ディープテック投資は今、本当に回復局面に入ったのでしょうか。2022年から続いた資金調達の停滞は、多くの新規事業担当者にとって慎重姿勢を強める要因となりました。しかし2024年後半以降、宇宙、AI、核融合といった分野では、これまでとは質の異なる資金流入が始まっています。
本記事では、世界的な金利環境の変化や国家戦略、安全保障、生成AIブームといった複合要因が、ディープテック投資をどのように「冬」から「春」へと押し上げているのかを整理します。単なる市況回復ではなく、選別が進んだ結果として何が評価され、何が淘汰されているのかを明らかにします。
特に日本市場に焦点を当て、政府主導の大型支援策、大学発スタートアップの進化、AstroscaleやSakana AIといった具体事例から、新規事業開発や経営企画の立場で今取るべき判断軸を解説します。ディープテックを成長戦略にどう組み込むべきか、そのヒントを得られる内容です。
ディープテック投資に訪れた「冬」の正体と他領域との決定的な違い
ディープテック投資における「冬」は、単なる市況悪化や投資マインドの冷え込みとは性質が異なります。2022〜2023年にかけて世界的な金融引き締めが進み、VC市場全体が急速に冷却化しましたが、ディープテックの冬は「需要消失型」ではなく、**選別と再編を目的とした構造調整期**として現れました。
PitchBookやDealroomによれば、この期間にディープテック企業の評価額は大きく調整され、レイターステージでは前年比で約16%下落、ケースによっては50%近い縮小も確認されています。一見すると厳しい数字ですが、その内訳を見ると、短期リターンを求めて参入していたクロスオーバー投資家、いわゆる「観光客資金」が撤退した影響が大きいことが分かります。
| 観点 | ディープテック | SaaS・アプリ系 |
|---|---|---|
| 冬の主因 | 資本コスト上昇による選別 | 需要減退・解約増 |
| 撤退資金 | 短期志向のクロスオーバー投資家 | 幅広いVC・個人投資家 |
| 需要の有無 | 国家・社会課題により底堅い | 景気感応度が高い |
特に重要なのは、**ディープテックの需要そのものは消えていない**点です。エネルギー安全保障、半導体供給網、宇宙・防衛といった分野は、景気循環よりも国家戦略や社会要請に強く規定されます。BCGの分析でも、VC投資全体に占めるディープテック比率は2023年時点で約20%と、10年前の2倍に達しており、高金利環境下でも相対的な存在感を維持しています。
一方で、この冬はスタートアップ側にも厳しい現実を突きつけました。明確な知的財産や社会実装への道筋を示せない企業は資金調達が難航し、ダウンラウンドや条件付き調達が常態化しました。米国では2023年のダウンラウンド比率が約14%と、過去数年で最も高い水準に達しています。
しかし見方を変えれば、この環境下でも資金を集めた企業は、技術的妥当性や中長期の価値創出力を厳しく検証された存在だと言えます。SaaSや消費者向けアプリが「成長鈍化の冬」を迎える中で、ディープテックは**時間はかかるが裏切られにくい領域**として再定義されつつあります。この決定的な違いこそが、ディープテック投資の冬を理解する上での核心です。
2024-2025年に見え始めた「春」を支える三つの回復ドライバー

2024年から2025年にかけてディープテック投資が回復局面に入った背景には、偶発的な市況改善ではなく、明確に観測できる三つの回復ドライバーがあります。**この三要素が重なったことで、選別を経た市場に持続的な「春」が訪れ始めました。**
| 回復ドライバー | 主導主体 | 投資の性質 |
|---|---|---|
| 国策・経済安全保障 | 政府・公的機関 | 長期・非連続成長 |
| 生成AIスーパーサイクル | 民間・テック企業 | 連鎖的・波及型 |
| 気候変動・エネルギー転換 | 官民連携 | 不可逆・構造的 |
第一のドライバーは、国策としてのディープテック投資、いわゆるソブリン・キャピタルの台頭です。経済安全保障の重要性が高まる中、半導体、宇宙、エネルギー、重要鉱物といった分野では、市場原理だけに委ねない資金供給が常態化しました。NEDOや欧州EIC、米国のDoDやDoEによる大型助成は、民間VCにとってのリスク低減装置として機能しています。BCGの分析でも、ディープテックがVC投資全体に占める比率は約20%と、景気後退期でも安定していると指摘されています。
第二のドライバーは、生成AIがもたらしたハロー効果です。S&P Globalによれば、2024年の生成AI関連資金調達額は第3四半期時点で200億ドルを超え、前年を上回るペースで推移しました。注目すべきは、資金がソフトウェア単体にとどまらず、**半導体、データセンター電力、ロボティクスといった物理レイヤーへ波及している点**です。これにより、従来は回収期間の長さから敬遠されがちだったハード系ディープテックにも再び資金が向かいました。
第三のドライバーが、気候変動とエネルギー転換です。BloombergNEFによると、2024年の世界のエネルギー転換投資は2兆ドルを突破しました。高金利環境下で水素やCCUSへの投資が一部減速する一方、核融合のようなベースロード電源技術には長期視点の資本が集まり続けています。これは短期的なROIよりも、将来の社会インフラを支える必然性が評価されているためです。
これら三つの回復ドライバーに共通するのは、**景気循環に左右されにくい構造要因であること**です。その結果、2024-2025年の「春」は、誰にでも開かれた楽観相場ではなく、社会的要請と技術的必然性を備えたプレイヤーだけが恩恵を受ける、規律ある回復局面となっています。
日本市場で顕在化する官主導エコシステムと投資環境の特殊性
日本市場におけるディープテック・エコシステムの最大の特徴は、**官が市場形成の初期段階から深く関与する「官主導エコシステム」**が顕在化している点です。これは民間主導が原則の米国型とは異なり、需要・資金・信用を政府が同時に供給する構造を持っています。
象徴的なのが、経済産業省が主導するスタートアップ育成5か年計画です。政府は2027年度までに官民合わせて10兆円規模の投資を目標に掲げ、特にディープテック領域では補助金、出資、公共調達を組み合わせた立体的な支援を進めています。OECDの分析によれば、日本は先進国の中でも政府R&D支出の比率が高く、この特性が投資環境に色濃く反映されています。
この構造を具体化しているのが、NEDOによるディープテック・スタートアップ支援事業です。実用化研究から量産化まで最大数十億円規模の助成が行われ、民間VCだけではカバーできない長期R&Dの資金ギャップを埋めています。PitchBookなどの投資家レポートでも、**大型補助金の採択有無が企業価値算定に直接影響する**という日本特有の傾向が指摘されています。
| 観点 | 日本市場の特徴 | 投資家への影響 |
|---|---|---|
| 初期需要 | 政府・自治体が実証や調達で関与 | 事業化確率の底上げ |
| 資金供給 | 補助金とVC投資の併用 | ダウンサイドリスク低減 |
| 信用形成 | 国家プロジェクト採択が評価軸 | 海外投資家への説明材料 |
さらに経済安全保障推進法の施行により、K Programを通じた重要技術への基金投資が本格化しました。AI、宇宙、エネルギー、防衛といった分野では、民生と国家安全の両立を前提としたデュアルユース投資が進み、従来はタブー視されがちだった領域にも資本が流入しています。CSISや国内有識者の分析でも、この政策転換が投資家心理を大きく変えたと評価されています。
一方で、この官主導モデルは万能ではありません。**政策テーマから外れた技術は資金調達が難しくなりやすく、企業の戦略が補助金依存に傾くリスク**も指摘されています。そのため新規事業開発の責任者にとっては、国策との整合性を踏まえつつも、民間市場で自立可能な収益モデルを早期に描けるかが重要な分岐点となります。
日本市場の特殊性は制約であると同時に、読み解ければ強力な追い風になります。官主導エコシステムの力学を理解し、政策・投資・事業開発を一体で設計できるかどうかが、ディープテック新規事業の成否を左右しています。
宇宙・核融合・AIに集中する資金の行方と象徴的スタートアップ事例

2024年から2025年にかけて、ディープテック投資の中でも資金が明確に集中しているのが、宇宙、核融合、AIの三領域です。共通点は、いずれも民間需要だけでなく、安全保障や産業競争力といった国家的要請と強く結びついている点にあります。BCGによれば、VC投資全体に占めるディープテック比率は約20%と過去10年で倍増しており、その中核をこの三分野が占めています。
宇宙分野では、日本市場において資金の「出口」が可視化されたことが投資を呼び込みました。AstroscaleとSynspectiveの相次ぐIPOは、赤字先行でも技術優位性と政府契約があれば公募市場で評価されることを示しました。特にSynspectiveは、防衛省などを主要顧客とするSAR衛星データ事業により、宇宙が国家インフラとして再定義されている現実を象徴しています。
核融合では、実用化までの長い時間軸にもかかわらず、資金流入が止まっていません。BloombergNEFによれば、世界のエネルギー転換投資が2兆ドル規模に達する中、核融合はベースロード電源候補として独自の地位を築いています。日本ではKyoto Fusioneeringが炉周辺機器というサプライチェーンに特化し、累計100億円規模の資金を集めました。
一方、Helical Fusionは核融合炉そのものに挑む存在で、研究機関発スタートアップとしては異例のスピードでシリーズAを完了しています。ここで注目すべきは、投資が長期型と中短期型に二層化している点です。事業会社にとっては、前者よりも後者の方が現実的な参入余地となっています。
| 分野 | 資金集中の理由 | 象徴的スタートアップ |
|---|---|---|
| 宇宙 | 安全保障・政府契約・IPO実績 | Astroscale、Synspective |
| 核融合 | 脱炭素・基幹電源期待 | Kyoto Fusioneering、Helical Fusion |
| AI | 生成AIスーパーサイクル | Sakana AI、Preferred Networks |
AI分野では、生成AIブームが他領域への資金流入を加速させるハブとして機能しています。S&P Globalによれば、2024年の生成AI関連調達額は200億ドルを超えました。その中でSakana AIは、巨大モデルとは異なる軽量・高効率路線で評価額2000億円規模に到達し、日本発AIの勝ち筋を示しました。
宇宙、核融合、AIはいずれも単独では成立せず、政策、産業、研究の三位一体が前提となる領域です。だからこそ資金は選別的であり、象徴的スタートアップへの集中投資という形で市場の意思が明確に表れています。新規事業担当者にとって重要なのは、流行ではなく、この資金の論理を読み解くことです。
投資ステージ別に見るチャンスと課題、そして深まるシリーズBの壁
ディープテック投資は、ステージごとにチャンスと課題の性質が大きく異なります。特に2024〜2025年は、シード・アーリーとミドル以降で資金環境が明確に分断されており、その断層が「シリーズBの壁」として可視化されています。
まずシードからシリーズAでは、政府支援と大学発エコシステムを背景に相対的な追い風が続いています。経済産業省やNEDOの支援策、SBIR改革により、研究開発型スタートアップでも初期のランウェイを確保しやすくなりました。OECDやMETIの資料によれば、日本の大学発ベンチャー数は過去最高水準にあり、技術シーズ起点の起業は量的に拡大しています。
| 投資ステージ | 主な資金源 | 特徴的なチャンス |
|---|---|---|
| シード〜A | 政府助成・大学系VC・CVC | 技術検証と社会実装の初期実績を作りやすい |
| シリーズB以降 | 国内VC・海外投資家 | 勝者総取りで資金が集中 |
一方で、シリーズB以降に必要となる数億〜数十億円規模のスケール資金は依然として逼迫しています。PitchBookやGlobal Corporate Venturingが指摘するように、海外クロスオーバー投資家は極めて選別的になり、日本市場ではSakana AIのような例外的存在を除き、資金流入が限定的です。その結果、技術的には優れていても、量産・海外展開・組織拡大に踏み切れない企業が滞留しています。
この評価ギャップを埋めるため、企業は早い段階から売上の兆し、政府や大企業との長期契約、グローバル展開の具体像を示す必要があります。BCGの分析によれば、ディープテック投資においてはIPの質だけでなく、将来キャッシュフローの蓋然性がレイターステージで強く重視されます。
- 初期から量産・調達を見据えたロードマップ設計
- 政府実証を単発で終わらせず、継続案件につなげる
- シリーズB前に事業会社との戦略関係を構築する
投資ステージ別に見ると、現在の市場は「始めること」よりも「伸ばし切ること」が難しい局面です。新規事業担当者にとっては、このシリーズBの壁にこそ、割安な評価で将来の中核技術に関与できる最大の機会が潜んでいます。
新規事業開発担当者が知るべきCVCとオープンイノベーションの進化
近年、新規事業開発の現場においてCVCとオープンイノベーションの位置づけは大きく変化しています。かつては将来オプションの確保や情報収集が主目的でしたが、現在は自社の中長期戦略と直結する実装手段として再定義されつつあります。
背景にあるのは、ディープテック投資の冬を経て進んだ選別です。PitchBookやBCGの分析によれば、2023年以降、事業会社が関与する投資では、単なる財務リターンよりも事業シナジーの明確さが重視される傾向が強まっています。
具体的には、日本のCVCは三つの方向で進化しています。第一に、投資ステージの前倒しです。UTECや東大IPCなど大学系VCと連携し、研究段階から関与するケースが増えています。これにより、自社R&Dでは捉えきれない技術の芽を早期に把握できます。
第二に、レイターステージでの戦略投資です。シリーズB以降の資金不足が深刻化する中、KDDIやSony Venturesのように事業部と連動した大型出資を行う動きが目立っています。Global Corporate Venturingによれば、この段階でのCVC参画は、将来のM&A成功確率を高めるとされています。
第三に、オープンイノベーションの実装重視です。PoC止まりを回避するため、最初から量産・導入を前提にした設計が求められています。世界経済フォーラムの報告でも、商用化を見据えた共同開発体制が成果を左右すると指摘されています。
| 観点 | 従来型 | 進化後 |
|---|---|---|
| CVCの役割 | 情報収集・少額投資 | 戦略実装・事業接続 |
| 協業目的 | PoC中心 | 量産・市場投入 |
| 成功指標 | IRR | 事業KPI |
また、2023年度の税制改正により、オープンイノベーション促進税制がM&Aにも適用された点は重要です。経済産業省によれば、これにより出資から買収までを一気通貫で設計する戦略が現実的になりました。
新規事業開発担当者にとって鍵となるのは、CVCやオープンイノベーションを独立した施策として扱わないことです。投資、協業、M&Aを一本のストーリーとして描き、事業部門と初期段階から接続することで、技術探索は初めて成長ドライバーへと転換します。
- 自社戦略と連動したテーマ設定
- PoC前提ではなく実装前提の設計
- 投資後の事業部巻き込み
こうした進化を理解し実践できるかどうかが、CVCとオープンイノベーションを真の競争優位に変えられるかの分水嶺になっています。
2025年以降を見据えたディープテック戦略と企業に求められる覚悟
2025年以降のディープテック戦略で最も重要なのは、技術トレンドの把握以上に、企業自身がどこまで長期視点でコミットできるかという覚悟です。ディープテックは研究開発から社会実装まで10年以上を要するケースも多く、短期の財務指標だけで判断する従来型の新規事業評価とは本質的に相容れません。
BCGの分析によれば、世界のVC投資に占めるディープテック比率は約20%と過去10年で倍増しましたが、これは一時的なブームではなく、国家安全保障やエネルギー転換と直結する不可逆的な潮流とされています。つまり、撤退しない主体だけが果実を得る構造になりつつあります。
日本企業に求められる覚悟は、主に三つに集約できます。第一に、失敗を前提としたポートフォリオ思考です。核融合や宇宙、先端半導体のような分野では、技術的失敗や計画遅延は不可避であり、単発案件の成否で評価しない姿勢が必要です。
第二に、社内の評価制度と時間軸の再設計です。OECDも、日本企業では長期R&Dに関与する人材が短期成果を求められがちだと指摘しています。10年単位の価値創出を正当に評価する仕組みがなければ、戦略は形骸化します。
第三に、国策との接続を前提とした事業設計です。経済産業省やNEDOの大型支援、経済安全保障政策は、単なる補助金ではなく市場そのものを形成しています。AstroscaleやSynspectiveが示したように、政府が初期顧客となるモデルは、企業側にも高い説明責任と継続関与を求めます。
| 観点 | 従来型新規事業 | ディープテック戦略 |
|---|---|---|
| 時間軸 | 3〜5年 | 10年以上 |
| 失敗許容度 | 低い | 高い |
| 外部連携 | 限定的 | 大学・政府・海外必須 |
ディープテックに向き合うとは、不確実性を排除することではなく、不確実性を引き受け続ける決断です。2025年以降、その覚悟を持つ企業だけが、次の産業の中核に立つことになります。
