新規事業開発に取り組んでいるものの、「イベントは増えたが事業は育たない」「PoC止まりの案件が山積みになっている」と感じたことはないでしょうか。
イノベーションや新規事業は経営の重要テーマである一方で、成果に結びつかない活動が温存される「イノベーションごっこ」が、多くの日本企業で静かに企業価値を蝕んでいます。原材料費の高騰や人材不足、資本効率への市場からの要求が高まる中、こうした状態を放置する余裕はもはやありません。
本記事では、新規事業がなぜ形骸化するのかという構造的・心理的要因をひも解きながら、先進企業の事例や投資家視点を踏まえ、真に事業を生み出すために何を変えるべきかを整理します。撤退基準の設計、組織文化の再定義、リソース配分の考え方まで、新規事業責任者・担当者が明日から使える視点を得られる内容です。
日本企業に広がる「イノベーションごっこ」とは何か
日本企業における「イノベーションごっこ」とは、イノベーションや新規事業開発を掲げながら、実際には経済的価値や事業成果につながらない活動が常態化している状態を指します。ハッカソン、アイデアソン、社内ビジネスコンテスト、アクセラレータープログラムなどが定期的に開催され、社内外への発信や見た目の賑わいはあるものの、市場で顧客に選ばれ、損益計算書に影響を与える事業がほとんど生まれていないケースが典型例です。
経済産業省が公表している企業活動に関する調査や、企業価値向上を巡る議論を踏まえると、こうした状態は単なる成果不足ではなく、経営上の構造問題として認識されつつあります。特に近年は、原材料費やエネルギーコストの上昇、人的資本への投資圧力の高まりにより、成果が不透明な活動を長期間温存する余地が急速に縮小しています。その中で「何か新しいことをやっている感」だけが残るイノベーション活動は、経営資源の非効率な消費として厳しく問われ始めています。
活動量は多いが、事業としての意思決定と結果責任が欠落している状態。これがイノベーションごっこの本質です。
重要なのは、イノベーションごっこが担当者個人の怠慢や能力不足によって生じるものではない点です。むしろ、多くの場合、組織として成果の定義が曖昧であり、「挑戦していること」自体が評価対象になっていることが原因です。早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授が指摘するように、イノベーションには内発的動機が不可欠ですが、それが市場検証や撤退判断と切り離されると、活動が自己目的化しやすくなります。面白い、社会的意義がありそう、といった理由だけでプロジェクトが継続され、顧客が本当に対価を支払うかどうかという問いが後回しにされてしまうのです。
イノベーションごっこは、企業に静かなダメージを与えます。直接的なコストだけでなく、優秀な人材が成果の出ないプロジェクトに固定化されることで、既存事業や次の成長機会への投資余力が失われます。また、社内では「どうせ新規事業は成功しない」という学習性無力感が広がり、挑戦そのものの質が低下していきます。
| 観点 | イノベーションごっこ | 事業創出としてのイノベーション |
|---|---|---|
| 評価軸 | イベント数や参加人数 | 顧客獲得や収益性 |
| 意思決定 | 曖昧で先送りされがち | 期限と基準が明確 |
| リソース配分 | 惰性で継続 | 成果に応じて再配分 |
このように整理すると、イノベーションごっこは「失敗が多い状態」ではなく、「成功か失敗かを判定しない状態」だと理解できます。新規事業は本来、不確実性が高く、多くが失敗に終わるものです。しかし、検証と判断が伴えば、失敗は次の挑戦への学習になります。判断を回避し続けることでのみ温存される活動こそが、イノベーションごっこと呼ばれるのです。
新規事業を取り巻くマクロ環境の変化と経営への圧力

近年、新規事業開発を取り巻くマクロ環境は大きく変化しており、企業経営に対する圧力は確実に強まっています。かつては低金利と安定した供給網を背景に、将来を見据えた探索的な投資が一定程度許容されてきました。しかし現在は、**外部環境の変動そのものが経営の優先順位を塗り替え、新規事業にも即応性と説明責任を強く求める局面**に入っています。
経済産業省が公表した2024年の企業活動基本調査によれば、多くの日本企業が最重要の経営課題として原材料費・燃料費・電力料金の高騰を挙げています。これは一過性のコスト増ではなく、インフレと地政学リスクが常態化する中で、利益構造そのものが圧迫されていることを意味します。**既存事業の収益性が低下するほど、将来の収益化が不透明な新規事業への投資は厳しく見られる**ようになります。
この圧力は、業種ごとに異なる形で新規事業開発に影響を及ぼしています。
| 業種 | 顕在化している経営圧力 | 新規事業への影響 |
|---|---|---|
| 製造業 | 原材料・エネルギー価格の上昇 | PoC段階で停滞する案件は投資効率の観点から見直し対象になりやすい |
| 運輸・物流 | 燃料費高騰と労働規制強化 | 業務効率化に直結しない新規事業は継続が困難 |
| 建設・サービス | 人材不足の深刻化 | 成果不透明な事業に人材を割けない状況 |
特に注目すべきは、「人材の強化」が多くの業種で経営課題として浮上している点です。一見すると成長投資の余地があるように見えますが、実態は既存事業を維持するための人材すら不足しているという危機感の表れです。**限られた人的資本を、成果が見えにくい新規事業に長期間固定すること自体が、経営リスクになりつつあります。**
こうした環境変化は、金融市場からの圧力とも連動しています。東京証券取引所が資本効率改善を求める中、経営陣はROEやROICといった指標を強く意識せざるを得ません。収益を生まない投資が長期化すれば、株主からの評価は低下します。**新規事業は「夢のある取り組み」ではなく、「資本配分の一部」として厳密に見られる時代**に入っています。
このように、コスト構造の悪化、人材制約、資本市場からの規律という三重の圧力が重なった結果、新規事業開発においても曖昧さや先送りは許されなくなっています。マクロ環境の変化は、単なる逆風ではなく、企業に対して新規事業の在り方そのものを問い直す強制力として作用しているのです。
業種別データから読み解く新規事業の限界と優先順位
業種別データを丹念に読み解くと、新規事業開発には普遍的な成功法則が存在しない一方で、明確な「限界」と「優先順位」が存在することが見えてきます。経済産業省の2024年企業活動基本調査によれば、多くの業種で原材料費やエネルギーコスト、人材不足といった構造的制約が強まっており、これらは新規事業に投下できる余力そのものを規定しています。
例えば、農林水産業や製造業では、原材料費・燃料費高騰が経営課題の最上位に挙げられています。これは、事業の利益率が外部環境に大きく左右されることを意味し、回収までに時間を要する探索型の新規事業には極めて不利な条件です。短期的にキャッシュフロー改善や生産性向上に寄与しない事業は、戦略的に後回しにせざるを得ません。
一方で、建設業や金融・サービス業では「人材の強化」が主要課題として浮上しています。人手不足が慢性化する中、成果が不透明な新規事業に優秀人材を配置すること自体が、既存事業の競争力を削ぐリスクになります。ここから導かれる示唆は、新規事業の是非はアイデアの斬新さではなく、人材制約との整合性で判断すべきという点です。
| 業種 | 主要な経営制約 | 新規事業における優先順位の方向性 |
|---|---|---|
| 製造業 | 原材料費・燃料費の高騰 | 既存技術の高度化、原価低減に直結する事業 |
| 運輸業 | 燃料費高騰・労働規制 | 業務効率化、稼働率改善型の事業 |
| 建設業 | 深刻な人材不足 | 省人化・現場生産性向上に資する事業 |
| 金融・サービス業 | 高度人材の獲得競争 | 人材価値を高め、流出を防ぐ事業 |
このように、業種別データは「何ができるか」以上に「何をやってはいけないか」を教えてくれます。早稲田大学の入山章栄教授も指摘するように、イノベーションは情熱だけでは成立せず、組織の制約条件と結びついたときに初めて経済価値を生みます。
新規事業の優先順位を誤ると、挑戦しているつもりが実は既存事業の足を引っ張る結果になりかねません。業種別データを起点に、自社が直面する制約を直視することこそが、新規事業を「夢想」から「経営判断」へ引き戻す第一歩になります。
なぜ成果の出ない新規事業が温存されてしまうのか

成果の出ない新規事業が温存されてしまう背景には、単なる判断ミスでは片付けられない構造的な要因があります。最大の要因は、新規事業が「事業」ではなく「活動」として評価されてしまう組織構造です。ハッカソンの開催回数やPoCの件数、外部イベントでの露出といった可視化しやすい活動量は評価されやすい一方で、顧客が実際にお金を払ったか、継続的な需要があるかといった厳しい指標は後回しにされがちです。
経済産業省の企業活動基本調査でも、多くの企業が原材料費高騰や人材不足といった差し迫った経営課題を抱えていることが示されています。その一方で、将来の成長を理由に新規事業予算だけが慣例的に維持されるケースは少なくありません。限られた経営資源の緊張感と、新規事業領域だけが切り離されている状態が、成果の出ないプロジェクトの延命を招きます。
もう一つ見逃せないのが、人間の心理に根ざした要因です。行動経済学で知られるサンクコスト効果により、人はすでに投下した時間や努力が大きいほど撤退判断が難しくなります。新規事業ではこの傾向が顕著で、担当者のキャリアや自己肯定感がプロジェクトと強く結びつくことで、「やめる=自分の否定」と感じやすくなります。早稲田大学の入山章栄教授も、内発的動機の強さが時に自己目的化を招く危険性を指摘しています。
この心理は個人だけでなく、組織全体にも波及します。日本企業に多い家族的な組織文化では、挑戦を尊重する姿勢が強調されるあまり、成果に基づく冷静な判断が先送りされがちです。上司や経営陣も「もう少し様子を見よう」「現場が頑張っているから」と情緒的な理由で判断を曖昧にし、結果として誰も撤退を言い出せない状態が生まれます。責任の所在がぼやけることで、不採算事業は組織の隙間に残り続けます。
さらに、評価制度の設計も温存を後押しします。多くの企業では、新規事業の担当経験そのものがポジティブに評価され、事業の成否が昇進や報酬に直結しにくい傾向があります。その結果、「失敗しないために早くやめる」よりも「目立った失敗をせず続ける」行動が合理的になってしまいます。
| 要因 | 温存が起きる理由 | 組織への影響 |
|---|---|---|
| 活動評価 | 成果よりプロセスが評価される | 市場検証が形骸化する |
| 心理的要因 | サンクコストと自己同一化 | 撤退判断が遅れる |
| 評価制度 | 成否が処遇に反映されにくい | 延命が合理的行動になる |
本質的な問題は、これらが個別に存在するのではなく、相互に補強し合っている点にあります。活動量を評価する制度が心理的な執着を正当化し、情緒的な組織文化が制度の歪みを見えにくくする。その結果、成果が出ていない事実は分かっていても、誰も止められないプロジェクトが生まれます。
成果の出ない新規事業が温存されるのは、現場の怠慢ではありません。むしろ、善意や挑戦を重んじる組織ほど陥りやすい構造的な罠です。この罠を理解せずに「もっと頑張れ」「情熱が足りない」と現場に求め続ける限り、新規事業は成果を生まないまま増殖し続けます。
内発的動機が強すぎることで起きる意思決定の歪み
新規事業開発では、内発的動機の強さが成功の源泉になる一方で、**それが過剰になると意思決定を歪めるリスク**を孕みます。特に日本企業では、「面白いから続けたい」「社会的に意義があるはずだ」という純粋な想いが、事業としての妥当性検証よりも優先されてしまう場面が少なくありません。
早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授によれば、内発的動機は創造性を高める反面、自己とプロジェクトが強く同一化すると、客観的な判断が難しくなると指摘されています。事業の継続可否が「自分自身の価値」や「これまでの努力の正当化」と結びついた瞬間、市場データや顧客の反応が見えなくなってしまいます。
この状態では、赤信号が出ていても「まだ検証が足りない」「次の一手で変わる」という解釈が繰り返され、撤退判断が先送りされがちです。行動経済学でいうサンクコスト効果と結びつき、**合理的には止めるべきプロジェクトほど、情緒的理由で延命される**という逆説が起こります。
| 観点 | 内発的動機が健全な状態 | 内発的動機が過剰な状態 |
|---|---|---|
| 意思決定基準 | 顧客価値と検証データ | 想い・努力・ストーリー |
| 失敗の捉え方 | 学習として切り替える | 自己否定として回避する |
| 撤退判断 | 事前基準に従い実行 | 感情的理由で先延ばし |
さらに問題なのは、周囲もこの歪みを助長してしまう点です。上司や経営層が「本人の熱量」を評価しすぎると、数値や顧客の声よりも姿勢や頑張りが称賛され、プロジェクトは批判不能な聖域になります。結果として、組織全体が冷静な問いを発する機会を失います。
重要なのは、**内発的動機を弱めることではなく、判断軸を分離すること**です。情熱は挑戦の燃料として尊重しつつ、継続か撤退かの判断は、あらかじめ合意された指標と期限に委ねる。この分業ができて初めて、内発的動機は組織にとって健全な力として機能します。
新規事業に必要なのは、夢中になれる人材ではなく、夢中になりながらも手放せる人材です。**情熱と規律を切り分けられるかどうかが、イノベーションごっこに陥るか、真の事業創出に進めるかの分水嶺**になります。
先進企業に学ぶ撤退基準のルール化とその効果
新規事業において撤退基準をルール化している先進企業は、挑戦の数を減らすどころか、むしろ成功確率を高めています。サイバーエージェントやDeNA、リクルートといった日本のメガベンチャー企業に共通するのは、撤退を例外的な判断ではなく、事業プロセスの一部として組み込んでいる点です。やめ方を決めてから始めるという発想が、結果的に事業創出のスピードと質を引き上げています。
例えばサイバーエージェントでは、事業フェーズごとに数値と期限を明確に定め、達成できなければ撤退または責任者交代といった判断が自動的に下されます。これは感情論や社内政治を排除し、事業の生存可否を市場の反応に委ねる仕組みです。経営学の観点でも、ハーバード・ビジネス・スクールの研究によれば、事前に中止条件を定義したプロジェクトは、サンクコストに引きずられにくく、資源配分の効率が高まるとされています。
DeNAやリクルートでは、初期段階では売上よりも顧客継続率や利用頻度といった行動指標を重視し、成長段階に入ると収益性や市場規模へと評価軸を移行させています。どの段階で、どの指標が未達なら撤退するのかが事前に合意されているため、議論は感情ではなくデータに集中します。これにより、担当者は「続ける理由」ではなく「顧客に価値を届けられているか」に思考を向けやすくなります。
| 企業 | 撤退基準の特徴 | 主な効果 |
|---|---|---|
| サイバーエージェント | 期限付きの定量基準を厳格に設定 | 立ち上がり速度の向上と判断の透明化 |
| DeNA | フェーズ別にKPIを切り替え | 初期学習の最大化と無駄な延命の防止 |
| リクルート | KPI未達時の撤退を制度化 | 人材と資金の迅速な再配分 |
これらの企業で確認できる共通効果は、撤退がネガティブな評価につながらない点です。むしろ、早期に撤退し学びを次に活かしたチームは高く評価されます。早稲田大学の入山章栄教授も、イノベーションには内発的動機が重要である一方、組織としては冷静な規律が不可欠だと指摘しています。撤退基準のルール化は、この両立を可能にします。
結果として、撤退基準を持つ企業では、経営陣・現場・投資家の間で共通言語が生まれます。「ここまでやって届かなければやめる」という合意があるからこそ、現場は全力で挑戦でき、経営は安心して資源を預けられます。撤退基準のルール化がもたらす最大の効果は、挑戦を萎縮させることではなく、挑戦を持続可能な経営行為へと昇華させる点にあります。
KPI・市場・信頼で設計する戦略的撤退の考え方
戦略的撤退を機能させるためには、感情や空気ではなく、KPI・市場・信頼という三つの視点で設計された判断軸が不可欠です。撤退とは失敗の烙印ではなく、限られた経営資源を再配分するための経営行為であり、事前に構造化されていなければ実行されません。
まずKPIの観点です。新規事業では売上だけを見ていると判断が遅れます。サイバーエージェントやDeNAが実践してきたように、フェーズごとにKPIを切り替えることが重要です。初期段階では顧客獲得単価や継続率、中期ではLTVとCACの関係、後期では利益率やスケール指標が焦点になります。**重要なのは、数値そのものよりも「いつまでに、どこまで届かなければ撤退か」を事前に合意することです。**
| 視点 | 主な判断材料 | 撤退判断の意味 |
|---|---|---|
| KPI | 継続率、LTV/CAC、売上成長率 | 仮説が市場で成立しているかの検証 |
| 市場 | 市場成長率、競合優位性 | 構造的に勝てる余地があるか |
| 信頼 | 説明責任、再現性ある判断 | 投資を継続できる組織か |
次に市場の視点です。経済産業省の企業活動基本調査が示す通り、原材料費高騰や人材不足が常態化する中で、成長性の乏しい市場に留まり続ける余裕はありません。市場全体が想定より伸びない、あるいは競合が先行し逆転のシナリオが描けない場合、それは実行力の問題ではなく前提条件の崩壊です。**市場撤退を決めることは、チームの努力を否定する行為ではなく、前提を更新する合理的判断です。**
最後が信頼の視点です。投資家や経営陣が最も警戒するのは失敗ではなく、失敗を認められないことです。入山章栄氏が指摘するように、内発的動機はイノベーションの源泉である一方、規律がなければ自己目的化します。撤退基準を明示し、達しなかった場合に淡々と次の手を打てる組織は、リスク管理能力を備えた存在として評価されます。**撤退を語れるチームほど、次の挑戦への信頼を獲得しやすいのです。**
この三点を統合すると、戦略的撤退とは単なる終了判断ではなく、KPIで仮説を検証し、市場で前提を点検し、信頼を資本として次の挑戦につなげる循環装置だと言えます。撤退が設計されている組織だけが、結果として挑戦の回数と質を高めることができます。
心理的安全性を再定義し組織を学習させる方法
心理的安全性は、新規事業開発において長らく「自由に発言できる雰囲気」「失敗しても責められない状態」と理解されてきました。しかしその解釈が、結果として学習なき延命やイノベーションごっこを温存してきた側面があります。ここでは、心理的安全性を「組織が学習速度を最大化するための装置」として再定義する必要があります。
ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン教授によれば、心理的安全性とは「対人リスクを取っても罰せられないという信念」であり、決して甘さや無条件の許容を意味しません。重要なのは、厳しい事実や不都合なデータを率直に共有できる状態が保たれているかどうかです。
再定義された心理的安全性とは、「挑戦と検証の質を高めるために、現実を直視する対話が守られている状態」です。この前提に立つと、心理的安全性と高い成果基準は両立すべきものであり、むしろセットでなければ機能しません。
| 観点 | 従来の解釈 | 再定義後の解釈 |
|---|---|---|
| 失敗への扱い | 失敗しても問題にしない | 失敗は学習として言語化する |
| データの扱い | 都合の悪い数字は曖昧にする | 悪いデータほど早く共有する |
| 対話の質 | 空気を壊さないことを優先 | 敬意を持って異論を述べる |
組織を学習させるためには、撤退やピボットの議論が「人格否定」や「責任追及」にすり替わらない設計が不可欠です。入山章栄氏が指摘するように、個人の内発的動機を守りながらも、組織全体として最適な意思決定を行うには、感情と事実を分離して扱うリーダーシップが求められます。
例えば、撤退判断の場では「なぜ失敗したのか」ではなく、「どの仮説が、どのデータによって否定されたのか」を中心に議論します。これにより、失敗は個人の問題ではなく、検証プロセスの一部として扱われ、次の挑戦に再利用可能な知識へと変換されます。
心理的安全性が担保されるべき対象は、人ではなく学習プロセスです。プロセスが守られていれば、厳しい結論であっても組織は分断されません。むしろ、率直な撤退や軌道修正を経験したチームほど、次の事業で意思決定の精度とスピードを高めていきます。
この再定義を実装できた組織だけが、新規事業を単発の挑戦で終わらせず、再現性のある学習システムとして蓄積できます。心理的安全性とは、居心地の良さではなく、学び続けるための緊張感を共有できる状態だと捉えることが、次の事業創出を現実のものにします。
投資家視点から見た新規事業とガバナンスの重要性
投資家の視点から新規事業を見ると、最大の関心事はアイデアの斬新さではなく、リスクがどのように管理され、企業価値にどう結びつくのかという一点に集約されます。不確実性の高い新規事業は、成功すれば大きなリターンを生みますが、統制が効かなければ資本を毀損する存在にもなり得ます。その分水嶺となるのがガバナンスです。
経済産業省の企業活動基本調査が示すように、コスト高と資本効率への圧力が強まる現在、投資家は新規事業を「成長オプション」として評価する一方で、失敗時にどこで損切りされるのかを厳しく見ています。撤退基準や段階的な投資判断が示されていない計画は、将来の不確実性ではなく、現在の統治能力への不信として受け取られやすいのです。
実際、コーポレートガバナンス・コードの議論でも、社外取締役や機関投資家は新規事業に対し、KPIの妥当性やモニタリング体制を確認します。挑戦しているかどうか以上に、挑戦を管理できているかが問われていると言えます。
| 観点 | ガバナンスが弱い場合 | ガバナンスが効いている場合 |
|---|---|---|
| 投資判断 | 初期承認後は惰性で継続 | 段階ごとに追加投資を判断 |
| 失敗時の対応 | 責任論に終始し長期化 | 基準に基づき迅速に撤退 |
| 投資家評価 | 資本効率悪化への懸念 | リスク管理能力への信頼 |
東京証券取引所がPBR1倍割れ是正を求める流れの中で、新規事業は企業価値を押し上げる存在にも、押し下げる存在にもなります。成果の見えない事業を抱え続けること自体が、ガバナンス上のリスクと見なされる時代です。
一方で、ガバナンスを強化することは挑戦を萎縮させる行為ではありません。投資家の多くは、失敗を前提としたポートフォリオ型の新規事業運営を理解しています。重要なのは、失敗を許容しつつも、資本の毀損を最小化する仕組みがあることです。その仕組みが明確であれば、投資家はむしろ大胆な挑戦を評価します。
新規事業におけるガバナンスとは、管理のための管理ではなく、信頼資本を積み上げるための装置です。投資家から見て信頼できる統治の下でこそ、新規事業は単なるコストではなく、企業の将来価値を高める戦略的投資として認識されるのです。
ごっこを終わらせ実業へ進むために責任者が取るべき行動
イノベーションごっこを終わらせ、実業としての新規事業を前に進めるために、最も重要なのは責任者自身の振る舞いです。制度やフレームワークを整える前に、まず責任者が「何に責任を持つ立場なのか」を明確に再定義する必要があります。新規事業の責任者は、アイデアを守る人ではなく、企業価値を最大化するために資源配分を判断する人です。この認識が曖昧なままでは、どれだけ優れたプロセスを導入しても形骸化します。
具体的に最初に取るべき行動は、プロジェクトごとの意思決定権限と責任範囲を明文化することです。多くの企業では、担当者はいるものの「最終的に誰が止めるのか」「誰が継続を許可するのか」が不透明です。責任者は、自らが継続・撤退の最終判断者であると宣言し、その判断基準を事前に共有します。経済産業省の企業活動基本調査が示すように、コスト高と人材制約が強まる環境下では、判断の遅れ自体が損失になります。**決めないことは中立ではなく、黙認という意思決定である**と自覚する必要があります。
次に重要なのは、議論の軸を一貫して「顧客と数字」に戻し続ける姿勢です。会議が盛り上がり、共感や想いが語られるほど、ごっこ化のリスクは高まります。責任者は空気を読んで同調する役ではなく、あえて違和感を言語化する役割を担います。入山章栄氏が指摘するように、内発的動機はイノベーションの源泉ですが、同時に制御されなければ暴走します。責任者は「それは顧客のどの行動で確認できましたか」「その仮説は数字でどう否定されましたか」と問い続け、感情を事実に引き戻します。
| 観点 | ごっこ状態の責任者 | 実業に向かう責任者 |
|---|---|---|
| 会議での発言 | 挑戦を称賛するコメントが中心 | 顧客・KPI・期限に関する質問が中心 |
| 撤退判断 | 空気や努力量を考慮して先送り | 事前基準に基づき淡々と実行 |
| チームへの姿勢 | 守る・庇う | 学びを次に活かす前提で背中を押す |
さらに、責任者が取るべき実践的な行動として、撤退を決めた瞬間のコミュニケーション設計があります。撤退は事業の失敗ですが、個人の失敗ではありません。この線引きを責任者が明確に言語化できなければ、次の挑戦に人は向かいません。**撤退理由をデータで説明し、同時に得られた学習を公式に認定する**ことが、組織の信頼残高を守ります。DeNAやリクルートが撤退後の人材配置を重視してきた背景には、この学習を資産として扱う思想があります。
最後に、責任者自身が評価される軸を変える覚悟も欠かせません。続いているプロジェクトの数や社内外での露出ではなく、「どれだけ早く見極め、どれだけ資源を次に回せたか」が責任者の成果です。投資家視点で見れば、撤退判断の質はガバナンス能力そのものです。**ごっこを終わらせるとは、現場を締め付けることではなく、責任者が意思決定から逃げない姿勢を示すこと**に他なりません。その背中を見て、組織は初めて実業としての新規事業に向き合い始めます。
参考文献
- 経済産業省:2024年企業活動基本調査 速報-2023年度実績-
- Aidiotプラス:痛手になる前に!新規事業の撤退基準の決め方・有名企業の事例をもとにご紹介!
- YouTube:入山章栄 イノベーションごっこに関するインタビュー
- 早稲田大学ビジネススクール:入山章栄氏によるイノベーションと組織論に関する発信
