現代の日本企業は、長期的な経済停滞やDX・AIの急速な進展、従来の効率追求型モデルの限界といった課題に直面しています。こうした状況で企業の未来を切り開く鍵となるのが「新規事業開発」です。単なる新しい商品やサービスを生み出す活動ではなく、未開拓市場を発見し、ゼロから新しい価値を創造する営みこそが事業開発の本質といえます。

しかし成功する事業開発者に共通するのは、特定のスキルや経験よりも独自のマインドセットです。成長マインドセットを基盤とし、オーナーシップ、顧客中心主義、レジリエンス、データ駆動の思考、システム思考といった要素を統合的に発揮できるかどうかが成果を左右します。加えて、日本企業特有の「大企業病」を乗り越える環境設計や、AI・サステナビリティといった新しい潮流への適応も不可欠です。

本記事では、最新の調査や実証研究、先駆的な経営者の事例をもとに、新規事業開発に求められるマインドセットを体系的に解説します。これから事業開発に挑む方、あるいは担当者として組織変革を推進する方にとって、成功の指針となる視点を提供します。

新規事業開発者に求められる役割と定義

新規事業開発者は、単なる営業担当者や企画担当者とは異なり、企業の未来を設計する存在として位置づけられます。既存のビジネスモデルを最適化するのではなく、変化する市場環境や顧客ニーズを捉え、ゼロから新たな価値を創造する役割を担います。この点で、彼らは経営企画や営業、マーケティングといった隣接する部門と密接に関わりながらも明確に異なる機能を持っています。

経営企画は「企業がどこを目指すか」という方向性を定めますが、新規事業開発者はそれを「具体的な事業としてどう実現するか」に落とし込みます。また営業が既存顧客への販売拡大を担い、マーケティングが現在の顧客ニーズを分析して需要を高めるのに対し、新規事業開発者は将来の潜在的ニーズを見抜き、それを事業として形にするのです。

例えば、メルカリはC2C市場における「面倒」と「不安」という課題を的確に見抜き、ユーザーの心理的障壁を取り除く仕組みを整えました。これは営業やマーケティングの延長ではなく、まさに新規事業開発者が持つべき未来志向の役割によって実現された成果です。

さらに、調査会社NRIのレポートによれば、日本企業の約6割が「新規事業開発の専門部門を持たない」と回答しています。これは、役割の定義があいまいであるために新しい挑戦が組織内で埋もれてしまう現状を示しています。このような背景からも、企業が成長を持続するためには、新規事業開発者を独立した専門職能として位置づけることが欠かせません。

まとめると、新規事業開発者は以下のような役割を持ちます。

  • 市場や顧客の変化を先読みし、新たな事業機会を創出する
  • 部門横断的に動き、戦略を具体的な事業へと落とし込む
  • 経営の未来ビジョンを、顧客に価値を届ける仕組みへと翻訳する

このように、新規事業開発者は単なる実務担当ではなく、企業の進化を推進する「未来の設計者」といえるのです。

成長マインドセットの重要性と固定マインドセットとの対比

新規事業開発者にとって、専門知識や経験よりも重要なのが「マインドセット」です。特に、スタンフォード大学の心理学者キャロル・S・ドゥエックが提唱した「成長マインドセット」は、成功を左右する中核的要素といえます。成長マインドセットとは「能力は努力や学習によって伸ばせる」という信念であり、挑戦や失敗を学びの糧とする姿勢につながります。

一方で「固定マインドセット」では、能力は生まれつき決まっていると考え、挑戦を避けたり批判を防御的に捉えたりする傾向があります。この違いは、新規事業開発の成果に直結します。マッキンゼーの調査でも、成長マインドセットを持つ組織はイノベーションの成功率が高く、従業員の協力関係や信頼関係も強固であることが示されています。

以下は、事業開発の現場における両者の違いをまとめたものです。

活動領域固定マインドセット成長マインドセット
アイデア創出成功の確証を求める学びの機会を探る
市場調査自分の仮説を裏付ける情報だけを集める反証データを積極的に探す
失敗対応諦めや外部要因への非難学習データとして分析し粘り強く挑戦
フィードバック攻撃と捉え防衛的になる改善の材料と考え積極的に取り入れる

成長マインドセットを持つことで、失敗は終わりではなく改善の機会へと変わります。例えば、富士フイルムはフィルム事業の衰退を受け入れ、自社の技術を再定義することで化粧品や医薬品事業に転換しました。この背景には「失敗や逆境を新しい挑戦の種と捉える」成長マインドセットが存在していたといえます。

さらに、組織全体でこのマインドセットを共有することが重要です。従業員が「挑戦や失敗を学びとして評価される」と感じる文化があれば、新規事業の試行錯誤が加速します。日本企業が次の成長を掴むには、固定観念を超えた学習志向の文化づくりが欠かせません。

核心的な5つのマインドセット

新規事業開発者が成果を上げるためには、単にアイデアを出す力や分析力があるだけでは不十分です。根底にある考え方や姿勢、すなわちマインドセットが行動や意思決定を大きく左右します。特に重要とされるのが「オーナーシップ」「顧客中心主義」「レジリエンス」「データ駆動の仮説検証」「システム思考」という5つの要素です。これらは互いに連携し、一体となって強力なフレームワークを形成します。

オーナーシップ(当事者意識)

オーナーシップとは、単なる担当者ではなく「事業の責任者」という視点で行動する姿勢です。自ら課題を設定し解決を進める主体性が求められます。心理学的には「自己効力感」と強く結びついており、小さな成功体験の積み重ねが自信を育てます。人材育成の専門家も「自律型人材にはオーナーシップの醸成が不可欠」と指摘しています。

顧客中心主義(カスタマーセントリシティ)

新規事業の出発点は顧客の課題理解にあります。メルカリは取引の「不安」と「面倒」を解消することで急成長しました。顧客の声を表面的に捉えるのではなく、背景にある行動や感情を洞察する姿勢が鍵となります。企業が「売れるかどうか」ではなく「顧客の問題をどう解決できるか」を起点に考えることが重要です。

レジリエンスとピボット

失敗を学習の糧とし、必要に応じて方向転換する力が不可欠です。富士フイルムは写真フィルム市場の衰退を受け、化粧品や医薬品に転換しました。これは単なる技術転用ではなく、失敗を受け入れつつ新たな強みを再定義した好例です。

データ駆動の仮説検証

事業の前提は全て仮説と捉え、データで検証することが必要です。ワークマンが「エクセル経営」で販売データを現場レベルで活用し、新市場を創出したのは代表的な事例です。

システム思考

施策を単発で考えるのではなく、長期的な波及効果や副作用まで考慮する視点です。価格戦略や新規施策がブランドや顧客体験にどう影響するかを多角的に検討する力が求められます。

この5つは単独で存在するのではなく、相互に補完し合います。オーナーシップが行動を促し、顧客中心主義が方向性を示し、データが検証を支え、レジリエンスが失敗を乗り越える力となり、システム思考が全体を見渡す智慧を与えるのです。

日本企業が直面する「大企業病」とその克服策

どれほど優れたマインドセットを持つ人材がいても、組織文化がそれを許容しなければ力を発揮できません。特に日本企業では「大企業病」と呼ばれる構造的な課題が、新規事業開発を阻害する大きな要因となっています。

大企業病の主な症状

  • リスク回避と完璧主義
  • 意思決定の遅さ(複雑な承認プロセスや合意形成の重視)
  • 既存顧客や収益源に固執する「イノベーションのジレンマ」

PwCの調査でも、日本企業は世界的に見てもリスクを避ける傾向が強いと報告されています。こうした文化は従業員を「挑戦」ではなく「何もしない」方向へ追いやりがちです。

出島戦略の活用

克服策の一つが「出島戦略」です。新規事業開発部門を親会社の官僚制度から切り離し、独自の評価基準と迅速な意思決定を可能にします。経営トップの直接支援や心理的安全性の確保がセットで求められます。ただし孤立化を防ぐため、本体との「橋」を設計し、成功事例や人材を還流させることが不可欠です。

投資家視点の導入

ベンチャーキャピタル(VC)は、詳細な収益計画よりも「柔軟性」「誠実さ」「実行スピード」を重視します。大企業が社内審査にこの視点を取り入れることで、失敗を恐れない実験や迅速な学習が促進されます。

イントレプレナーの役割

社内起業家は外部の起業家と異なり、社内政治や既存事業部門との調整力が必要です。彼らが動きやすい環境を整えることで、大企業の強みを活かしつつ新規事業を推進できます。

新規事業開発を成功させるには、個人のマインドセットだけでなく、組織全体の構造と文化を変革することが求められます。そのために、評価制度の見直し、心理的安全性の醸成、経営層による率先垂範が欠かせません。

先駆者から学ぶマインドセットの実践例

理論として語られるマインドセットは、現実の経営者や企業によって実際に体現されています。彼らの思考や行動は、抽象的な概念を具体的な実践に落とし込むためのヒントになります。

孫正義の「七割思考」

ソフトバンクグループの孫正義氏は「成功確率が七割あれば行動する」と語っています。完璧を求めず、スピードを優先する姿勢は、変化の激しい市場で競争優位を築くうえで極めて合理的です。彼のマインドセットは、失敗を恐れず挑戦を重ねることで新しい市場を開拓する思考法を象徴しています。

三木谷浩史の「三木谷曲線」

楽天の三木谷浩史氏は「最後の0.5%をやり切れるかどうかが成功を分ける」と強調します。これは細部へのこだわりと改善を徹底するマインドセットであり、サービス品質や顧客体験の差別化につながります。

南場智子の「不格好経営」

DeNA創業者の南場智子氏は、自身の著書で「失敗や泥臭い試行錯誤こそが成長の源泉」であると述べています。彼女の姿勢は、レジリエンスの実践例であり、現実を直視し逆境をチームで乗り越える力の重要性を示しています。

企業事例:メルカリとワークマン

メルカリはユーザーの「不安」と「面倒」を解消するUXを徹底し、短期間で国内最大級のC2C市場を創出しました。ワークマンはデータを全社員が活用する文化を築き、新たな顧客層を取り込む「ワークマンプラス」を成功させています。

これらの事例から見えてくるのは、優れたマインドセットは組織の文化として浸透させることで初めて成果に結びつくという点です。経営者自身が哲学を言語化し、組織全体に共有することが、持続的な成長の鍵となります。

AIとサステナビリティ時代に求められる新しいマインドセット

新規事業開発の基盤となる5つのマインドセットは普遍的ですが、その適用範囲は時代とともに変化します。特にAIとサステナビリティは、今後の事業開発を大きく方向づける二大潮流です。

AIを副操縦士とする思考法

AIは単なる効率化のツールにとどまらず、事業開発者の能力を拡張する存在へと進化しています。経済産業省のレポートでも、今後のDX推進には「データ分析力」ではなく「問いを立てる力」が求められると指摘されています。AIを活用するためには、適切なプロンプト設計や生成結果を批判的に評価する力が欠かせません。

サステナビリティを事業の核に

SDGsやESGは企業の社会的責任にとどまらず、最大の事業機会とされています。花王や味の素は、自社の存在意義を経営戦略に直結させ、社会課題の解決を通じて新規事業を創出しています。こうした「パーパス駆動型マインドセット」は、社会的価値と経済的価値を同時に実現する発想です。

AIとサステナビリティの融合

次世代の事業開発は、AIとサステナビリティを統合したモデルが主流になると予測されます。たとえば、AIによるサプライチェーン全体のCO2削減や、循環型経済に向けた製品設計支援は、その典型的な事例です。

このように、未来の事業開発者には「技術と社会課題をつなぐ力」が不可欠です。従来のマインドセットに加え、AIとパーパスを組み合わせて新しい価値を描ける人材こそ、次の時代の成功を掴む存在となるでしょう。