訪日外国人客数が急回復し、インバウンド市場は再び成長軌道に乗っています。しかし、新規事業開発の現場では「人は増えているのに利益が残らない」「オーバーツーリズムで地域の疲弊が進む」といった新たな課題に直面しているのではないでしょうか。
2025年に向け、日本のインバウンドは明確に「量」から「質」への転換期に入っています。消費額の拡大、富裕層旅行の成長、地方分散と高付加価値化を軸とした政策転換は、従来型の観光ビジネスとは異なる発想を求めています。単なる集客や価格競争ではなく、体験の設計力やストーリー、地域との関係性が事業成否を分ける時代です。
本記事では、最新の市場データや政策動向を押さえながら、富裕層ツーリズムのインサイト、日本各地で生まれている高付加価値コンテンツの先進事例、そして新規事業として狙うべき領域を体系的に整理します。インバウンドを次の成長エンジンにしたい新規事業担当者にとって、戦略立案の地図となる内容をお届けします。
2025年インバウンド市場の現在地と成長ドライバー
2025年のインバウンド市場は、単なる回復局面をすでに終え、「成長の質」が競争軸となる新しいフェーズに入っています。観光庁および日本政府観光局の統計によれば、2024年に急回復した訪日外国人旅行者数は2025年も増勢を維持し、**年間4,000万人規模が現実的な射程に入った**と見られています。その象徴的な起爆剤が大阪・関西万博であり、世界的な注目が日本への渡航動機を再び強く刺激しています。
一方で、政策当局や産業界がより重視しているのは来訪者数ではありません。2024年の訪日外国人旅行消費額は約8.1兆円と推計され、2019年比で約7割増という異例の水準に達しました。さらに、**旅行者一人当たりの支出額はコロナ前比で2割以上増加**しており、価格上昇の影響を差し引いても、高単価な体験やサービスへの需要が確実に高まっていることが読み取れます。
| 指標 | 直近データ | 示唆される変化 |
|---|---|---|
| 訪日外国人旅行者数 | 4,000万人視野 | 量的拡大は既定路線 |
| 旅行消費額 | 約8.1兆円 | 高付加価値化が進展 |
| 一人当たり支出 | 約4.3万円 | 体験消費へのシフト |
この成長を下支えしているのが、国籍構成の変化です。中国・台湾・韓国といった東アジアに加え、米国やオーストラリアなどの欧米豪市場が存在感を高めています。これらの地域からの旅行者は滞在日数が長く、宿泊、食、文化体験への支出額も大きい傾向があります。観光庁の分析でも、**消費額ベースでは欧米豪が成長ドライバーになっている**ことが明確になっています。
さらに見逃せないのが、政府主導の構造転換です。観光庁は「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり」を旗印に、全国でモデル地域を選定し、富裕層や長期滞在者を地方へ分散させる政策を進めています。これはオーバーツーリズム対策であると同時に、地方での消費額最大化を狙った経済戦略でもあります。
世界的にも、UNWTOなどが指摘するように、観光の競争力は「どれだけ来たか」から「どれだけ深く関与したか」へと移行しています。2025年の日本は、自然、文化、食といった既存資産を背景に、まさにその潮流の中心に立ちつつあります。**インバウンド市場の現在地は、量的回復の終着点であり、質的成長の出発点**だと捉えるべき段階にあります。
なぜ今「高付加価値化」が最重要テーマなのか

今、インバウンドビジネスや新規事業開発において高付加価値化が最重要テーマとなっている背景には、市場構造そのものの変化があります。2024年以降、訪日外国人旅行者数は急速に回復し、2025年には年間4,000万人規模に達する可能性が指摘されています。しかし政策当局や業界が重視し始めているのは人数ではなく消費額です。
観光庁の調査によれば、2024年1-3月期の国内旅行消費額は約4.8兆円と過去最高を更新し、旅行者一人当たりの支出額は2019年比で22.5%増加しています。**量が戻った市場では、価格競争ではなく価値競争に軸足を移さなければ成長余地が限られる**という明確なシグナルです。
特に重要なのが、欧米豪を中心とする長期滞在・高消費層の存在感です。観光庁の推計では、訪日外国人旅行消費額は2024年通年で8兆円を超え、2019年比で約7割増となる見込みです。この伸びは為替要因だけでは説明できず、**より高単価な体験やサービスを選ぶ旅行者が増えている**ことを示しています。
この変化は、世界の富裕層旅行市場の潮流とも一致します。調査会社Technavioによれば、世界の富裕層旅行市場は2024年時点で約22兆円規模に達し、成長を牽引しているのはモノ消費ではなく体験消費です。単なるラグジュアリー宿泊では差別化できず、独自性や知的刺激、社会的意義が価値判断の軸になっています。
| 従来型の成長軸 | 現在求められる成長軸 |
|---|---|
| 集客数の最大化 | 一人当たり消費額の最大化 |
| 低価格・大量販売 | 高価格・限定提供 |
| 有名観光地集中 | 地方分散・長期滞在 |
もう一つの理由が、オーバーツーリズムという制約条件です。京都や富士山周辺で顕在化している混雑問題は、受け入れキャパシティが有限であることを示しています。**同じ場所に同じ人数を呼び続けるモデルは、経済的にも社会的にも持続しません**。高付加価値化は、混雑を抑えながら収益を確保するための現実的な解です。
実際、富士山の入山料導入や宮島訪問税の事例が示すように、価格メカニズムによる需要調整は受益者負担として一定の理解を得ています。安さではなく納得感のある価格設定が、体験価値と社会的合意を両立させています。
新規事業開発の視点で見ると、この局面は大きな機会でもあります。高付加価値化とは単なる値上げではなく、体験設計、ストーリー、提供方法を再定義することです。日本の文化・自然・技術は世界的に見ても希少性が高く、**設計次第で価格決定権を持てる市場環境が、今まさに整っています**。
- 量の回復により価格競争の限界が露呈している
- 高消費・長期滞在層が市場成長を牽引している
- 混雑と環境制約が価値重視モデルを後押ししている
これらが重なった結果として、今このタイミングで高付加価値化が最重要テーマとして浮上しています。市場が成熟しきる前に、どの価値を、誰に、どの価格で提供するのかを定義できるかが、次の成長を左右します。
富裕層旅行市場の規模・成長性と日本の優位性
世界の富裕層旅行市場は、観光産業の中でも特に安定した成長が見込まれる分野として注目されています。調査会社Technavioによれば、世界の富裕層旅行市場は2024年時点で約22兆円規模に達し、2020年から2024年にかけて年平均約4%で成長してきました。**パンデミックを経てもなお拡大を続けている点は、富裕層旅行が景気変動に対して相対的に耐性を持つ市場であることを示しています。**
この成長を支えているのは、単なる高級消費ではなく、「意味のある体験」への需要です。欧米を中心とした富裕層は、ラグジュアリーの定義を物質的な豪華さから、自己変革や学びを伴う体験へと移行させています。アドベンチャーツーリズムや文化没入型の旅が支持されている背景には、時間価値を最大化したいという強い動機があります。
| 指標 | 内容 | 出典例 |
|---|---|---|
| 世界の富裕層旅行市場規模 | 約22兆円(2024年) | Technavio |
| 年平均成長率 | 約4% | 業界調査 |
| 注目領域 | アドベンチャー、文化体験 | 各種市場分析 |
この世界的な潮流の中で、日本は極めて有利な立ち位置にあります。第一に、自然・文化・食という三要素が高密度で共存している点です。国連世界観光機関や各国の観光研究者が指摘するように、**短い移動距離で多様な体験が可能な国は、富裕層にとって時間効率の高い目的地**となります。日本は四季、山岳・海洋、歴史都市と地方文化がコンパクトに集積しており、この条件を満たしています。
第二に、安全性とインフラの信頼性です。世界経済フォーラムなどが公表する国際比較でも、日本は治安、交通の正確性、医療体制といった点で高評価を受けています。富裕層にとって安全と確実性は前提条件であり、その上で初めて「冒険的体験」を選択します。**日本は安全という土台の上で非日常を提供できる、稀有な観光地**だと言えます。
第三の優位性は、需要の質的変化と政策の方向性が一致している点です。観光庁が推進する高付加価値化戦略は、訪問者数ではなく消費額と滞在価値を重視しています。これは、量より質を求める富裕層市場の論理と完全に合致します。**市場成長の方向と国内政策が同じベクトルを向いている国は多くありません。**
新規事業の視点で見ると、この市場は「奪い合い」ではなく「拡張型」である点も重要です。富裕層旅行は、未体験の価値が供給されるたびに市場そのものが広がります。日本の地域資源はまだ十分に国際市場へ翻訳されておらず、成長余地は大きいままです。世界市場の拡大と日本の構造的優位性が重なる今こそ、富裕層旅行は中長期的に極めて魅力的な事業領域だと言えます。
富裕層インサイトから読み解く体験設計の本質

富裕層向けの体験設計を考える際、最初に理解すべき本質は、彼らが「何をしたか」ではなく「どのような感情状態に至ったか」を重視している点です。観光庁やUNWTOのラグジュアリーツーリズム分析でも、**高額消費の意思決定を左右するのは機能価値ではなく情緒価値**であると繰り返し指摘されています。
特に近年の富裕層は、物理的な快適さや豪華さをすでに日常で満たしており、旅においては「自己変容」や「人生の編集体験」を求めています。ハーバード・ビジネス・スクールの顧客体験研究によれば、記憶に残る体験の差別化要因は、サプライズや演出そのものではなく、体験前後の意味付けにあるとされています。
この視点から見ると、排他性や真正性といった富裕層インサイトは、単なる付加価値ではなく、感情を動かすためのトリガーとして機能しています。例えば仁和寺の宿坊体験では、文化財の希少性そのもの以上に、「文化を守る側に一時的に参加する」という心理的ポジションが提供されています。これは所有ではなく、役割を体験させる設計です。
富裕層体験設計を構造化すると、以下のようなレイヤーで整理できます。
| 設計レイヤー | 内容 | 富裕層が得る価値 |
|---|---|---|
| アクセス | 限定性・非公開性 | 選ばれた存在という自己認識 |
| プロセス | 専門家や当事者との対話 | 知的優越性と納得感 |
| 意味付け | 社会・文化への貢献 | 倫理的満足と物語化 |
ここで重要なのは、どれか一つだけでは不十分だという点です。Technavioや訪日ラボの富裕層調査でも、**高評価を得る体験ほど、複数レイヤーが一貫したストーリーで統合されている**ことが示されています。
また、体験設計において見落とされがちなのが「余白」です。過度に詰め込まれたスケジュールや説明は、富裕層にとってはノイズになります。城泊や美術館貸切に共通するのは、静寂や待ち時間そのものが価値として設計されている点です。これはマッキンゼーのラグジュアリー顧客分析でも、満足度を高める要因として言及されています。
新規事業開発の観点では、体験の単価を議論する前に、どの感情をゴールに設定するのかを明確にする必要があります。
- 誇りや使命感を感じさせたいのか
- 知的刺激や発見を提供したいのか
- 深い内省や癒やしを促したいのか
このゴール設定こそが、富裕層インサイトから読み解く体験設計の出発点です。感情の設計図が描けて初めて、コンテンツ、価格、オペレーションが意味を持ち、結果として持続可能な高付加価値事業へと昇華していきます。
歴史資源を活かした超高単価モデルの成功事例
歴史資源を活かした超高単価モデルは、日本のインバウンド高付加価値化を象徴する分野です。単なる文化財公開ではなく、通常は立ち入れない時間・空間・役割を提供することで、価格そのものが価値として成立しています。
代表例が、京都・仁和寺の宿坊「松林庵」における1泊100万円の宿泊体験です。観光庁や文化庁の方針転換を背景に、文化財保護と活用を両立させたこの事例は、世界遺産を“泊まれる体験”へと再定義しました。
| 事例 | 価格帯 | 中核価値 |
|---|---|---|
| 仁和寺 松林庵 | 約100万円/泊 | 非公開文化財の貸切体験と僧侶との対話 |
| 大洲城 キャッスルステイ | 100万円超/泊 | 城主としての没入型ロール体験 |
仁和寺のプランでは、通常非公開の金堂や五重塔を僧侶や学芸員の解説付きで拝観し、宸殿での雅楽鑑賞付きディナーや早朝のお勤め体験が組み込まれています。文化庁関係者の発言でも、高額であるからこそ利用者のマナー意識が高く、結果的に文化財保護に資する点が評価されています。
愛媛県大洲市の大洲城キャッスルステイも同様です。木造復元天守への宿泊という日本初の試みで、宿泊者は「一日城主」として迎えられます。鉄砲隊の祝砲、家臣団の出迎え、夜の櫓での月見酒など、歴史考証に基づいた演出が徹底されています。
これらのモデルが示すのは、価格設定の高さそのものが排他性を生み、富裕層の意思決定を後押しするという構造です。トラベルボイスなどが指摘する富裕層インサイトでも、ExclusivityとAuthenticityは最重要要素とされています。
さらに注目すべきは、収益の使途が明確である点です。仁和寺では宿泊収益の一部が文化財修復費に充当され、大洲城でも維持管理費の安定財源となっています。利用者は単なる消費者ではなく、文化を未来につなぐパトロンとしての満足感を得ています。
新規事業開発の視点では、歴史資源そのものを所有する必要はありません。寺社仏閣、城郭、旧邸宅と連携し、ストーリー設計、演出、富裕層向け販売網を担うことで、高単価モデルに参画できます。歴史資源は希少性が高く、再現不可能であるがゆえに、正しく設計すれば価格競争から完全に自由なビジネスが成立します。
アートとナイトタイムエコノミーが生む新市場
アートとナイトタイムエコノミーの融合は、インバウンド市場における「時間の再編集」によって新市場を創出するアプローチです。日本の観光は長らく昼間中心で設計されてきましたが、夜という未活用の時間帯に文化資源を再配置することで、追加投資を抑えながら高単価需要を生み出せます。
観光庁や日本政府観光局の議論でも指摘されている通り、富裕層や文化感度の高い旅行者は「混雑のない環境」と「知的・感性的な没入体験」を重視します。夜間の美術館や博物館、歴史建造物は、このニーズと極めて相性が良い資産です。
| 夜間活用の切り口 | 提供価値 | 経済効果 |
|---|---|---|
| 美術館・博物館の貸切 | 静寂と独占性 | 高単価チケット・ツアー化 |
| 歴史建築×演出技術 | 没入型アート体験 | 夜間入場料の創出 |
| 宿泊者限定ナイト鑑賞 | 滞在価値の向上 | 宿泊単価・滞在日数増 |
例えば、奈良国立博物館や京都国立博物館では、閉館後の貸切鑑賞が商品化され、一般公開時とは全く異なる体験価値を生み出しています。文化庁や博物館関係者によれば、「同じ展示物でも、時間と環境が変わるだけで評価額が跳ね上がる」という認識が広がりつつあります。
また、直島のベネッセハウスは、宿泊者のみが夜間や早朝に作品と向き合える設計により、アートそのものを目的とした訪問動機を確立しました。これはアート施設が単体で完結するのではなく、滞在・食・移動と結びつくことで、エコシステム型の収益モデルを構築できることを示しています。
さらに、株式会社ネイキッドが手がけるプロジェクションマッピングは、平安神宮や二条城といった既存の文化財に新たな物語を重ね、若年層や訪日客の夜間回遊を生み出しました。日本政策投資銀行の調査でも、夜間コンテンツの充実は飲食・交通・宿泊への波及効果が大きいと指摘されています。
新規事業開発の視点では、ここに大きな参入余地があります。
- 文化施設と連携した夜間限定プログラムの企画運営
- アート×テクノロジーによる演出プロデュース
- 富裕層向けに編集されたナイトツアーの造成
アートとナイトタイムエコノミーは、日本が世界に対して持つ「静けさ」「余白」「文脈」を価値に変換する装置です。昼の延長線ではない夜の体験設計こそが、次のインバウンド高付加価値市場を切り拓く鍵になります。
ガストロノミーとモビリティに見る新規事業機会
ガストロノミーとモビリティは、インバウンド市場の質的転換において相互に価値を高め合う領域です。特に富裕層は、食そのものの味だけでなく、どこで、誰と、どのような文脈で食べるかを重視します。そのため、食体験を目的地化し、そこまでの移動を含めて一体の体験として設計することが、新規事業の重要な切り口になります。
観光庁やJNTOの調査でも、訪日外国人の旅行動機として「日本食」が常に上位に位置しており、書籍『世界の富裕層は日本で何を食べているのか』が指摘するように、近年は「名店に行くために地方へ移動する」という主従逆転が顕著です。これは、ガストロノミーが単独ではなく、モビリティと結びつくことで初めて成立する市場であることを示しています。
例えば、山口県の酒蔵「獺祭」と連携したプライベート・ペアリングディナーでは、通常は立ち入れない酒蔵見学とトップシェフの料理を組み合わせ、移動・体験・食を高単価でパッケージ化しています。この際、地方空港や新幹線駅からの移動がストレスフリーであることが、参加者の満足度と支払意思額を押し上げています。富裕層は移動の不便さを嫌うため、ハイヤーや専用車両の手配そのものが、付加価値として評価されます。
Japanticketが本田技研工業と展開するHondaJet活用ツアーは、その象徴的な事例です。地方空港へダイレクトにアクセスできることで、移動時間を短縮するだけでなく、機内というプライベート空間そのものを体験価値に変えています。これは、目的地のレストランや食体験の希少性をさらに高める効果を持ちます。
| 要素 | 従来型 | 高付加価値型 |
|---|---|---|
| 食体験 | 観光の一部 | 旅の主目的 |
| 移動 | コスト・負担 | 演出された体験 |
| 価格構造 | 分断型 | 一体型パッケージ |
新規事業開発の観点では、ガストロノミー単体で勝負するよりも、食の専門家、交通事業者、コンシェルジュ機能を束ねる設計力が競争優位になります。欧米豪の富裕層が求めるのは、真正性の高い食と、それに至るまでの滑らかな体験です。食を起点に移動を再定義することが、地方発の高付加価値ビジネスを生み出す鍵になります。
DMO主導の地域経営モデルとデータ活用
高付加価値な観光地づくりを持続可能な事業として成立させる上で、DMO主導の地域経営モデルとデータ活用は中核的な役割を果たします。従来の観光施策は、イベント実施や広告出稿といった単発の打ち手に依存しがちでしたが、現在は地域全体を一つの経営体として捉え、データに基づいて意思決定を行うフェーズへと進化しています。
観光庁が推進する高付加価値モデル観光地事業では、DMOが司令塔となり、宿泊、交通、体験、消費といった複数データを統合しながら、PDCAを回すことが前提条件とされています。観光庁の報告によれば、進捗が順調な地域ほど、来訪者数よりも一人当たり消費額や滞在日数といった質的指標をKPIに設定しています。
代表的な成功事例が兵庫県豊岡市の城崎温泉です。官民連携DMOである豊岡観光イノベーションは、外国人宿泊者の国籍、予約経路、滞在日数、消費単価を詳細に分析し、欧米豪の個人旅行者に的を絞った戦略を構築しました。その結果、外国人宿泊者数は6年間で約45倍に成長し、繁忙期の分散や平日の稼働率改善にもつながっています。
このようなデータドリブン経営を支える代表的な活用領域は以下の通りです。
- 宿泊・OTAデータによる市場別単価と滞在傾向の把握
- 人流データを用いた混雑可視化と時間帯分散施策
- 満足度調査や口コミ分析による体験価値の改善
特に近年は、オーバーツーリズム対策と高付加価値化を同時に実現する手段として、データ活用の重要性が高まっています。宮島訪問税では、税収を活用して混雑状況をデジタルサイネージで可視化し、来訪者の行動変容を促しています。これは、価格施策と情報提供を組み合わせた典型的なデータ活用型マネジメントです。
また、せとうちDMOのような広域DMOでは、県境を越えたデータ連携が進められています。クルーズ船の寄港実績、周遊ルート、消費動向を分析することで、単一自治体では不可能だった長期滞在型商品の設計が可能になりました。
| データ種別 | 主な活用目的 | 期待される効果 |
|---|---|---|
| 宿泊・消費データ | 高単価市場の特定 | 一人当たり消費額の向上 |
| 人流データ | 混雑把握・分散 | 満足度向上と環境負荷低減 |
| 満足度・口コミ | 体験改善 | リピート率向上 |
世界的にも、UNWTOやGSTCが示す通り、持続可能な観光地の条件にはエビデンスに基づくマネジメントが不可欠とされています。新規事業開発の視点で見れば、DMOと連携し、データ分析、CRM、ダッシュボード構築といった領域で価値提供する余地は大きく、観光産業はすでにデータ産業へと変貌しつつあります。
DMO主導の地域経営モデルは、観光を単なる集客装置から、地域価値を継続的に創出する経済エンジンへと進化させる基盤であり、その成否を分ける鍵がデータ活用にあると言えるでしょう。
サステナビリティと価格戦略が競争力を左右する理由
サステナビリティと価格戦略は、もはや社会的配慮や付随的な施策ではなく、インバウンド市場における競争力そのものを規定する経営変数になっています。訪日客数が急増する一方で、混雑や環境負荷への懸念が顕在化する中、適切な価格設定が需要をコントロールし、体験価値を守る役割を果たし始めています。
代表的なのが、価格メカニズムを活用した需要調整です。観光庁や地方自治体の議論では、入域料や訪問税を「抑制策」ではなく、体験の質を維持するための投資原資と捉える視点が共有されつつあります。静岡県側の富士山では、2024年夏から1人4,000円の入山料を導入し、年間約4億円の収入を見込んでいます。この財源は登山道整備や救護体制、環境保全に再投資され、結果として安全性と満足度の向上につながっています。
同様に、広島県の宮島で導入された1人100円の訪問税も象徴的です。税収は年間約3億5,000万円規模とされ、トイレ改修やゴミ処理、混雑状況の可視化に充てられています。金額は小さくても、訪問者全員が受益者負担の当事者になる設計が、観光地経営の意識転換を促しています。
| 事例 | 価格施策 | 主な再投資先 |
|---|---|---|
| 富士山(静岡県) | 入山料4,000円 | 登山道整備、救護所、環境保全 |
| 宮島(広島県) | 訪問税100円 | 衛生設備、混雑対策、デジタル施策 |
国際的にもこの考え方は主流です。イエローストーン国立公園では入園管理と予約制を組み合わせ、コスタリカではガイド同伴を義務付けることで環境負荷を抑えています。これらに共通するのは、価格や制度を通じて「守るべき価値」を明確化している点です。GSTCが示す国際基準でも、環境モニタリングや地域住民満足度の把握が重視されており、欧米の富裕層旅行者や大手旅行会社は、こうした基準への対応を目的地選定の前提条件としています。
新規事業の視点で見れば、サステナビリティ対応はコストではなく、価格プレミアムを正当化するストーリーになります。自らの支払が文化財修復や自然保全に使われると理解した旅行者は、高価格に対してむしろ納得感を持ちます。価格戦略とサステナビリティを分断せず、一体で設計できるかどうかが、これからのインバウンド事業者の競争優位を左右します。
新規事業開発担当者が押さえるべき3つの戦略視点
新規事業開発担当者が押さえるべき戦略視点の一つ目は、市場を「量」ではなく「価値密度」で再定義することです。観光庁やJNTOのデータが示す通り、訪日客数は回復局面を超え、今後は一人当たり消費額の最大化が競争軸になります。2024年の訪日外国人旅行消費額は約8.1兆円に達し、特に欧米豪の長期滞在・高額消費層が構造的に市場を牽引しています。この状況下では、利用者数や稼働率ではなく、限られた顧客からどれだけ深い価値を引き出せるかというKPI設計が事業成否を分けます。
二つ目は、顧客インサイトを起点に体験価値を再構築する視点です。Technavioなどの調査が示すように、世界の富裕層旅行市場は約22兆円規模に成長していますが、その需要の中核は所有ではなく体験、さらに真正性へと移行しています。排他性や知的好奇心、社会貢献性を組み込んだ体験は、高価格であっても選ばれます。仁和寺や大洲城の事例が象徴するのは、施設そのものよりも、非公開空間や専門家との対話といった編集された体験が価値の源泉になっている点です。
三つ目は、地域・政策・民間をまたぐエコシステム視点です。観光庁が推進する高付加価値モデル観光地では、DMOを中心に宿泊、交通、人材育成、データ活用が一体で設計されています。単独事業ではなく、地域全体の価値向上に接続する事業ほど、行政支援や継続性を得やすくなります。城崎温泉のようにデータドリブンでターゲットを絞り、地域全体を一つの体験として設計する考え方は、新規事業にも応用可能です。
| 戦略視点 | 判断軸 | 具体的示唆 |
|---|---|---|
| 価値密度 | 単価・滞在価値 | 高価格でも成立する設計 |
| 体験起点 | 顧客インサイト | 排他性・真正性の組み込み |
| エコシステム | 地域連携 | DMOや政策との接続 |
これら三つの視点を統合すると、新規事業開発は単なる商品開発ではなく、価値編集と関係設計の仕事であることが明確になります。市場の成長データや先進事例が示すのは、戦略視点の有無がそのまま収益性と持続性の差として表れるという事実です。
参考文献
- 観光庁:2024年訪日外国人旅行消費額推計
- 観光庁:地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり モデル観光地 マスタープラン
- トラベルボイス:世界の富裕層旅行市場、2024年には22兆円規模に成長の見込み
- 訪日ラボ:2024年に富裕層旅行市場が22兆円に 求める観光コンテンツとは
- PR TIMES:奈良国立博物館・京都国立博物館の特別展 貸切鑑賞ツアーを発売
- Merkmal:外国人観光客が6年で45倍!城崎温泉の成功に学ぶ
- Global Sustainable Tourism Council:観光地用 グローバル・サステイナブル・ツーリズム協議会国際基準
