近年、新規事業開発の現場で「サービスデザイン」という言葉が急速に注目を集めています。従来のように製品の機能や価格だけで勝負する時代は終わり、顧客が体験を通じて感じる「価値」こそが企業の成長を左右する時代へと移行しました。その中核にいるのが、顧客起点で事業を設計できるサービスデザイナーです。

経済産業省が提唱した「デザイン経営」以降、デザインは単なる見た目の工夫ではなく、経営資源としての戦略的要素と位置づけられるようになりました。Appleやダイソンのように、デザインを経営の中心に据える企業は、顧客体験を軸に持続的な競争優位を築いています。

この記事では、サービスデザイナーが新規事業開発において果たす本質的な役割を解説します。顧客理解のためのリサーチ手法、アイデア創出からプロトタイピングまでのプロセス、そして経営にインパクトを与えるデザインROIの可視化までを、具体的な国内外の事例とともに紹介します。読後には、あなたの組織でも「顧客起点の新規事業」を実現するための実践的なヒントが得られるはずです。

顧客中心の時代に求められる新規事業開発とは

現代のビジネス環境は、モノの所有からコトの体験へと価値の中心が移行しています。消費者は単に製品を購入するのではなく、「体験」を通して得られる感情的価値を求めるようになりました。この変化は、新規事業開発の在り方に大きな影響を与えています。

かつて企業は技術やコストの優位性を武器に市場を制してきました。しかし今日では、同等の品質・価格の製品が市場に溢れ、顧客は選択肢の多さに疲弊しています。その中で差を生むのは「顧客体験(CX)」の質です。スターバックスが「サードプレイス」という居心地の良い空間を提供し、顧客に一杯のコーヒー以上の価値を届けているように、顧客の感情を中心に据えた設計こそが新規事業成功の鍵となっています。

日本でも「デザイン経営」の推進により、デザインが経営の中心に据えられる動きが強まっています。経済産業省・特許庁が2018年に発表した「デザイン経営宣言」では、デザインを企業のブランド価値向上とイノベーション創出を支える経営資源と明確に位置づけました。これは、企業が「どう見えるか」よりも「どう体験されるか」を重視する方向にシフトしていることを示しています。

特に新規事業開発では、顧客の潜在的な課題を発見し、まだ誰も解決していないニーズを形にすることが重要です。このプロセスを支えるのがサービスデザインの考え方です。サービスデザインは、顧客がサービスに接する全ての体験を統合的に設計し、企業の内部プロセスや組織構造までを含めて最適化するアプローチです。

UX・CX・サービスデザインの違い

観点UXデザインCXデザインサービスデザイン
焦点製品やアプリの使いやすさ顧客接点全体の体験顧客体験と組織の仕組みの統合
対象範囲フロントステージ中心顧客接点全体フロント+バックステージ
成果物UIデザイン、ワイヤーフレームブランド戦略、NPSスコアサービスブループリント、業務設計

新規事業開発における価値創出の焦点は、製品開発そのものから「顧客との関係性をどうデザインするか」へと拡張しています。これからの事業開発担当者に求められるのは、顧客を起点に事業構想を描く発想と、それを具現化するデザイン思考のスキルです。

サービスデザインの本質:UX・CXを超える包括的アプローチ

サービスデザインとは、顧客が体験する「見える部分(フロントステージ)」だけでなく、その体験を支える「見えない部分(バックステージ)」までを設計対象に含める包括的な手法です。これにより、表面的な体験価値だけでなく、組織・業務・システムといった根幹から顧客価値を支える仕組みを整えることができます。

サービスデザインには、国際的に認知された6つの原則があります。これらはUXやCXの枠を超え、組織全体で顧客中心を実現するための思考軸として活用されています。

サービスデザインの6つの原則

原則内容
人間中心 (Human-centered)顧客だけでなく、従業員や関係者すべての体験を考慮する
共働的 (Collaborative)ステークホルダー全員が参加し、共に価値を創る
反復的 (Iterative)仮説→テスト→改善のサイクルを何度も繰り返す
連続的 (Sequential)顧客体験を断片ではなくストーリーとして捉える
リアル (Real)無形の価値を具体的な形(UI、店舗空間など)で体感させる
全体的 (Holistic)部分最適に陥らず、サービス全体の調和を目指す

フィンランドでは、税務署や医療機関の手続きを利用者目線で再設計するなど、公共サービスにもサービスデザインが導入されています。その結果、待ち時間が短縮し、行政コストの削減にもつながりました。これは、単なるデザインの改善ではなく、「体験の流れ」と「仕組みの流れ」を一体的に設計する成果です。

日本企業でも、顧客体験と業務プロセスを結びつけるサービスブループリントの活用が進んでいます。これは、顧客の行動を起点に企業内部の対応やシステムを可視化し、どこで体験が阻害されているかを明確にする手法です。結果として、顧客満足度の向上だけでなく、部門横断的な業務改善やコスト削減にもつながります。

つまり、サービスデザインの本質とは、UXやCXのように「使いやすさ」や「好感度」を高めるだけではありません。顧客が感じる体験の裏側にある仕組みそのものを再構築し、企業の競争力を高める戦略的思考法なのです。

顧客起点の実践が生む持続的な競争優位性

顧客起点の発想は、単なるマーケティングの流行語ではありません。すべての意思決定の中心に顧客を置くことで、企業は長期的な信頼とロイヤルティを築くことができます。近年の調査では、顧客中心経営を徹底する企業は、そうでない企業に比べて売上成長率が平均で60%以上高いというデータも報告されています。

顧客起点経営の真価は、「顧客満足」だけでなく、「顧客との関係性の深さ」を生み出す点にあります。顧客の期待を超える体験を提供すると、ロイヤルティが高まり、リピート率や紹介率の上昇に直結します。McKinsey & Companyのグローバルレポートでも、顧客中心のデザインを導入した企業は、競合よりも33%高い収益性を実現していることが明らかになっています。

顧客起点を実現する3つの要素

要素内容
深い顧客理解顧客アンケートだけでなく、観察や対話から潜在ニーズを発見する
組織横断の共通言語部門ごとに異なる顧客像を統一し、共有できる指標を設定する
継続的な改善サービス提供後もフィードバックを収集し、体験価値を高め続ける

日本企業がこの顧客起点を組織文化として根付かせるには、単発のプロジェクトで終わらせず、経営層から現場まで一貫した思想として浸透させることが欠かせません。

たとえば、トヨタ自動車では「現地現物(Genchi Genbutsu)」という考え方を重視しています。これは、顧客が実際に体験している現場に足を運び、直接観察することで課題を発見するという手法です。この姿勢こそ、顧客中心思考の根本にある行動です。

また、海外ではAmazonが代表的です。創業者ジェフ・ベゾス氏は「顧客から逆算せよ(Start with the customer and work backward)」という哲学を掲げ、意思決定のすべてを顧客視点で行うことを徹底しました。その結果、Amazonは短期的利益よりも顧客体験の向上を優先し、長期的な成長を実現しています。

顧客起点を実践する企業は、常に「顧客の声」を未来志向で捉えます。単に不満を解消するのではなく、顧客がまだ気づいていない潜在的欲求を先回りして提供する姿勢が重要です。顧客の感情・行動・期待を継続的に観察し、サービスを通して学び続ける企業こそが、変化の激しい市場で持続的な競争優位を築けるのです。

サービスデザイナーの4つの戦略的役割と必要スキルセット

サービスデザイナーは、新規事業開発の現場で「顧客起点」を実践に移す中心的存在です。単なるデザイン専門職ではなく、組織の横断的連携を促進し、戦略から実行までを橋渡しするハブとして機能します。その役割は多岐にわたりますが、特に重要なのが次の4つの戦略的責任です。

サービスデザイナーの主要な役割

役割概要
顧客視点の擁護者組織内で常に「顧客の声」を代弁し、議論が企業都合に偏らないよう調整する
体験の設計者顧客の行動・感情を時系列で捉え、理想的な体験を構築する
ビジネスモデル構築者デザインされた体験を事業として成立させるための収益構造を設計する
組織の触媒部門間の壁を超え、チーム間の協働を促進するファシリテーターとして機能する

このように、サービスデザイナーは「体験のクリエイター」であると同時に、「組織変革のドライバー」でもあります。

具体的な成功例として、セブン銀行の新型ATM開発プロジェクトが挙げられます。利用者の行動観察から潜在的な課題を洗い出し、操作画面の見やすさや安全性を高める設計を繰り返した結果、利用者満足度が大幅に向上しました。

さらに、ATMを支える警備会社やシステム管理チームなど、社外ステークホルダーも巻き込み、バックステージの業務プロセスまでを最適化しました。このように、サービスデザイナーは「顧客体験」と「内部オペレーション」を橋渡しする要となる存在です。

現代のサービスデザイナーに求められるスキル

  • デザイン思考力:共感・課題定義・アイデア創出・検証のプロセスを自走できる能力
  • システム思考:個別の要素ではなく、サービス全体のつながりを俯瞰して設計する力
  • データリテラシー:定性・定量データを組み合わせ、仮説検証を行う分析力
  • ファシリテーション力:異なる専門性を持つ関係者を巻き込み、共創を促す力
  • チェンジマネジメント:組織の抵抗を乗り越え、変革を定着させるリーダーシップ

特に新規事業の立ち上げでは、未知の領域を扱うため「答えのない問い」に向き合う力が求められます。優れたサービスデザイナーは、デザインを通して組織に「学習する文化」をもたらす存在でもあるのです。

このように、サービスデザイナーの価値は単なる表層的なデザインに留まらず、組織の構造や思考を変革する「戦略的パートナー」としての役割にあります。

実践プロセスで見るサービスデザインの4つの柱

サービスデザインを成功に導くためには、単なる発想法やデザイン手法として捉えるのではなく、体系的なプロセスとして実践することが重要です。国際的な実践例や企業事例を分析すると、サービスデザインの根幹には「リサーチ」「アイデエーション」「プロトタイピング」「実装」の4つの柱が存在します。これらは段階的に進むものではなく、仮説と検証を繰り返しながら進化していく循環型のプロセスです。

1. リサーチ(共感フェーズ)

リサーチは、顧客を理解するための最初のステップです。観察やインタビューを通じて、顧客の行動・感情・思考の背景を掘り下げます。日本企業では、デプスインタビュー(深層心理調査)やエスノグラフィ(行動観察)を導入するケースが増えています。例えば、パナソニックでは介護領域の新規事業開発において、利用者の生活現場を長期間観察することで、機能ではなく「心理的な安心感」が価値の源泉であると発見しました。

2. アイデエーション(構想フェーズ)

次に行うのが、リサーチ結果をもとにしたアイデア創出です。デザイン思考のフレームワークを用いながら、関係者全員が参加するワークショップ形式で多様な視点を統合します。ここで重要なのは、現実的な制約よりも「理想の顧客体験」を出発点にすることです。IDEOの研究によると、初期段階で多様な職種が参加したチームは、後のプロジェクト成功率が3倍に向上するというデータもあります。

3. プロトタイピング(検証フェーズ)

プロトタイピングは、アイデアを素早く具体化し、顧客の反応を確認する段階です。紙やデジタルツールを使ったモックアップ(試作モデル)を短期間で制作し、実際のユーザーに試してもらうことで、改良点を特定します。たとえば、ANA(全日本空輸)は新サービス開発時に、カスタマー体験を仮想的に再現する「サービスシミュレーションラボ」を導入し、導入前に顧客動線と心理的負担を分析しています。

4. 実装(運用フェーズ)

最後に、プロトタイプで得られた知見を事業として実装します。この段階では、社内オペレーションの再設計やKPIの設定も含め、持続可能な仕組みを構築します。リクルート社では、新規サービスをリリースする前に「運用担当者も含めた実装検証」を行い、提供後の運営課題を最小化しています。

このように、サービスデザインの4つの柱は、顧客体験の創造と組織変革を同時に推進するための基盤となります。重要なのは、どのフェーズにおいても「仮説→観察→改善」のループを止めないことです。継続的な学習と検証の文化こそが、真の顧客中心経営を支える力なのです。

ROIで示すデザイン投資の経済的価値と経営貢献

サービスデザインを経営戦略の中核に据える企業が増える一方で、「デザインの効果をどう数値で示すか」という課題は依然として多くの企業が抱えています。そこで注目されているのが「デザインROI(Return on Design Investment)」という考え方です。これは、デザイン投資によって生まれた収益やコスト削減効果を可視化し、経営貢献を定量的に評価する指標です。

デザイン投資のROIを測る主な指標

分野測定項目具体例
収益向上売上成長率、顧客獲得単価(CAC)UX改善後にCVRが20%向上
コスト削減業務効率、再設計コストプロトタイプ導入で開発工数を30%削減
ブランド価値NPS、顧客ロイヤルティサービス体験満足度の向上による再利用率UP

マッキンゼーの調査「The Business Value of Design(2018)」によると、デザインを経営に統合している企業は、そうでない企業と比較して収益成長率が32%、株主総利回りが56%高い結果が出ています。つまり、デザインは単なるコストではなく、利益を生み出す経営投資であることが明確に示されています。

日本でも、富士フイルムやソニーのようにデザイン経営を実践する企業が増えています。富士フイルムは医療機器や化粧品事業の新規開発において、ユーザーインサイトをもとにしたサービスデザインを導入。その結果、製品開発期間を短縮しつつ顧客満足度を向上させ、事業収益の多角化に成功しました。

さらに、ROI評価においては定量的な数値だけでなく、「社内文化の変化」も見逃せません。IDEO Tokyoの調査によると、デザイン思考を導入した企業のうち、約70%が「社員の心理的安全性」や「チーム間の協働」が向上したと回答しています。これは、デザイン活動が組織に学習と共創の文化を生み出している証拠です。

ROIを可視化することで、経営層の理解と支援を得やすくなり、デザインが戦略の中心として位置づけられます。サービスデザインを実践する企業にとって、デザインROIは「感性の言語化」であり、創造性と経済性をつなぐ共通言語となるのです。

日本企業の成功事例に学ぶ:セブン銀行・浜野製作所・横須賀市の挑戦

サービスデザインの価値を理解するには、実際にそれを経営に取り入れ、成果を上げた企業の取り組みを見ることが最も効果的です。ここでは、日本を代表する3つの事例を紹介します。いずれも顧客起点の発想を軸に、事業・組織・社会を変革した好例です。

セブン銀行:顧客体験からATMを再定義

セブン銀行は、ATMの利便性だけでなく「利用体験」そのものを見直すことで、新たな顧客価値を創出しました。開発チームは高齢者や外国人利用者など多様な顧客層の行動を観察し、操作時の心理的負担や不安を洗い出しました。そこから得た洞察をもとに、画面のデザインや音声案内、ボタン配置を再設計。誰にとっても使いやすく、安心できるATM体験を実現したのです。

また、開発プロセスではデザイナー・エンジニア・運用担当者が一体となり、現場視点での反復的な検証を実施。結果として、設置コストの削減と稼働効率の向上にもつながりました。デザイン思考が「体験価値」と「事業効率」の両立をもたらした好例といえます。

浜野製作所:共創を軸に地域と産業をつなぐ

中小製造業の浜野製作所は、「下町のものづくり」を新しい形で再生した企業として注目されています。彼らは発注者からの依頼を受ける従来型の受託モデルを脱却し、顧客と共に製品を開発するサービスデザイン型のビジネスモデルへと転換しました。

特筆すべきは、スタートアップや大学との協働による「Garage Sumida(ガレージスミダ)」の取り組みです。新規事業開発の試作支援を行い、試行錯誤を繰り返す場を提供することで、ものづくりの民主化を推進。顧客のアイデアが社会実装に至るまで伴走する姿勢が、多くのベンチャー企業や自治体から支持を得ています。

横須賀市:行政サービスを“市民目線”で再設計

神奈川県横須賀市では、行政サービスのデジタル化を進める中で、サービスデザインの手法を導入しました。市民インタビューや利用動線の観察を通じて、手続きの煩雑さや心理的ストレスを可視化。申請書や窓口対応のプロセスを再構築した結果、待ち時間の短縮と満足度向上を実現しました。

特に注目されたのは、市民を共創パートナーとして巻き込む姿勢です。デザイナーや職員だけでなく、市民自身がアイデア出しやテストに参加し、行政の透明性と信頼性を高めました。これにより、行政サービスは「提供されるもの」から「共につくるもの」へと変化したのです。

これらの3事例は、業界や規模にかかわらず、サービスデザインが顧客体験の質だけでなく、組織文化や経営の方向性までも変革できる力を持つことを示しています。

顧客中心文化を根づかせる組織変革とリーダーシップ

サービスデザインを一過性のプロジェクトで終わらせず、企業文化として根づかせるためには、リーダーシップと組織変革が欠かせません。経営層が顧客中心の価値観を明確に打ち出し、現場が自律的に動ける環境を整えることが、継続的なイノベーションを生む土台になります。

顧客中心文化を育む3つの要素

要素内容
ビジョン共有顧客視点を企業理念や経営方針に明文化する
学習の仕組み現場が試行錯誤できるプロトタイプ文化を奨励する
権限移譲意思決定を現場に近い層に委ね、顧客に迅速に対応できる体制を整える

リーダーはまず「顧客理解」を経営課題として扱う必要があります。米国デザインマネジメント研究所(DMI)の調査によると、デザインドリブンな企業はS&P500平均を10年間で228%上回る株価上昇を記録しています。これは、経営者がデザインを“戦略資源”として扱い、組織に浸透させた結果といえます。

日本企業では、資生堂の「デザイン経営推進室」やトヨタの「デザイン思考ワークショップ」など、経営主導で文化醸成を行う取り組みが進んでいます。これらに共通するのは、単なる制度改革ではなく、「社員一人ひとりが顧客体験を考える組織風土」をつくる意識改革です。

また、サービスデザインを推進する上で鍵を握るのが「心理的安全性」です。Googleのプロジェクト・アリストテレス研究では、成果を出すチームに共通する最大の要因が心理的安全性であると明らかにされました。失敗を恐れずに意見を出せる環境が、創造性を育てます。

さらに、継続的な組織変革には「共感型リーダーシップ」が求められます。トップダウンでの命令ではなく、共感を通じてメンバーを動かすことが、顧客中心の文化を持続させる鍵です。経営層が顧客の声に耳を傾け、自ら現場体験を重ねる姿勢こそが、企業全体を動かす最も強いメッセージになります。

顧客中心文化とは、制度やスローガンではなく「日々の行動と意思決定に現れる姿勢」です。現場が顧客を見て、経営が顧客を信じる組織こそが、次の時代の新規事業を生み出す真の土壌になるのです。