新規事業開発に取り組む中で、「いかに面倒をなくすか」「どれだけ摩擦を減らせるか」という問いに向き合ってきた方は多いのではないでしょうか。DXやAIが進展した今、スピードと効率は事業成功の前提条件になりつつあります。
一方で最近、あえて手間がかかるサービスや、効率が悪いはずの体験が支持され、継続的な収益を生んでいる事例が増えています。アナログレコードの復活、サウナやキャンプの人気、未完成のプロジェクトを応援するクラウドファンディングなどは、その象徴です。
本記事では、「面倒くさい」を単なる排除対象としてではなく、価値を生み出す設計要素として捉え直します。行動経済学や心理学の研究、国内外の市場データ、具体的な企業事例を踏まえながら、新規事業においてどの摩擦を消し、どの摩擦を残すべきかを整理します。
読み進めることで、競争が激化する市場の中で差別化を生み、顧客のエンゲージメントを高めるための新しい視点と実践的なヒントを得られるはずです。
摩擦レス社会で再評価される「面倒くさい」という感情
デジタル化とAIの進展によって、私たちの社会は徹底した摩擦レスへと向かっています。検索、決済、移動、意思決定までもが高速化され、「面倒くさい」は排除すべき非効率として扱われてきました。しかし近年、この感情そのものが新たな価値の源泉として再評価され始めています。
行動経済学の視点では、人が行動を起こさない最大の理由は物理的コストではなく、心理的な認知負荷にあります。ハーバード大学をはじめとする研究によれば、新しい選択肢に直面した人は、理解や判断にエネルギーを要するだけで「面倒だ」と感じ、現状維持を選びやすくなります。これは現状維持バイアスとして広く知られています。
一方で注目すべきなのは、すべての面倒が価値を毀損するわけではないという点です。むしろ、適切に設計された面倒は、顧客の没入感や愛着を高めることが明らかになっています。ハーバード・ビジネス・スクールの研究で知られるIKEA効果は、自ら手間をかけた対象に対して、人は実際以上の価値を感じることを示しました。
| 面倒の種類 | 感じられ方 | 価値への影響 |
|---|---|---|
| 認知負荷の高い手続き | 無駄・ストレス | 離脱や拒否を招く |
| 努力や習熟を伴うプロセス | 達成感・自己効力感 | 満足度と愛着を高める |
例えば、アナログレコードの再評価は象徴的です。盤を取り出し、針を落とし、片面が終われば裏返すという一連の手間は、効率だけを見れば非合理です。それでも日本レコード協会の統計では、2023年の国内アナログレコード生産金額は146億円に達し、前年比で成長しています。この「面倒な儀式」が、音楽体験への集中と所有感を生み出しています。
同様に、サウナやキャンプといった分野でも、あえて不便や負荷を引き受ける体験が支持されています。京都大学の川上浩司教授が提唱する不便益の概念によれば、人は制御や効率を一度手放すことで、逆に深い満足を得るとされています。摩擦レス社会が進むほど、この反動は強まる傾向にあります。
新規事業開発において重要なのは、面倒をゼロにするか、意味のある形で残すかを見極める視点です。顧客が「やらされている」と感じる面倒は排除すべきですが、「自分が関与している」「成し遂げている」と感じる面倒は、競合との差別化要因になります。摩擦レスが当たり前になった今だからこそ、「面倒くさい」という感情は、事業価値を再構築するための重要なヒントになっています。
行動経済学から見る「面倒」が行動を止める理由

人が行動を起こさない最大の理由は、能力や意欲の欠如ではなく「面倒だと感じること」にあります。行動経済学では、この「面倒」は物理的な手間以上に、頭の中で発生する心理的コストとして説明されます。新規事業において、優れた価値提案があっても初期行動が起きない背景には、この見えにくいコストが潜んでいます。
ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンが示したように、人間の思考は速く直感的なシステム1と、遅く論理的なシステム2に分かれます。新しいサービスへの登録や業務フローの変更は、システム2を酷使する行為です。その結果、脳は無意識にエネルギー消費を嫌い、「今のままでいい」という選択をします。これが現状維持バイアスであり、行動が止まる瞬間です。
重要なのは、人は「面倒だからやらない」のではなく、「考えるコストが高いから避ける」という点です。たとえば入力項目が多い申込フォームや、専門用語が多い管理画面は、それ自体が認知負荷となり、意思決定を先送りさせます。リチャード・セイラーが提唱したナッジ理論でも、選択肢が多すぎる状況は行動率を下げることが繰り返し示されています。
| 面倒の種類 | 正体 | 行動への影響 |
|---|---|---|
| 手続きの面倒 | 入力・登録・確認の多さ | 途中離脱・未完了 |
| 理解の面倒 | 専門用語・複雑な説明 | 検討停止・後回し |
| 選択の面倒 | 選択肢過多・比較負荷 | 決定回避・現状維持 |
特に新規事業では、既存手段が多少非効率であっても「慣れている」という理由だけで選ばれ続けます。これは合理的判断ではなく、心理的安全性を優先した結果です。ハーバード・ビジネス・スクールの研究でも、切り替えコストがわずかでも知覚されると、新サービスの採用率が大きく低下することが報告されています。
ここで見落とされがちなのが、「小さな面倒の積み重ね」が行動を止めるという点です。ログイン方法が分かりにくい、最初に設定が必要、説明動画を見る必要がある。これら一つひとつは致命的ではありませんが、合算されると行動開始のハードルを簡単に超えてしまいます。
新規事業開発において重要なのは、ユーザーが感じる面倒を主観的コストとして定量的に捉える視点です。機能価値や市場規模以前に、「最初の一歩でどれだけ脳を使わせているか」を問い直す必要があります。面倒が行動を止めるメカニズムを理解することは、プロダクト改善ではなく、行動設計そのものを見直す出発点になります。
IKEA効果と保有効果が示す手間と価値の関係
プロダクトやサービスの価値は、必ずしも利便性や完成度だけで決まるわけではありません。行動経済学の分野では、利用者が手間をかけることで、主観的な価値が大きく上昇することが繰り返し実証されています。その代表例がIKEA効果と保有効果です。
ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ノートンらの研究によれば、IKEA効果とは「自分で組み立てたり作業したりした成果物を、客観的品質以上に高く評価する心理現象」を指します。折り紙や簡易家具の実験では、出来栄えが劣っていても、自作した参加者ほど高い金額を提示しました。労力を投じたという事実が、価値判断の基準そのものを書き換えるのです。
この背景には自己効力感があります。自分の行為が結果を生んだという感覚は、製品やサービスを「他人のもの」から「自分の延長」へと変化させます。興味深いことに、こうした傾向は成人だけでなく、幼児期から確認されており、人間の自己概念と深く結びついた普遍的特性だと指摘されています。
| 観点 | IKEA効果 | 保有効果 |
|---|---|---|
| 価値が生まれる契機 | 制作・組立などの手間 | 所有しているという状態 |
| 心理の中核 | 自己効力感 | 喪失回避 |
| 事業への示唆 | 参加余地の設計 | 継続利用の資産化 |
一方、保有効果は「すでに自分のものになった瞬間から、その価値を高く見積もる」心理です。行動経済学の古典的研究でも、同一の商品であっても、所有者は非所有者より高い手放し価格を要求することが示されています。IKEA効果で生まれた愛着は、保有効果によってさらに増幅される関係にあります。
新規事業開発の文脈で重要なのは、これらが単なる心理現象ではなく、戦略的に設計可能だという点です。例えば、完全自動化ではなく一部にユーザー作業を残すSaaS、利用履歴やカスタマイズが積み重なることで「育てた感覚」が生まれるプロダクトは、解約コスト以上の心理的スイッチングコストを生みます。
摩擦を減らすだけの設計では、価値は価格に回収されがちです。あえて手間を残し、所有と努力を可視化することが、差別化と長期的ロイヤルティの源泉になる。IKEA効果と保有効果は、その関係性を理論と実証の両面から示しています。
労働の錯覚とプロセス可視化が生む信頼と満足度

新規事業において顧客の信頼と満足度を高める鍵の一つが、労働の錯覚とプロセス可視化です。これは、提供される成果物そのものではなく、そこに至るまでの過程が見えることで、人は価値をより高く評価するという心理現象です。特にAIや自動化が進む現在、結果が瞬時に出ること自体は差別化になりにくくなっています。
ハーバード・ビジネス・スクールのRyan W. BuellとMichael I. Nortonによる研究では、検索結果が即座に表示される場合よりも、処理中の工程が段階的に示される場合の方が、利用者の満足度と選択意向が有意に高まることが示されています。人は待たされること自体を評価しているのではなく、裏側で誰かや何かが自分のために働いていると感じることに反応しているのです。
この効果は、サービスの誠実さや信頼性を疑似的に体験させる点に本質があります。ブラックボックス化された高度なアルゴリズムよりも、多少遠回りでも納得できる過程が提示される方が、顧客は安心し、結果を受け入れやすくなります。
| 表示設計 | 顧客の認知 | 結果評価 |
|---|---|---|
| 即時結果のみ提示 | 魔法的・不透明 | 価値を感じにくい |
| 工程を段階表示 | 努力が見える | 価値を高く評価 |
この構造は互恵性の原理とも深く結びついています。社会心理学で知られる互恵性とは、相手から何かを与えられると返報したくなる無意識の傾向です。プロセスが可視化されることで、顧客はサービス提供者から努力という贈与を受け取ったと感じ、その結果に好意的な評価を下します。
新規事業開発の現場では、これはUIやコミュニケーション設計に直接応用できます。たとえばBtoBのSaaSで分析結果を返す際、単にレポートを出力するのではなく、データ収集、前処理、分析という流れを示すだけで、同じアウトプットでも納得感が大きく変わります。
重要なのは、実際の作業量を増やすことではなく、意味のある努力として知覚させる設計です。プロセス可視化はコストではなく、信頼を生む投資として機能します。成果が均質化しやすい新規事業ほど、この見えない価値設計が競争優位の源泉になります。
タイパ志向が加速する日本市場の最新動向
日本市場ではここ数年でタイパ志向が急速に一般化し、特に新規事業の立ち上げやサービス設計において無視できない前提条件になっています。リクルートが実施した「よのなか調査(生活者編2024)」によれば、10代から30代を中心に、時間効率を重視する姿勢が日常行動の隅々まで浸透しています。重要なのは、タイパが単なる時短志向ではなく、意思決定や人との関わり方そのものを変えている点です。
同調査では、若年層ほど動画の倍速視聴や要点だけを押さえる情報収集が常態化しており、長い説明や手続きはそれだけで離脱要因になります。一方で、60代以上では「タイパ」という言葉自体の認知が低く、世代間で時間感覚の断絶が起きていることも示されています。これは日本市場が一枚岩ではなく、同じプロダクトでも設計次第で評価が大きく分かれることを意味します。
また、タイパ志向の進化形として注目すべきは、「他人に任せるより自分でやった方が早い」というセルフ化の加速です。国内旅行の予約、理美容、各種手続きにおいて、コミュニケーションコストや調整の手間を嫌い、個人が全工程をコントロールする傾向が強まっています。時間を奪う最大の要因が作業そのものではなく、人間関係や説明であるという認識が広がっているのです。
| 領域 | タイパ志向の具体行動 | 市場への示唆 |
|---|---|---|
| 情報収集 | 倍速視聴、要約コンテンツの利用 | 短時間で価値が伝わらないと離脱 |
| 消費・予約 | 比較・決済の即時完結 | UI/UXの摩擦が競争力を左右 |
| サービス利用 | セルフ化・非対面志向 | 人を介さない設計が評価される |
この流れを受け、日本では「面倒を解消する」市場が堅調に拡大しています。矢野経済研究所の調査によれば、家事代行や見守りサービスなど生活支援領域は利用率こそ数%にとどまるものの、企業福利厚生としての導入が進み、安定成長フェーズに入りつつあります。個人の贅沢ではなく、時間効率を高めるインフラとして再定義されている点が特徴です。
行政や企業手続きにおいても同様で、GovTech分野ではオンライン申請や窓口予約の普及が進んでいます。経済産業省やデジタル庁の方針とも連動し、自治体DXは「便利だから」ではなく、「やらないと選ばれない」水準に移行しています。タイパは付加価値ではなく、最低限満たすべき参入条件になりつつあります。
一方で見落とせないのは、タイパ志向が極まるほど、時間の使い道に対する選別が厳しくなる点です。無駄と判断されたプロセスは徹底的に嫌われる一方、意味があると感じた行為には、あえて時間をかける傾向も強まります。日本市場の最新動向は、すべてを速くする競争から、速さの使い分けを設計する競争へ移行していることを示しています。
面倒を徹底的に解消するFrictionlessビジネスの可能性
Frictionlessビジネスとは、顧客が感じるあらゆる「面倒」を限りなくゼロに近づけることで、行動のハードルを下げ、市場全体の参加率を引き上げるアプローチです。DXやAIの進展によって、この領域は新規事業における王道であり続けています。特に新規事業の初期フェーズでは、価値以前に「使われない」リスクを回避するため、摩擦除去の徹底が成否を分けます。
行動経済学の観点では、人が行動を起こさない最大要因は物理的コストではなく認知負荷にあります。ハーバード・ビジネス・スクールや認知科学の研究が示す通り、登録、入力、比較、待機といった小さな手間の積み重ねが、現状維持バイアスを強く発動させます。**Frictionless設計の本質は、機能追加ではなく「考えなくてよい状態」を作ること**にあります。
実際の市場データを見ても、この効果は明確です。矢野経済研究所によれば、家事代行や見守りといった生活支援サービスは利用率こそ数%規模ながら、毎年着実に伸びています。背景には、共働き世帯やリモートワークの増加によって、家事や生活管理という「見えにくかった面倒」が顕在化したことがあります。面倒が可視化された瞬間、解消サービスへの支払い抵抗は急激に下がります。
| 摩擦の種類 | 具体例 | 解消による価値 |
|---|---|---|
| 認知的摩擦 | 複雑な入力、専門用語 | 離脱率低下、CVR向上 |
| 時間的摩擦 | 待ち時間、移動 | 利用頻度の増加 |
| 心理的摩擦 | 対人調整、失敗不安 | 利用開始率の向上 |
行政手続きのDXは、Frictionlessビジネスの社会的インパクトを象徴する領域です。GovTech企業が提供するオンライン申請や窓口予約システムは、役所に行く、紙を書く、待たされるといった長年放置されてきた摩擦を一気に解消しました。デジタル庁や自治体DXの事例が示すように、**摩擦を除去するだけで住民満足度と業務効率が同時に向上する**ケースは少なくありません。
企業向け市場でも同様です。デジタル人材採用の分野では、スキル可視化や自動マッチングによって、採用担当者の比較・判断・調整という認知負荷を削減するツールが急増しています。Offersなどの調査が示す通り、採用難の本質は人材不足だけでなく、採用プロセス自体の「面倒さ」にあります。Frictionless化はコスト削減ではなく、意思決定スピードを高める投資と捉えるべきです。
ただし注意すべきは、摩擦除去が進むほど差別化が難しくなる点です。ワンクリック、即時、無料が当たり前になると、顧客はサービスの存在すら意識しなくなります。だからこそ新規事業では、どの面倒を徹底的に消すのかを一点突破で定める必要があります。全方位で摩擦をなくすのではなく、顧客の行動を止めている最大の一箇所に集中することが、Frictionlessビジネスを持続的な価値に変える鍵になります。
不便益市場の成長とアナログ・身体性回帰の背景
不便益市場が成長している背景には、デジタル化が極限まで進んだ社会における反動があります。DXやAIによって多くの行為が自動化・最短化される一方で、人間が本来持っていた身体感覚や手触りのある体験が、日常から急速に失われてきました。その欠落を埋めるように、あえて手間がかかり、時間を要し、身体を使う体験へと価値が再配分されています。
京都大学の川上浩司教授が提唱する不便益の概念によれば、不便さは単なる非効率ではなく、主体性や納得感、愛着といった心理的価値を生み出します。効率化が進みすぎた環境では、成果が自分の行為と結びつきにくくなり、達成感が希薄になります。その結果、人は不便を通じて自己効力感を回復しようとします。これは心理学で指摘される身体性と認知の結びつきとも整合的です。
この傾向を象徴するのがアナログレコード市場のV字回復です。日本レコード協会の統計では、2023年のアナログレコード生産金額は146億円と前年を上回り、30年以上続いた縮小トレンドから完全に転換しました。ストリーミングが圧倒的に便利であるにもかかわらず、盤を取り出し、針を落とし、片面が終われば裏返すという一連の動作が、音楽体験の価値を高めています。
| 観点 | デジタル体験 | アナログ体験 |
|---|---|---|
| 関与度 | 操作は最小限 | 一連の身体動作が必要 |
| 時間感覚 | 短縮・同時消費 | 専有・没入 |
| 価値の源泉 | 利便性 | 体験と所有感 |
同様の構造はサウナやキャンプにも見られます。サウナは高温と冷水という身体的ストレスを伴うにもかかわらず、日本のサウナ実態調査2024ではライトユーザー層の拡大が確認されています。これは快適さそのものではなく、苦痛を経た後の回復感や整うという主観的体験が評価されていることを示しています。キャンプにおいても、設営や火起こしといった非効率な作業が、都市生活では得られない充足感を生み出しています。
重要なのは、これらが単なるノスタルジーではない点です。若年層ほどデジタルに慣れ親しんでいるからこそ、身体を伴う体験の希少性が際立ちます。便利さが標準化した世界では、**あえて不便であること自体が差別化要因**となり、市場価値を持ちます。不便益市場の成長は、効率化競争の終焉ではなく、その先にある価値軸の多様化を示しているのです。
新規事業の視点で見ると、この背景は重要な示唆を与えます。利便性を高めるだけでは模倣されやすい一方、身体性やプロセスを伴う体験は簡単に代替できません。**人が自分の時間と身体を使ったと実感できる設計**こそが、アナログ回帰の本質であり、不便益市場が今後も持続的に拡大する根拠だといえます。
プロセスエコノミーが新規事業にもたらす競争優位
プロセスエコノミーが新規事業にもたらす最大の競争優位は、価格や機能では模倣されにくい差別化軸を構築できる点にあります。完成品や成果物そのものが即座に比較され、コモディティ化しやすい市場において、制作過程や試行錯誤の共有は、競合が追随しづらい独自性として機能します。特にデジタル技術の進展によりアウトプットの質が均質化する現在、この優位性は一層重要性を増しています。
ハーバード・ビジネス・スクールのBuellとNortonによる労働の錯覚に関する研究によれば、サービス提供の過程で行われている努力や判断を可視化するだけで、顧客の価値評価と選好度が有意に高まることが実証されています。これは、同じ結果を提供していても、ブラックボックス化された自動処理より、人の思考や試行が感じられるプロセスの方が信頼と納得感を生みやすいことを意味します。
新規事業の文脈では、この効果がスイッチングコストとして作用します。顧客は単なる利用者ではなく、プロセスの目撃者、あるいは参加者となるため、その事業に対して心理的な保有感を持ちやすくなります。行動経済学で知られるIKEA効果や保有効果が重なり、途中経過を知っているからこそ離脱しにくい関係性が形成されます。
| 比較観点 | アウトプット中心型 | プロセスエコノミー型 |
|---|---|---|
| 差別化要因 | 機能・品質・価格 | 試行錯誤・物語・透明性 |
| 模倣難易度 | 低い | 高い |
| 顧客関係 | 取引的 | 関係的・共創的 |
また、プロセスを公開することはマーケティング効率の面でも優位に働きます。クラウドファンディングやライブ配信型のプロダクト開発では、開発途中の失敗や葛藤そのものがコンテンツとなり、広告費をかけずに共感と拡散を生む構造が生まれます。これは、リブ・コンサルティングなどが指摘するように、完成後に価値を訴求する従来型マーケティングとは異なる獲得モデルです。
さらに重要なのは、プロセスエコノミーが内部組織にも競争力をもたらす点です。進捗や意思決定の背景を外部に説明できる事業は、内部でも暗黙知が言語化されやすく、学習速度が高まります。その結果、顧客との対話を通じてプロセス自体が改善され、事業が自己進化する正のフィードバックループが形成されます。
このようにプロセスエコノミーは、顧客ロイヤルティ、模倣困難性、マーケティング効率、組織学習という複数の観点で競争優位を同時に生み出します。新規事業において不確実性が高いほど、完成度の高さよりも、進化の過程を共有できる構造そのものが、持続的な強みとして機能するのです。
新規事業開発で実践する『良い面倒』と『悪い面倒』の設計指針
新規事業開発において「面倒くさい」をどう設計するかは、ユーザー体験の質と事業の成否を左右する重要な論点です。すべての面倒を排除すればよいわけではなく、むしろどの面倒を残し、どの面倒を消すかという設計判断そのものが競争優位になります。
行動経済学の知見によれば、人が行動を起こさない最大の理由は認知負荷による「面倒」ですが、一方でハーバード・ビジネス・スクールの研究が示すように、労力をかけたプロセスは主観的価値を高めます。つまり面倒には、価値を毀損するものと、価値を創造するものが混在しています。
この違いを見極めるためには、面倒がユーザーに与える感情の方向性に注目することが有効です。ストレスや不安、時間の浪費と結びつく面倒は「悪い面倒」であり、達成感や没入感、愛着につながる面倒は「良い面倒」です。
| 観点 | 悪い面倒 | 良い面倒 |
|---|---|---|
| 主な内容 | 手続きの煩雑さ、待機、理解しづらいUI | 試行錯誤、習熟、身体的・創造的プロセス |
| ユーザー感情 | ストレス、離脱意向 | 達成感、没入、愛着 |
| 設計方針 | 徹底的に除去・自動化 | あえて残し、意味付けする |
例えば、行政手続きや契約フローにおける入力項目の多さや専門用語は典型的な悪い面倒です。GovTech領域でオンライン申請が評価されているのは、ユーザーの目的達成に無関係な摩擦を取り除いているからです。ここに物語性や努力の余地を残しても、価値は生まれません。
一方で、IKEA効果が示すように、ユーザー自身が関与する工程は価値認識を高めます。組み立てやカスタマイズ、育成といったプロセスは、時間と労力を要しますが、それ自体が報酬になります。京都大学の川上浩司教授が提唱する不便益の概念も、こうした文脈依存の面倒が満足度を高めることを裏付けています。
設計上のポイントは、悪い面倒を完全に肩代わりした上で、良い面倒だけをユーザーに手渡すことです。シェア畑のように、失敗リスクや専門知識は運営側が吸収し、土に触れる楽しさや収穫という体験だけを残す設計は、その好例です。
また、労働の錯覚に関する研究が示すように、プロセスの可視化も重要です。AIや自動化の裏側で何が行われているかをあえて見せることで、待ち時間さえも期待感に変えられます。ブラックボックス化された即時性は、便利である反面、価格以外の差別化を失いやすい点に注意が必要です。
新規事業における面倒の設計とは、ユーザーの時間を奪うか、意味のある時間として投資させるかの選択です。良い面倒は体験価値を深め、悪い面倒は体験そのものを壊します。この線引きを意識した設計こそが、模倣困難な事業価値を生み出します。
参考文献
- Harvard Business School:Labor Illusion: How Operational Transparency Increases Perceived Value
- 株式会社リクルート:よのなか調査(生活者編 2024)生活者における「タイパ」意識を調査
- 矢野経済研究所:生活支援サービスに関する消費者アンケート調査(2024年)
- 日本レコード協会/amass:2023年の日本 アナログレコード生産金額が34年ぶり60億円超え
- 京都大学デザイン学研究室:不便益に関する研究・川上浩司教授 公開資料
- リブ・コンサルティング:プロセスエコノミーの事例
