新規事業開発は、企業の未来を切り拓く重要な取り組みです。既存事業が成熟し、市場環境の変化が激しさを増す中、多くの企業が社内起業家(イントレプレナー)に大きな期待を寄せています。

一方で、その期待の裏側で、優秀な人材ほど心身をすり減らし、燃え尽きてしまう現実があることをご存じでしょうか。新規事業がうまくいかない理由を、個人の資質や努力不足に帰してしまうと、本質的な問題はいつまでも解決されません。

実は、イントレプレナーの燃え尽きは、評価制度や組織構造、文化といった企業側の仕組みが生み出す「構造的な問題」であるケースがほとんどです。報われない努力、曖昧な役割、社内での孤独感が重なり、イノベーションの担い手は静かに疲弊していきます。

この記事では、新規事業開発の責任者や推進者が知っておくべき、イントレプレナー特有のストレス構造と、その背景にある組織的要因を整理します。さらに、評価制度、文化、コミュニティ設計など、明日から検討できる具体的な対策の方向性を提示します。

人材を守ることは、単なる福利厚生ではありません。イノベーション投資の成果を最大化するための、極めて重要な経営判断です。新規事業を持続的に生み出したい方にとって、本記事が実践的なヒントとなれば幸いです。

新規事業開発の裏側で起きているイントレプレナーの燃え尽き問題

新規事業開発の現場は、華やかなイノベーションストーリーの裏側で、**イントレプレナーの燃え尽き症候群が静かに進行しやすい環境**になっています。これは個人の気合や忍耐の問題ではなく、組織構造そのものが生み出す必然的なリスクです。特に大企業における社内起業は、外部スタートアップと同等、あるいはそれ以上の精神的負荷を伴うにもかかわらず、その負荷が正当に認識されにくい点に深刻さがあります。

産業精神保健の分野で広く参照されている努力報酬不均衡モデルによれば、人は「投入する努力」と「得られる報酬」のバランスが崩れた状態に長く置かれると、強いストレス反応を示します。イントレプレナーはこの不均衡に最もさらされやすい存在です。正解のない仮説検証を高速で回し続け、顧客からの拒絶や社内調整に耐えながら、長期的成果を求められますが、その努力がすぐに評価や承認につながることは多くありません。

報酬は金銭だけではありません。組織からの承認、将来のキャリアの見通し、挑戦した事実そのものが尊重される感覚も重要な報酬です。しかし社内起業の現場では、赤字期間が続くことで「価値を生んでいない人」と見なされたり、事業撤退時の処遇が不透明なまま放置されたりするケースが少なくありません。**努力は可視化されにくく、リスクだけが個人に集中する構造**が、燃え尽きを加速させます。

観点 一般的な業務 新規事業開発
成果の見え方 短期KPIで評価されやすい 成果が出るまで時間がかかる
不確実性 過去の延長線上 前例がなく常に仮説検証
心理的負荷 役割と期待が明確 責任は重く権限は限定的

さらに燃え尽きを深刻化させるのが、リアリティ・ショックです。経営陣からの期待や「変革の担い手」という言葉に背中を押されて参加したものの、実際の業務は社内調整や稟議、前例説明に追われる日々だったというギャップが、初期モチベーションを急速に奪います。役割定義が曖昧なまま走り続ける状態は、心理学的にも強い消耗を招くことが知られています。

また、既存事業を前提とした組織文化の中で、新規事業の論理は理解されにくくなります。効率や確実性を重んじる価値観の中で、試行錯誤や失敗を前提とする行動は「計画性がない」と誤解されがちです。**この認知的孤立が、イントレプレナーに強い孤独感を与え、自己効力感を低下させます。**イノベーション研究の分野でも、挑戦者の孤立はバーンアウトの主要因の一つとして指摘されています。

重要なのは、燃え尽きが顕在化する頃には、本人も周囲も「もう限界だ」と気づく段階に入っている点です。その時点では、休職や離職といった形でしか問題が表に出ません。**新規事業開発の裏側で起きている燃え尽き問題は、個人の問題ではなく、組織が見過ごしてきた構造的コスト**だと認識することが、このテーマを理解する第一歩になります。

努力が報われない構造とは何か

努力が報われない構造とは何か のイメージ

新規事業に挑む多くの人が感じる最大の違和感は、努力量と成果実感が比例しないことです。長時間働き、強いプレッシャーの中で意思決定を重ねているにもかかわらず、評価も承認も得られない。この状態は偶然ではなく、構造的に生まれています。産業精神保健の分野で広く知られる努力報酬不均衡モデルによれば、ストレスは忙しさそのものではなく、努力と報酬の不均衡によって生じます。

新規事業開発では、この不均衡が極端に拡大します。理由は、事業の性質上、初期フェーズでは売上や利益といった分かりやすい成果が出にくいからです。一方で、求められる努力は通常業務よりもはるかに高密度です。不確実性の高い仮説検証、社内外の調整、失敗前提の意思決定が連続し、認知的・感情的な負荷が積み重なります。

問題は、組織の評価制度と承認の仕組みが、この努力の質を正しく測定できていない点にあります。多くの企業では既存事業向けに設計された評価軸が流用され、短期的な数値成果が重視されます。その結果、挑戦している人ほど評価が低く見えるという逆転現象が起きます。

観点 既存事業中心の構造 新規事業担当者に起きる現実
成果の可視性 売上・利益で即時に可視化 学習や仮説検証は評価されにくい
評価タイミング 四半期・年度単位 成果が出る前に低評価が確定
承認の源泉 上司・組織内の合意 前例がないため承認が得られにくい

この構造下では、本人の中に「どれだけ頑張っても状況は変わらない」という学習性無力感が蓄積します。心理学の知見でも、努力と結果の因果が断たれた状態は、モチベーション低下とバーンアウトの主要因とされています。ハーバード・ビジネス・スクールの研究でも、評価の不透明性はエンゲージメントを著しく損なうと指摘されています。

さらに深刻なのは、金銭以外の報酬も不足しがちな点です。社内起業家は成功しても給与テーブルの制約を受けやすく、失敗すればキャリアリスクだけが残ります。スタートアップ創業者が株式という大きなアップサイドを持つのに対し、社内起業家はリスクだけを引き受ける非対称性があります。

努力が報われない構造とは、個人の能力や覚悟の問題ではなく、努力の価値を翻訳する仕組みが組織側に欠けている状態です。この構造を放置すると、最も挑戦的で学習速度の速い人材から静かに疲弊し、離脱していきます。新規事業が続かない企業ほど、個人論で片付けがちですが、実際には評価・承認・キャリアの設計不全が原因であるケースが大半です。

新規事業における努力が報われるかどうかは、結果が出たかではなく、挑戦の過程がどのように扱われるかで決まります。この構造を理解しない限り、どれほど制度を整えても、現場の熱量は長く持続しません。

社内起業家特有のストレスと一般社員との違い

社内起業家が感じるストレスは、一般社員の業務ストレスとは質的に大きく異なります。最大の違いは、不確実性の高さと報われなさが同時に存在する点です。一般社員は業務範囲や評価基準が比較的明確で、成果と報酬の関係も見えやすい一方、社内起業家は正解のない状況で走り続けながら、その努力が正当に評価される保証がありません。

産業精神保健の分野で知られる努力報酬不均衡モデルによれば、ストレスは「努力」と「報酬」のバランスが崩れたときに強まるとされています。社内起業家は、長時間労働そのものよりも、多大な認知的・感情的エネルギーを投入しているにもかかわらず、承認や将来展望が得られにくい構造にさらされています。この点が、一般社員との決定的な差です。

観点 一般社員 社内起業家
業務の性質 定型業務中心で前例がある 正解のない探索型業務
評価基準 KPIや目標が明確 成果が出るまで評価されにくい
心理的負荷 業務量に比例 不確実性と責任の重さが増幅

特に社内起業家を追い込むのが、役割の曖昧さです。「事業を成功させる責任」は重い一方で、組織上の権限は限定的で、必要な人材や予算を自ら交渉しなければなりません。心理学では、責任と権限が不均衡な状態は強いストレス要因になることが知られており、ハーバード大学の組織行動論の研究でも、役割の曖昧性はバーンアウトの主要因と指摘されています。

また、社内起業家特有のストレスとして見逃せないのが組織内での孤立感です。新規事業の論理は試行錯誤や仮説検証を前提としますが、既存事業の論理は効率性と確実性を重視します。この価値観の違いにより、社内起業家は「計画性がない」「数字が弱い」と誤解されやすく、努力が否定されたように感じやすくなります。Y Combinatorが起業家同士のコミュニティを重視するのも、この孤立が精神的リスクになると理解しているからです。

さらに、失敗したときのキャリア不安も一般社員との大きな違いです。通常業務での失敗は経験として蓄積されやすい一方、新規事業の撤退は個人の評価に直結するのではないかという恐怖を伴います。事業の成否とキャリアが切り離されていない環境では、常に「この挑戦は自分の将来を賭けたものだ」という緊張状態が続きます。

このように社内起業家のストレスは、忙しさそのものではなく、不確実性・承認不足・将来不安が重なり合う構造的なものです。一般社員と同じ尺度で語ることができないこの違いを理解することが、社内起業家を持続的に活躍させる第一歩になります。

理想と現実のギャップが生むリアリティ・ショック

理想と現実のギャップが生むリアリティ・ショック のイメージ

新規事業の現場で多くの担当者が直面するのが、理想と現実のギャップによって引き起こされるリアリティ・ショックです。経営トップからの力強いメッセージや、イノベーション創出を称える社内イベントを経てプロジェクトが始動すると、担当者は「裁量を持って挑戦できる」「スピード感ある意思決定ができる」といった前向きなイメージを抱きがちです。しかし実際に待ち受けているのは、想像以上に地道で摩耗的な日常です。

具体的には、顧客価値の検証よりも社内調整に多くの時間を取られたり、意思決定のたびに複数階層の承認を求められたりする状況が続きます。麻生要一氏が指摘するように、新規事業担当者の多くは顧客と向き合う時間よりも、会議資料の作成や根回しに追われています。この瞬間、担当者の中で「思い描いていた仕事と違う」という違和感が生まれ、それがリアリティ・ショックの正体となります。

このギャップが厄介なのは、単なる失望にとどまらず、自己効力感を静かに削っていく点です。最初は「仕方がない」と受け入れていた社内事情が積み重なることで、「自分は本質的な価値を生み出せていないのではないか」という疑念に変わっていきます。心理学の研究でも、期待と現実の乖離が大きいほど、初期エンゲージメントの低下やバーンアウトリスクが高まることが示されています。

着任前に描きがちな理想 現場で直面する現実
顧客起点で自由に仮説検証できる 社内稟議や関係部署調整が優先される
スピーディーな意思決定 承認プロセスが長く機会を逃す
挑戦が称賛される文化 失敗が目立ち、批判されやすい

さらにリアリティ・ショックを深刻化させるのが、役割の曖昧さです。新規事業では職務記述書が明確に定義されないことが多く、「事業を成功させるために必要なことはすべてやる」姿勢が求められます。一方で、組織上の権限は限定的で、最終決定権を持たないケースがほとんどです。責任の重さと権限の軽さが釣り合わない状態は、心理的に最も消耗しやすい環境の一つだと産業心理学でも指摘されています。

この状態が続くと、担当者は「何をもって評価されるのか」「どこまでが自分の責任なのか」を見失います。評価基準が不透明なまま努力を重ねても手応えを得られず、やがて挑戦そのものがリスクに感じられるようになります。リクルートワークス研究所の調査でも、役割期待が不明確な環境ではワークエンゲージメントが有意に低下する傾向が確認されています。

リアリティ・ショックは個人の覚悟不足ではなく、構造的に生じる現象です。華やかな理想像だけを強調したまま現場に送り出せば、担当者は必ず現実との落差に直面します。重要なのは、このギャップを前提として設計し、最初から「泥臭さ」や制約条件を共有することです。それが結果として、担当者の心理的消耗を防ぎ、長期的な挑戦を可能にする土台になります。

組織構造が生み出す孤独と大企業病

大企業の新規事業担当者が感じる孤独は、単なる人間関係の問題ではありません。組織構造そのものが、意図せず孤立を生み出している点に本質があります。多くの大企業は既存事業を効率的に回すために最適化されており、その論理は安定性、再現性、短期的成果を重視します。一方、新規事業は不確実性と試行錯誤を前提とするため、同じ組織内にありながら言語や評価軸が根本的に噛み合いません。

この断絶は日常の会話にも表れます。顧客検証の途中経過を共有しても「で、いつ売上が立つのですか」と問われ、仮説検証の失敗は「計画が甘い」と解釈されがちです。探索のプロセスが理解されない環境では、挑戦するほど説明コストと精神的摩耗が増えていきます。Y Combinatorが起業家同士のコミュニティを重視するのは、こうした認知的孤立が意思決定の質とメンタルに深刻な影響を与えることを熟知しているからです。

さらに日本の大企業では、いわゆる「大企業病」がこの孤独を増幅させます。ONE JAPANの調査でも指摘されているように、内向き志向や前例主義、縦割り構造は新規事業と相性が極めて悪い特性です。顧客よりも社内稟議が優先され、複数部署をまたぐ協力は部分最適で止まりやすくなります。その結果、新規事業担当者は市場ではなく組織と戦っている感覚に陥ります。

組織特性 既存事業での合理性 新規事業での副作用
前例主義 品質とリスク管理を担保 仮説検証のスピード低下
縦割り構造 責任範囲が明確 調整コストの増大
減点主義評価 失敗の抑制 挑戦回避と萎縮

特に厄介なのが、心理的安全性の誤解です。心理的安全性を「衝突のない居心地の良さ」と捉えると、組織は批判も期待も低い状態に陥ります。この“ぬるま湯”環境では、新規事業の厳しい議論が避けられ、結果として市場で負ける確率が高まります。ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン教授が示す通り、真の心理的安全性とは高い基準と率直な対話が両立する状態です。

新規事業担当者にとって最も消耗するのは、努力が否定されること以上に、誰にも理解されないまま責任だけを背負う状況です。組織構造が変わらない限り、個人の気合いやレジリエンスでこの孤独を乗り越えさせるのは限界があります。孤独と大企業病は個人の問題ではなく、構造的な経営課題として捉える必要があります。

心理的安全性の誤解が新規事業を止める理由

心理的安全性は、新規事業に不可欠な要素として広く語られていますが、その解釈を誤ることで、かえって挑戦を止めてしまうケースが少なくありません。特に新規事業の現場では、心理的安全性が「居心地の良さ」や「否定されない環境」と同義に扱われやすく、それが意思決定の質とスピードを著しく下げます。

ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン教授によれば、心理的安全性とは「対人リスクを取っても罰せられないという信念」を指します。つまり、本質は率直な意見表明や異論、失敗の共有を可能にする土台であり、衝突や緊張を排除する概念ではありません

しかし実務では、「強い指摘をしない」「厳しい問いを控える」「空気を悪くしない」といった配慮が優先され、結果として仮説の甘さや顧客価値の欠如が見過ごされます。新規事業は不確実性が高いため、本来は早い段階での否定や軌道修正が成功確率を高めますが、誤った心理的安全性はそれを遅らせます。

観点 誤解された状態 本来の状態
意見交換 否定を避ける 根拠をもとに率直に議論する
失敗への姿勢 触れない・曖昧にする 学習素材として言語化する
基準 曖昧で低い 顧客価値に基づき高い

特に問題なのは、責任や基準が伴わない心理的安全性です。エドモンドソン教授の整理でも、心理的安全性と成果は別軸であり、高い心理的安全性と高い基準が両立して初めて学習と成果が生まれるとされています。基準が低いままでは、チームは安心して停滞します。

新規事業担当者にとって、この「ぬるま湯化」は深刻です。表面的には優しく、否定されない環境であっても、市場で通用しないアイデアが温存され、最終的には事業撤退という形で全否定を受けます。これは段階的な厳しさよりも心理的ダメージが大きく、燃え尽きや離職を招きやすくなります。

また、上司や経営層が「口出ししないこと」を心理的安全性だと勘違いするケースも見られます。新規事業では放任ではなく、問いの質を高める介入が不可欠です。なぜその顧客なのか、なぜ今なのか、といった本質的な問いを投げかける行為は、心理的安全性を壊すものではなく、むしろ学習を促進します。

心理的安全性の本質は、優しさではなく誠実さです。新規事業を前に進める組織は、耳の痛い指摘を歓迎し、失敗を早く小さく共有し、高い基準への挑戦を支えます。この緊張感ある安全地帯を作れない限り、新規事業は静かに止まり続けます

評価制度とキャリア不安が離職を加速させるメカニズム

新規事業に挑む人材の離職を加速させる要因として、評価制度とキャリア不安の問題は極めて大きいです。特に日本の大企業では、既存事業に最適化された評価の物差しがそのまま新規事業にも適用され、努力と評価の間に深刻なねじれが生じています。**成果が出るまで時間を要する挑戦ほど、評価が下がりやすい構造**そのものが、挑戦者の心理を蝕んでいきます。

産業精神保健の分野で広く知られる努力報酬不均衡モデルによれば、人は「努力に見合う報酬や承認、将来の見通し」が得られない状態で強いストレスを感じます。新規事業では売上や利益といった短期指標が立たないため、評価面談で語られるのは未達成のKPIや赤字の理由になりがちです。その結果、本人の中に**どれだけ頑張っても報われないという学習性無力感**が蓄積されていきます。

評価観点 既存事業向け制度 新規事業で起きる問題
成果指標 売上・利益・達成率 初期は数値が立たず低評価になりやすい
評価期間 半年〜1年 事業の時間軸と合わない
失敗の扱い 減点・責任追及 挑戦自体がリスクになる

さらに深刻なのがキャリア不安です。事業がうまくいかなかった場合にどうなるのか、明確な説明がないままプロジェクトが進むケースは少なくありません。評価が下がり、昇進レースから外れ、元の部署に戻れる保証もない。この不透明さは、報酬の一要素であるキャリアの安定性を大きく損ないます。HR総研の調査でも、若手の離職理由として「正当に評価されない」「将来の成長が見えない」といった項目が上位を占めています。

この状況下で優秀な人材ほど合理的な判断を下します。社外では新規事業経験が市場価値として評価され、スタートアップや別企業では挑戦そのものがキャリア資産になるからです。**社内に残る合理性が失われた瞬間、離職は個人にとって最適解**になります。評価制度の不適合とキャリアの不透明さは、本人の意欲や根性の問題ではなく、組織が人材を手放す仕組みとして機能してしまっているのです。

評価とキャリアの設計を誤ることは、単なる人事課題ではありません。挑戦するほど損をするというメッセージが社内に広がれば、次の担い手は現れなくなります。新規事業の失敗以上に、**挑戦者が去っていく構造そのものが、イノベーションを枯渇させる最大のリスク**だと認識する必要があります。

燃え尽きを防ぐために企業が取るべき構造的アプローチ

イントレプレナーの燃え尽きを防ぐために最も重要なのは、個人の気合いやセルフケアに依存しない構造的アプローチです。燃え尽きは本人の弱さではなく、役割設計・評価・支援の仕組みが不十分な組織で必然的に発生します。産業精神保健の分野で広く知られる努力報酬不均衡モデルによれば、人は高い努力に対して承認や将来展望といった報酬が得られない状態が続くと、強いストレス反応を示すとされています。

新規事業においては、この不均衡が構造的に埋め込まれがちです。そこで企業が取るべき第一の打ち手は、事業開発プロセスの明確化です。ソニーのSSAPのようにフェーズと判断基準を定義することで、担当者は「今はうまくいっていないが、プロセス上は正常だ」と認知でき、心理的消耗が大きく軽減されます。撤退基準を事前に合意しておくことも、失敗を個人の責任にしないための重要な装置です。

燃え尽きを防ぐ本質は、努力と報酬、責任と裁量、期待と現実のズレを組織側で調整することにあります。

第二に不可欠なのが評価とキャリアのセーフティネットです。リクルートワークス研究所の研究でも、将来の見通しが立たない状態はワークエンゲージメントを著しく低下させることが示されています。売上や利益が出るまで評価を凍結し、顧客検証数や仮説更新といった行動指標を正式な評価軸として組み込むことで、報われなさを減らせます。

設計要素 属人的対応 構造的アプローチ
失敗時の扱い 本人の責任 仮説検証の結果として整理
評価基準 短期業績中心 プロセス・学習重視
心理的負荷 自己耐性に依存 制度で分散・軽減

さらに、上司や責任者が担うべき構造的役割も明確です。新規事業担当者を管理するのではなく、既存事業部門からの過剰な干渉や減点主義から守る防波堤になることが求められます。麻生要一氏が指摘するように、顧客と仮説に集中できる時間をどれだけ確保できるかが成果と消耗を分けます。

燃え尽きを防ぐ構造とは、挑戦者を甘やかす仕組みではありません。高い基準に挑み続けても心が折れないよう、失敗を前提に設計された制度と役割分担を用意することです。その積み重ねが、イノベーションを継続的に生み出す企業体質につながります。

先進企業の事例に学ぶイントレプレナー支援の実践

イントレプレナー支援を制度論だけで語ると、現場では形骸化しがちです。実際に成果を上げている先進企業の事例を具体的に見ることで、支援が「個人の献身」ではなく「再現可能な仕組み」であることが理解できます。ここでは、燃え尽きを防ぎながら挑戦を持続させている代表的な取り組みに焦点を当てます。

ソニーグループのStartup Acceleration Program(SSAP)は、社内起業を属人的な抜擢制度から切り離し、プロセスとして民主化した点が特徴です。事業創出を複数フェーズに分解し、それぞれで評価基準と支援内容を明確化しています。新規事業の評価が曖昧になりがちな初期段階でも、顧客検証や仮説学習といった行動そのものが正当に承認されるため、担当者は結果が出るまでの心理的負荷を大きく下げられます。新規事業経験者や専任アクセラレーターが伴走する設計も、孤立を防ぐ重要な要素です。

また、株式会社エンファクトリーが展開する「越境サーキット」は、社内に閉じた支援とは異なるアプローチを取っています。あえて社員を社外の修羅場に送り出し、他社・他組織の論理に触れさせることで、自社の常識を相対化させています。リクルートワークス研究所の調査でも、越境学習はリアリティ・ショック耐性やキャリア自律を高めると指摘されていますが、この外部接続が結果的にイントレプレナーの精神的レジリエンスを高めています。

さらに注目すべきは、Y Combinator型モデルを社内に応用する企業の動きです。失敗したプロジェクトや担当者の経験をアーカイブ化し、後続の挑戦者が学べる状態を作ることで、失敗が個人の汚点ではなく組織の資産に転換されます。失敗経験者が次の挑戦を支援する側に回る循環は、燃え尽きの最大要因である「報われなさ」を構造的に解消します

企業・モデル 主な支援設計 燃え尽き防止への示唆
ソニーグループ(SSAP) フェーズ分解とプロセス評価、専任伴走 評価の透明性が不安と孤独を低減
エンファクトリー 越境学習による社外接続 相対化とサードプレイスが心理的安定を生む
Y Combinator型社内適用 失敗データの資産化と共有 挑戦と再挑戦の心理的安全性を確保

これらの事例に共通するのは、イントレプレナーを「強い個人」として扱わず、不確実性を前提に守り、学びを可視化する環境を組織側が用意している点です。先進企業は支援を福利厚生ではなく、イノベーション投資の中核と捉えています。この視点こそが、持続的に挑戦者を生み出し続ける企業と、途中で人材が枯渇する企業を分ける決定的な差になっています。

新規事業を持続可能にするための経営と人事の役割

新規事業を一過性の成功で終わらせず、継続的に育てていくためには、現場の努力だけでなく経営と人事が果たす役割が決定的に重要です。特にイントレプレナーの燃え尽きを防ぎ、挑戦を再生産できる状態を作れるかどうかは、経営と人事の設計思想に大きく左右されます。

まず経営の役割は、新規事業を「成果が出るまで待つ投資」として位置づけ、短期的な財務指標で裁かない覚悟を示すことです。努力報酬不均衡モデルで示されるように、不確実性の高い挑戦ほど、金銭以外の報酬、すなわち承認や将来展望が不可欠です。経営陣が定例のレビューや対話を通じて進捗プロセスを言語化し、学習や仮説検証そのものを評価する姿勢を示すことは、現場にとって強力な心理的支えになります。

経営が担う最大の価値は、成功か失敗かではなく「学習が積み上がっているか」を問い続ける視点を組織に定着させることです。

一方で人事の役割は、その経営メッセージを制度と運用に落とし込むことです。リクルートワークス研究所の調査が示すように、評価基準が曖昧な環境では挑戦意欲の高い人材ほど早期に離脱します。新規事業では売上や利益が出ない期間が前提となるため、プロセス評価や行動評価を公式制度として明示し、既存事業と同じ物差しで比較しないことが重要です。

また、キャリアのセーフティネット設計も人事の中核機能です。事業撤退時の配置や次の挑戦機会を事前に定義することで、「失敗したら終わり」という恐怖を軽減できます。HR総研の離職調査でも、若手・中堅層が重視するのは待遇以上にキャリアの見通しであるとされています。挑戦が評価され、経験が資産として扱われる仕組みは、結果的に離職コストを抑える投資になります。

観点 経営の役割 人事の役割
評価軸 学習・仮説検証を重視する意思決定 プロセス評価を制度として定義
心理的安全性 挑戦を公に承認するメッセージ発信 1on1や配置設計による支援
キャリア 再挑戦を前提とした経営判断 失敗後の選択肢を明文化

さらに重要なのは、経営と人事が分断されず、一体となって新規事業人材を支えることです。ソニーのSSAPのように、人材育成を明確な目的に据えたプログラムでは、事業の成否にかかわらず人が残り、次の挑戦につながっています。これは制度設計だけでなく、経営が人事に裁量を与え、人事が現場の声を経営に還流させている点に特徴があります。

新規事業を持続可能にする鍵は、優秀な個人に依存しないことです。経営が長期視点を示し、人事が挑戦を報われる経験に変換することで、イントレプレナーは燃え尽きる存在ではなく、組織に学習をもたらし続ける資産へと変わります。

参考文献