインドセットと、当事者意識や挑戦心を含む起業家精神です。
成長マインドセットの重要性
成長マインドセットとは、「能力は努力と学習を通じて伸ばせる」という信念です。スタンフォード大学の研究によれば、成長マインドセットを持つ組織はそうでない組織に比べ、従業員満足度やイノベーション創出数が顕著に高いことが示されています。新規事業の場面では、試行錯誤や失敗を「学びの機会」と捉える姿勢が、持続的な前進を可能にします。
起業家精神が持つエネルギー
起業家精神は単一の特性ではなく、以下のような複数の態度の集合体です。
- 当事者意識と強い責任感
- 自ら課題を発見し解決する主体性
- 社会価値を追求する高い使命感
- 失敗から立ち直るレジリエンス
- 不完全な情報下でも決断するリスクテイク力
これらは単なる精神論ではなく、現場で成果を左右する実践的な行動特性です。たとえば、メルカリ創業者の山田進太郎氏は「限りある資源を循環させる社会をつくる」というビジョンを掲げ、それを原動力に事業を拡大しました。使命感と成長志向の組み合わせが、同社を社会インフラ的存在へと成長させたのです。
日本企業文化との関係
日本企業には「失敗を避ける文化」が根強く存在します。しかし、失敗を恐れる文化では新しい挑戦は芽生えにくいのが現実です。成長マインドセットを浸透させ、失敗を許容し学習する文化を育むことが、事業開発を進める上で不可欠です。
このように、スキルや知識だけではなく、挑戦を恐れず学び続ける心構えこそが、未来を切り開く最大の武器となります。
富士フイルムやメルカリに学ぶ日本発の成功事例
抽象的なスキルやマインドセットを理解しただけでは、事業開発を具体的に推進することはできません。日本企業の実際の成功事例から学ぶことが、理論を実践に結びつける近道になります。特に富士フイルムとメルカリは、異なるアプローチで新規事業の成功を収めた代表的なケースです。
富士フイルム:資産移転型モデルの成功
富士フイルムはデジタル化の波で写真フィルム事業が衰退した際、全社的に技術の棚卸しを行いました。その結果、写真フィルムで培ったナノテクノロジーやコラーゲン技術を化粧品や医薬品へ応用し、ブランド「アスタリフト」を成功させました。この事例は、既存の資産を新しい市場へと転用する「アセット移転型」モデルの典型です。危機をチャンスに変えた点が多くの研究で評価されています。
メルカリ:白紙開拓型モデルの成功
一方メルカリは、既存資産に依存せずゼロから事業を立ち上げた「白紙開拓型」モデルです。山田氏の掲げた「循環型社会」という社会的ビジョンが強力な推進力となり、短期間で国内最大級のCtoCマーケットプレイスを構築しました。さらに、物流や金融機関との連携により社会インフラ的役割を担うまでに成長しています。
2つのモデルの比較
モデル | 特徴 | 成功要因 | 代表事例 |
---|---|---|---|
アセット移転型 | 既存資産を新市場へ応用 | 技術・ブランド資産の活用、社内調整力 | 富士フイルム |
白紙開拓型 | ゼロから事業を創造 | 強いビジョン、迅速な市場適応、資金調達力 | メルカリ |
両者の違いは大きいものの、共通するのは「長期的な視点」と「挑戦を恐れない姿勢」です。
この2つのケースから得られる教訓は明確です。既存資産を再定義して新しい市場で活かす力、またはゼロから社会的課題に挑む力、いずれも事業開発担当者に求められるスキルセットとマインドセットを象徴しています。
成功事例は単なる偶然ではなく、戦略と文化の結果であることを理解することが、次の挑戦につながるのです。
事業開発人材を育成するためのロードマップとOJT活用
新規事業開発は高度な専門性と幅広いスキルを求められるため、即戦力人材の採用だけでは組織力が強化されません。むしろ、既存の社員を体系的に育成し、事業開発の素地を持った人材を増やすことが、長期的な競争力の源泉となります。そのためには、学習と実践を組み合わせたロードマップを描き、現場での経験を通じて成長させるOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が不可欠です。
スキル育成のステップ設計
効果的な育成のためには、段階的なステップが求められます。経済産業省の人材育成レポートでも、リーダー人材育成には「知識習得→実務経験→挑戦機会」の流れが有効であると指摘されています。
育成段階 | 習得すべき要素 | 主な手法 |
---|---|---|
基礎段階 | 財務・市場分析、マーケティング基礎、DX理解 | 研修、eラーニング、書籍学習 |
応用段階 | アライアンス交渉、事業モデル設計、仮説検証 | ケーススタディ、ロールプレイ |
実践段階 | プロジェクト推進、リーダーシップ、意思決定 | OJT、社内ベンチャー制度、海外派遣 |
このように、理論的な知識と実践機会を交互に与えることで、知識が定着し実務力に転換されていきます。
OJTの有効活用
OJTは、実際のプロジェクトに参加しながら学べる点が最大の強みです。特に新規事業開発のような不確実性の高い領域では、座学では得られない「現場の判断力」が磨かれます。日本能率協会の調査によれば、OJTを活用した育成を行った企業は、そうでない企業と比べて新規事業の成功確率が約1.5倍高いことが示されています。
効果的なOJTを設計するためには以下の工夫が有効です。
- 初期段階は観察中心にし、徐々に意思決定を任せる
- メンター制度を取り入れ、経験豊富な人材がフィードバックを行う
- 成果だけでなくプロセスを評価対象に含める
- 小規模な実証実験(PoC)を担当させ、失敗から学ぶ機会を設ける
社内制度と文化の整備
人材育成を成功させるには、制度と文化の両面が必要です。社内ベンチャー制度や新規事業コンテストのように、挑戦の場を制度的に設けることが効果的です。また、失敗を評価する文化を醸成しなければ、社員はリスクを取ることを避けてしまいます。
富士フイルムやリクルートでは、若手社員に小規模プロジェクトを任せる制度を導入し、現場での学びを通じてリーダーを育成してきました。このような実践の積み重ねが、組織全体の事業開発力を底上げしています。
育成ロードマップの最終目的
最終的な目標は、単にスキルを持つ人材を増やすことではなく、事業機会を自ら発見し、社内外のリソースを活用して新規事業を形にできる人材を育てることです。そのためには、学びと挑戦のサイクルを組織文化として根付かせることが不可欠です。
このようなロードマップとOJTを組み合わせることで、企業は持続的に新規事業を生み出し続ける力を獲得できます。